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2016/06/17

「道徳」の科目化と成績評価、長妻昭衆院議員の資料

2016年6月10日(金)【今週の活動報告】子どもの道徳心に成績をつける? | 長妻昭 オフィシャルWEBサイト
【悲報】2~3年後、小中学校において「道徳心」「愛国心」に成績をつける、と文科省が決定。 - Togetterまとめ

この件。
「道徳」を科目化すると必然的にこうなるので、科目化方針を変えない以上文科省の態度は変わらないだろう。「彼ら」からすれば勝利は決定済みの事案である。

この教育を受けた子供たちが成長し、選挙権を持ち、社会の中核を担うようになる頃、つまり今から20年後より先の時代が気になる。あの重苦しい時代が再来するのかという思いを禁じ得ない。

だが、あの時代の前にも、当時より開放的な時代があったはずだ。その頃の空気を吸って育ち大人になった人たちは、あの息苦しい統制の時代を迎えてどうしていたのだろうか。その人たちの姿は、ひょっとしたら私たちが将来どのように振る舞うようになるのかにヒントを与えてくれるかもしれない。

日米開戦後に各地で行われた犬猫供出において、当時の大人達は我が子にこう語っていたという。

「そねーなことをして見つかったら、大事じゃ。憲兵に連れて行かれる。軍のお達しじゃ、聞かないけん」

「お母ちゃんかてわかってる。でも命令やから、守らんといかんのや。」

「今はお国の非常時でしょ。回覧板はお国の大事な連絡なの。守らないわけにはいかないの。(中略)命令に従わなければ、非国民といわれてしまうの。」
「りっちゃん、わがままいわないで。(中略)うちだけ見のがしてもらうことはできないの。」

臣民根性の行き着く果て―「戦時犬猫供出」 - 読む・考える・書く

これらの言葉は、次のような指摘につながっているのではないだろうか。

「転換の時代に」2006-11-16 - kom’s log

(理系大学院卒業生たちがオウム真理教に入信してサリンを合成したことについて)今思うのはかれらが「狂信的」だったからではなく、単に他律的だったからなのだと思う。一本やり上意下達システムを所与とする他律的個人にとって、じつはそのシステムがいかなる目的・理念を持っているかということはどうでもよい。(中略)一本やり上意下達システムを所与とするかぎり、そのシステムがオウム真理教であっても日本国家であってもあまり変わりがない。動員されるという事態に無意識、無抵抗という点において同一なのである。すなわち、麻原を信じる科学者がサリンを作ったように、”国家を愛する”科学者はサリンを合成する。
犬猫供出に抵抗した我が子を説得した大人たちや、サリンを合成した科学者たちは、私たちの明日の姿になるかもしれない。だとすれば、私たちは来るべき次の時代を「無力な個人」としてどう生き延びるかを考えるだけでなく、いつどこで「サリンを合成しない私」とならねばならないかをも考えなければならないのではないか。そして、私たちにつながる人々に「サリンを合成しなくてよい社会」を遺さねばならないのではないだろうか。

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参考:犬 猫 供出 - Google 検索

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衆議院のウェブサイトの質問主意書と答弁
第190回国会 質問の一覧
第259番:「小学生・中学生の道徳心や愛国心を評価する学習指導要領の改訂に関する質問主意書」
第317番:「小学生・中学生の道徳心や愛国心を評価する学習指導要領の改訂に関する再質問主意書」

上記1つめの質問と答弁
質問

 二年後からは全国の小学校で、三年後からは全国の中学校で、道徳を教育課程上「特別の教科」と位置付けた上で、児童・生徒の道徳に対する評価をするとしている。その評価は、数値による評価でなく、記述式の評価であり、他の児童・生徒との比較による相対評価ではなく、その児童・生徒がいかに成長したかを評価するとしている。その道徳科の指導内容としては「国や郷土を愛する心をもつこと」、いわゆる「愛国心教育」も含まれるとしている。
 私は、「道徳心」や「愛国心」は重要であると考えるが、児童・生徒一人ひとりの「道徳心」や「愛国心」を評価する、つまり成績をつける、ということには強い違和感を持つ。国に対する批判を自粛する空気が広がる等、非常に息苦しい社会が到来するのではないかとの懸念を持つ。
 そこでお尋ねする。
 文部科学省は、児童・生徒の道徳に関する評価は、「入試選抜には使わない」と説明しているが、それは事実か、内閣の見解を問う。
 その上で、中学受験や高校受験の内申書に児童・生徒の道徳の評価が入るのか否かについてお尋ねする。
 各都道府県教育委員会が作成する内申書の様式に児童・生徒に対する道徳の評価を盛り込むのか否か。この点について、平成二十八年二月五日衆議院予算委員会で、馳浩文部科学大臣は「入学者選抜とはなじまない側面があることを前提とし、更に専門的な検討が行われている」「専門家会議では年度内を目途に基本的な考え方を示すこととしている」と答弁している。すでに「年度内」は経過したが、いつまでにどのような結論を出すのか。お示し願いたい。
 同時に各都道府県教育委員会が作成する内申書の様式に児童・生徒に対する道徳の評価を盛り込むのか否か、現時点での内閣の見解を問う。
 児童・生徒の道徳を評価するということは、ペーパーテスト等を実施するということなのか。そうでなければ、作文などを実施することを想定しているのか。そうでなければ、授業中の発言を評価するのか、発言を評価するとすれば授業中に発言が無い児童・生徒に対する評価はどうするのか。何に基づいて評価するのか、お示し願いたい。
 児童・生徒の道徳の評価の基準が全国でばらつきがあってはならないと考えるがいかがか。
 全国の評価基準をある程度、一致させるためには評価をする教員に対して、あるべき道徳心・愛国心とは何か、評価すべき道徳心・愛国心とは何か、を教える必要があると考えるが、いかがか。
 その場合、評価すべき道徳心・愛国心とはどのようなものかは、誰が決めるのか。
 評価の基準を策定しないとすれば、児童・生徒の道徳に関する成長を、恣意的にならずに、どのように評価をするのか、わかりやすく説明願いたい。
 さらに文部科学省は「国や郷土を愛する心をもつこと」を教育することは、いわゆる「愛国心教育」とは異なるとするが、それぞれの意味するところをお示し願いたい。
 また、文部科学省は、道徳に対して「評価をする」ことは、「成績をつける」ことと違うとしているが、どこが異なるのか、それぞれの意味をお示し願いたい。
 以上、内閣の見解を問う。
 右質問する。
答弁
 お尋ねの特別の教科である道徳(以下「道徳科」という。)における児童生徒の学習の評価(以下「道徳科における評価」という。)と高等学校等における入学者選抜との関係については、平成二十八年二月五日の衆議院予算委員会における長妻昭委員の質疑に対する安倍内閣総理大臣の答弁及び馳文部科学大臣の答弁において述べているとおりであり、文部科学省においては、従前から、これらの答弁における説明の趣旨と同様の趣旨を説明してきているところである。
 お尋ねの「道徳教育に係る評価等の在り方に関する専門家会議」(以下「専門家会議」という。)における議論の結論については、できるだけ早期に得たいと考えているが、結論を得る具体的な時期及びその内容について現時点でお答えすることは困難である。また、お尋ねの「内申書の様式に児童・生徒に対する道徳の評価を盛り込むのか否か」の意味するところが必ずしも明らかではないが、高等学校等の入学者選抜に用いられる調査書の様式等は都道府県教育委員会等入学者選抜の実施者が決定するものである。なお、専門家会議においては、入学者選抜との関係をも踏まえて、道徳科における評価の在り方について検討しているところであり、また、平成二十七年文部科学省告示第六十号による改正後の小学校学習指導要領(平成二十年文部科学省告示第二十七号。以下「小学校学習指導要領」という。)及び平成二十七年文部科学省告示第六十一号による改正後の中学校学習指導要領(平成二十年文部科学省告示第二十八号。以下「中学校学習指導要領」という。)の道徳科の解説(以下単に「解説」という。)においては、他の児童生徒と比較して優劣を決めるような評価はなじまないことに留意する必要がある旨を記述している。
 お尋ねの道徳科における評価の資料や方法については、中央教育審議会で平成二十六年十月二十一日に取りまとめられた「道徳教育に係る教育課程の改善等について(答申)」(以下「答申」という。)において「児童生徒の作文やノート、質問紙、発言や行動の観察、面接など、様々な方法で資料等を収集」した上で「例えば、指導のねらいに即した観点による評価・・・など多種多様な方法の中から適切な方法を用いて評価を行い、課題を明確にして指導の充実を図ることが望まれる」とされていること等を踏まえ、専門家会議において検討しているところである。
 「評価の基準」に関するお尋ねについては、お尋ねの「評価の基準」がどのような評価を行うためのものなのか及びどのような基準を意味しているのかが必ずしも明らかではないため、いずれのお尋ねについてもお答えすることは困難であるが、教育課程の基準である小学校学習指導要領及び中学校学習指導要領の解説において、先に述べたとおり、他の児童生徒と比較して優劣を決めるような評価はなじまないことに留意する必要がある旨を記述しており、また、答申において「児童生徒が自らの成長を実感し、学習意欲を高め、道徳性の向上につなげていくとともに、評価を踏まえ、教員が道徳教育に関する目標や計画、指導方法の改善・充実に取り組むことが期待される」と指摘されていること等を踏まえ、専門家会議において、道徳科における評価について、数値による評価ではなく記述式の評価とすること、他の児童生徒との比較による相対評価ではなく児童生徒がいかに成長したかを積極的に受け止め励ます評価とすること、「善悪の判断、自律、自由と責任」といった個々の内容項目ごとではなく大ぐくりなまとまりを踏まえた評価とすること等の点を検討しているところである。
 お尋ねの「いわゆる「愛国心教育」」については、政府として、その定義について特定の見解を有しておらず、様々な意味で用いられているものと承知していることから、「いわゆる「愛国心教育」」の意味するところについてお答えすることは困難であるが、お尋ねの「「国や郷土を愛する心をもつこと」を教育すること」については、道徳科の指導内容として、小学校学習指導要領において「我が国や郷土の伝統と文化を大切にし、先人の努力を知り、国や郷土を愛する心をもつこと」等と規定し、中学校学習指導要領において「優れた伝統の継承と新しい文化の創造に貢献するとともに、日本人としての自覚をもって国を愛し、国家及び社会の形成者として、その発展に努めること」等と規定しており、前者の意味するところについては、小学校学習指導要領の解説において「ここでいう「国や郷土を愛する」とは、教育基本法において教育の目標として「伝統と文化をはぐくんできた我が国や郷土を愛する態度」(第二条第五号)を養うと定めているのと同様の趣旨であり、我が国や郷土を愛する「態度」と「心」は、教育の過程を通じて、一体として養われるものである」等と記述し、後者の意味するところについては、中学校学習指導要領の解説において「「国を愛し」とは、歴史的・文化的な共同体としての我が国を愛し、国家及び社会の形成者として、その発展を願い、それに寄与しようとすることであり、そのような態度は心と一体として養われるものであるという趣旨である」等と記述している。また、ここにいう「国」については、小学校学習指導要領及び中学校学習指導要領の解説において、政府や内閣などの統治機構を意味するものではなく、歴史的に形成されてきた国民、国土、伝統、文化などからなる歴史的・文化的な共同体としての国を意味するものである旨記述している。
 お尋ねの道徳科において「「評価をする」こと」と「「成績をつける」こと」については、先の答弁書(平成二十八年一月十二日内閣衆質一九〇第一〇号)でお答えしたとおりであり、お尋ねの「成績をつける」の意味するところが必ずしも明らかではないが、道徳科における評価については、小学校学習指導要領及び中学校学習指導要領において、児童生徒の「学習状況や道徳性に係る成長の様子を継続的に把握し、指導に生かすよう努める必要がある。ただし、数値などによる評価は行わないものとする」としており、また、先に述べたとおり、専門家会議において検討しているところである。
再質問
 前回の内閣からの答弁書は「国会答弁を参照せよ」というような趣旨の答弁であり、答弁になっていなかった。再度、質問をするので、今度はしっかりと答弁願いたい。
 約二年後の平成三十年四月からは全国の小学校で、約三年後の平成三十一年四月からは全国の中学校で、道徳を教育課程上「特別の教科」と位置付けた上で、児童・生徒の道徳に対する評価をするとしている。その評価は、数値による評価でなく、記述式の評価であり、他の児童・生徒との比較による相対評価ではなく、その児童・生徒がいかに成長したかを評価するとしている。その道徳科の指導内容としては「国や郷土を愛する心をもつこと」、いわゆる「愛国心教育」も含まれるとしている。
 私は、道徳心や愛国心は重要であると考えるが、児童・生徒一人ひとりの道徳心や愛国心を評価する、つまり成績を付ける、ということには強い違和感を持つ。しかも、それが、中学受験や高校受験の内申書(中学や高校の入学者選抜に用いられる調査書)にも記載される可能性が否定されてはいない。
 私は、子どもたちの「道徳心」や「愛国心」を評価することによって、国に対する批判を自粛する空気が広がったり、政府が望ましいと考える道徳心だけが推奨され多様な価値観が損なわれたりする等、非常に息苦しい社会が到来するのではないかとの懸念を持つ。
 そこでお尋ねする。
 まず、ここまで述べた私の見解について、内閣のご意見をお示し願いたい。また、事実関係について誤りがあるとすればお示し願いたい。
 また、中学受験や高校受験のいわゆる内申書に児童・生徒の道徳の評価が記載される可能性があるのか、無いのか、あるいは検討中なのか、お尋ねする。
 また、入学者選抜には使わせないとした上で、受験先の中学、高校に送る内申書には道徳の評価を記載するという可能性はあるのか、無いのか、お答え願いたい。
 中学や高校の入学者選抜に用いられる調査書の様式等は、都道府県の教育委員会等入学者選抜の実施者が決定するものであるため、都道府県の教育委員会の判断次第では受験の内申書に道徳の評価を記載する可能性があると考えて良いか。
 前回の答弁書では、「平成二十八年二月五日の衆議院予算委員会における長妻昭委員の質疑に対する安倍内閣総理大臣の答弁及び馳文部科学大臣の答弁において述べているとおり」との答弁であった。具体的にどの答弁部分なのかを示した上で、今回の質問の答弁となるように文言を補足・整理して、答弁願いたい。
 右質問する。
答弁
 お尋ねの「見解」及び「事実関係」の具体的な範囲が必ずしも明らかではないが、お尋ねにある「私は、道徳心や愛国心は重要であると考えるが、(中略)否定されてはいない。私は、子どもたちの「道徳心」や「愛国心」を評価することによって、国に対する批判を自粛する空気が広がったり」するとの見解及びお尋ねにある「約二年後の平成三十年四月からは(中略)いわゆる「愛国心教育」も含まれるとしている」との事実関係については、先の答弁書(平成二十八年一月十二日内閣衆質一九〇第一〇号。以下「一〇号答弁書」という。)及び先の答弁書(平成二十八年五月十三日内閣衆質一九〇第二五九号。以下「二五九号答弁書」という。)においてお答えしたとおりである。また、お尋ねにある「政府が望ましいと考える道徳心だけが推奨され」の意味するところが必ずしも明らかではないが、特別の教科である道徳(以下「道徳科」という。)における児童生徒の学習の評価については、一〇号答弁書で答弁したとおり数値などによる評価は行わないこととしており、また、一〇号答弁書で述べた学習指導要領の解説も踏まえれば、お尋ねにある「多様な価値観が損なわれたりする等、非常に息苦しい社会が到来するのではないかとの懸念」は当たらないものと考えている。
 「中学受験や高校受験のいわゆる内申書に児童・生徒の道徳の評価が記載される可能性があるのか、無いのか、あるいは検討中なのか」及び「中学や高校の入学者選抜に用いられる調査書の様式等は・・・決定するものであるため・・・内申書に道徳の評価を記載する可能性があると考えて良いか」とのお尋ねについては、一〇号答弁書及び二五九号答弁書でお答えしたとおりである。また、「入学者選抜には使わせないとした上で、受験先の中学、高校に送る内申書には道徳の評価を記載するという可能性はあるのか、無いのか」とのお尋ねについては、「入学者選抜には使わせないとした上で」の意味するところが必ずしも明らかではないため、お答えすることは困難であるが、道徳科における児童生徒の学習の評価と調査書との関係は、一〇号答弁書及び二五九号答弁書でお答えしたとおりである。
 御指摘の「平成二十八年二月五日の衆議院予算委員会における長妻昭委員の質疑に対する安倍内閣総理大臣の答弁及び馳文部科学大臣の答弁」におけるお尋ねの「部分」は、安倍内閣総理大臣が、入学者選抜の方法や調査書の書式等は、都道府県教育員会等が設定するものであるとした上で、道徳科の評価は数値による評価ではないため、教科の評定のように入試において他の生徒と数値の上での優劣を付けるような扱いがなされることはないものと考えている旨を述べた部分及び馳文部科学大臣が、道徳科の評価については入学者選抜とはなじまない側面があることを前提とし、更に専門的な検討が行われている旨を述べた部分である。


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