音で訪ねる ニッポン時空旅「あの世に歌う~なき唄」の聴取メモ
以前、与論島の洗骨の儀式についてメモしたことがあった。
土葬への嫌悪感について: 思いついたことをなんでも書いていくブログ
もともと風葬であった地域に明治政府からの圧力があり、埋葬方法が土葬に、さらに火葬に変わっていったこと、そして、風葬から土葬に変わった後、土の中で苦しい思いをした死者の霊を慰めるために生まれたのが洗骨の儀式だということであった。
今回、たまたまラジオを聴いていて、それにつながりそうな話を拾ったので、聴取記録をメモしておく。今回は徳之島の話である。
洗骨の儀式をテレビで見たときには、風葬でも土葬でも肉体を自然な腐敗に任せることには変わりがないのに、なぜ、この地域の人々が死者が土の中で朽ちていくことを耐え難く感じるのか、その感覚がよく分からなかった。だが、今回のラジオでの解説を聞いて、少しその辛さが分かったような気がする。
それと同時に、風葬のような、目につく場所に死体を放置する、言わば見苦しく不衛生な方法がなぜ大切にされてきたのかも、少し分かったような気がする。
私の肌感覚は、遺体は火葬する、しかも野焼きではなく窯で肉を完全に灰にすることこそが、あるべき弔いだというものだ。今回の番組を聴いて、改めてその自分の無意識に潜む火葬中心の感覚を自覚することができた。と同時に、他の埋葬方法、土葬や風葬や鳥葬などへの違和感も和らいだような気がする。
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NHKラジオ 音で訪ねる ニッポン時空旅「あの世に歌う~なき唄」
出演:永野宗典・本多力(ヨーロッパ企画)、サカキマンゴー(親指ピアノ演奏者)
【解説】島添貴美子(富山大学)
※「なき唄」とは葬送時の泣き歌のこと。
ストリーミングを聴く - 音で訪ねる ニッポン時空旅 - NHK
日本では葬式は静かにしめやかに行うものという感覚があり、葬儀で歌ったり踊ったりすることはマナー違反と思われがちだが、世界各地には葬儀で歌い踊る習慣がある。実は日本にも葬儀で歌う習慣はあるという話で、以下、徳之島の「なき唄」が紹介される。
(以下のメモは「こう聞こえた」という記録であり間違いがありうる。また「なきうた」の表記は番組に合わせて「なき唄」としたが、「なく」を「泣く」とするなど一部表記が揺らいでいる。そのほかの表記方法も同様である。)
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前略
本多:女性達が歌っておりますが…。
島添:はい。「くや」と言います。集落によっては「うもい」「おもり」「うやむい」などと言われる歌なんですが、短い節で死者への呼びかけを繰り返します。で、遺族の方が、「うもりさーれ」うもりをしてくださいとか、あるいは、声を掛けてくださいというふうな形で所望しますと、亡骸に向かってその場の女性達が声をそろえて歌いかけるわけです。
で、徳之島の郷土史家松山光秀氏によりますと、近親の女性達が亡骸を囲んで「くや」を歌い、歌いながら亡骸の顔をのぞき込んだり、死後の硬直を防ぐために手足を曲げたり揉んだりするそうなんです。
で、この「くや」なんですけれども、臨終の直後から始まって、途切れさせてはいけないと言われまして、「くや」の呼びかけというのは何度も何度も繰り返されるわけなんです。
で、この呼びかけの言葉なんですけれども、亡くなった人の年齢によって変わるそうでして、(今)聞いている「くや」は「うやまなし」、親のことですね。
島添:で、実はこうやって「くや」が繰り返される中で、遺族の方々は「いぎゃねい」、これはしのび(忍び?偲び?)ごとと訳されるものなんですけれども、この「いぎゃねい」を死者に対して語りかけたりもしているんです。で、この「いぎゃねい」というのは、死者に対して何を話しても良いけれども、例えば、また戻っておいでという類の言葉は慎むようにしなければいけない。それで、あなたはもう何一つ思い残すことはないから、どうかまっすぐ先島(さきしま)に行ってください、先島というのはあの世のことなんですけれども、どうかあの世へ行ってくださいとか、どうか後ろは振り向かないでくださいといった暇乞いの言葉を死者に言いかけるわけなんです。
で、「くや」というのは「どうして亡くなってしまったの」っていうような思いが詰まる言葉があるんですけれども、その一方で「いぎゃねい」によって、使者が戻ってこないように、ちゃんと無事にあの世に行ってくれるように細心の注意を払うんですね。
サカキ:仏教的に言えば成仏してくださいっていう……。
島添:そうそう。無事にあの世に行ってくださいということですよね。
本田:そうか。悲しんでいるだけやとね、行きづらいですもんね。
島添:そうです。逆に、身が引かれるような思いでこの世に留まり続けるっていうのはやっぱり良くないことだ、と。
永野:送る側も気持ちをそうやって整理するということなんですかねえ。
島添:そうですよね。で、その一方で「くや」はもうどうして亡くなってしまったのっていうふうな思いがあふれ出るような言葉が出てくると。そのバランスって絶妙ですよね。
島添:ところがですね、文化人類学者の酒井正子が書かれた『哭きうたの民族誌』という本によりますと、この島のほとんどの集落にこうした泣き歌、あったようなんですけれども、お坊さんがいなかったので、結局「くや」、こういう歌を歌って死者を送ったというふうに…。
本多:あ、さっき言っていたみたいに、自分らで送っていたということなんですね。
島添:ところが、1960年代くらいから徐々に歌われなくなったといいます。お坊さんがお経を唱えるのがお弔いという形になっていたということだと思いますが。
本多:なるほど。で、そうしてですね、葬儀が終わった後も別の歌がまたあるんですって。残された遺族の方々が寂しさを紛らわすために口ずさんだ歌なんですけれども、手々集落の「やがま節」というそうです。先生、この「やがま節」の内容というのは?
島添:はい。歌の内容を訳しますと、「幼子を亡くしたら、あぜ道を踏み外すほど、夫を亡くしたら、死ぬほどの苦しみだ。」で、これが一節目で、二節目が「愛しい兄さん、どこに行ったの。いくさき浜の真ん中に。」このいくさき浜ってお墓があった浜と言われていますね。だから亡くなったらお墓の真ん中に行っちゃった、という話ですよね。で三節目なんですが、亡くなった人が戻ってくるのではないかと思いながら、「北の戸口も恋しい、南の戸口も恋しい。で、恋しい人の声を待っている」という内容の歌です。
本多:なるほど。じゃあそれをイメージしながら聴いていただきましょう。「やがま節」、山田ときさんの演唱です。
歌
島添:で、「やがま節」の「やがま」なのですけれども、「とぅるばか」と言いまして、洞窟をお墓に利用したり、あるいは岩に穴を開けてそれをお墓にしたりするようなお墓のことを「とぅるばか」と言うんですけれども、結局この歌というのは、お墓の前での死者の別れの歌遊びに歌われた歌というような説があったり、あるいはその「やがま」っていうのは、腹立ちとかわだかまりなど鬱積した思いを吐き出すこととも言われていまして、だからその、亡くなった人に対する思いを吐き出すっていうところで「やがま」というふうに言うという説もあるというものなんです。大体四十九日ごろまで残された家族が寂しさを紛らわすために口ずさんだ歌なんだそうです。
まあ、いくさき浜、お墓のある浜とか、「とぅーるばか」みたいないろいろ…?…に入ってくるんですけれども、これ、かつて南西諸島では風葬の習慣があったんです。で、風葬というのは洞窟に亡骸を置きまして風化させるという埋葬の方法なんですけれども、四十九日といいますとちょうどその亡骸の肉が落ちて骨になっていく頃が大体四十九日なんですね。南の島ってやっぱり気温が高くて湿度があるので、まあ肉体の腐敗はやっぱり早いと思うんです。で、この亡骸が腐敗して骨になっていく最中というのは、まあ死者にとっては非常に苦しい時期だと考えられておりまして、それで、死者を慰め励ますために、残された家族や友人達が墓参りを繰り返すわけなんですね。で、こうやって「やがま節」とかを歌うわけなんですけれども、で、逆にこれが生きている人たちにとっても、時間をかけてその亡くなった人とお別れをし、それで気持ちの整理をしていく時間にもなっていたわけなんです。
サカキ:これは、見に行くんですか。腐敗して骨になるまで。
島添:そうなんです、毎日お墓を見に行くんですね。で、そうすると一日一日亡骸の状態が変わっていくのを毎日見に行くわけなんです。
本多:えぇーっ。何とも言えない気持ちになりそうですね。
島添:で、たぶんなんですが、ものすごい臭いもしてくるはずで、そこでその、本当に亡くなったということをここでたぶん実感していくんだと思うんですね、日に日に。
サカキ:今と比べると考えられないくらい死が身近ですよね。
島添:そう思います。
サカキ:そこにちっちゃいときから例えば一緒に通っていたら……。
島添:そうですよね。
本多:死ぬっていうことはこういうことかってね。
サカキ:自分もこうなるのか。
島添:そうですね。まあ沖縄の文献を読んでいますと、だからその、毎日見に行きますよね。それでお棺から亡骸を取り出して、腰を掛けさせて一緒に歌遊びをしたりとかっていうような習慣がある地域とかもあったそうなんですが。ところが腐敗が進んでくると、もう腰掛けさせることができなくなるんですよね。で、そこで本当にこの人は亡くなったんだってことをここで確認できる、実感するわけなんですね。
本多:えぇーっ。そうかあ。
永野:本当に現代とは死との向き合い方が全く違いますよね。
島添:で、あとやっぱり、亡くなる人にとっても、火葬は熱くて、灰になるというのは、もうあの世に行けないっていうふうに考えているわけで、かといって、土葬だと冷たい地面の下に置かれるのはやはり辛いだろうということで、だからやっぱり、風葬の習慣があったところっていうのはそうやって埋葬されることがあの世に行く正しい方法なわけなんです。
本多・永野:なるほどね。
永野:まあ自然な発想だったんですかね。ずっと寄り添って。
島添:そうですね。
本多:で、これまで徳之島の「泣き歌」で時空旅して参りましたが、最後にもう一曲ですね、今度は日本最西端の島、与那国島の泣き歌を聴いてみたいなと思います。葬儀のときに残された人々が故人をなくした悲しみを歌に託したという「みらぬ歌」です。先生、こちらの歌の内容を。
島添:はい。「見ない仲なら見ないでよかったのに。知らない仲なら知らないで済んだのに」という。で、「かわいそうな奴、切ないなあ」っていうふうな歌詞が一節目にあり、で、二節目。「見ないうちはともかく、見れば抱きたくなる。抱けば恋しくなり、思えばたまらない。」で、「かわいそうな奴、切ないなあ」という、ちょっと切ない内容で。では行きましょうか。
本多:はい。では宮良保全さん、富里康子さんの演唱で「みらぬ歌」、三線の伴奏付きで1978年の録音です。
歌
永野:じっと身を預けて聴いてしまいましたけれども。
島添:南の島の歌ですよねえ。
永野:風景もなんか目に浮かぶような。
島添:ゆたーっときますね。
一同:うーん…。
島添:まあ、先ほども引用してきました酒井先生の『哭きうたの民族誌』によりますと、この歌、お通夜で夜通し歌った歌だそうでして、亡くなった方の思い出などを即興で掛け合ったそうなんです。今も一応掛け合いにはなっていましたよね。ただですね、与那国では歌が崩れて伝承を危ぶむような声が挙がったこともありまして、10年掛けて楽譜化して、1970年に「民謡工工四(くんくんしー)」という楽譜集を出しているんですけれども、その影響だと思うのですが、この「みらぬ歌」も現在ではこの「民謡工工四」バージョンがステージなどで歌われるようになっているそうなんです。
サカキ:こうしないと残んないですけど、譜面化しないと残らないけれども、メロディーの多様性だったり歌詞の即興性ってのは損なわれてはいきますよね。固定化されちゃうから。この節で歌わないといけないっていうふうにはなっちゃいますね。
島添:そうですね。なのでたぶん「みらぬ歌」のバージョンも人によってずいぶんいろいろあったと思われるのですが、今は民謡工工四バージョン…。
サカキ:習慣が一緒に残っていないと残りようがないですよね。
島添:そう思います。
本多:そうか…。一個できちゃったらみんなそれで学んじゃうから…。
島添:そうですね。
後略
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メモの後書き
この番組で風葬の儀式について知り、思い出したのが「もがり(殯)」のことである。
今年8月に天皇が生前退位を望む談話をテレビで公表し、そこで「重い殯」が嫌だという話をした。
これに気づいたのは下記のブログの指摘による。
現天皇を「非常に厳しい状況下に置」いた「重い殯(もがり)」とは - kojitakenの日記
「殯」とは天皇の葬儀の一環で、遺体を即座に荼毘に付さず、一定期間そのまま安置し、その遺体と遺族などが対面し続けることを指すようだ。
この解説によれば、どうやら「殯」の習俗はアジア一帯にあり、日本古来の葬式にもあったらしい。どうも大王や皇室の儀礼であったような印象を受ける記述である。
現代の日本では通夜後早々に火葬するのが当然になっているが、実は風葬のエッセンスは、現代の皇室儀礼に(それが明治以降に再構成されたものであるにせよ)残っているのである。これを日本文化の古層だというつもりはないが、しかし皇室を奉ることで出発した近代日本が弾圧した習俗の本質が、実は皇室の儀礼にも含まれていたのは何とも皮肉というか、興味深い。
そしてもう一つ面白いことがある。天皇談話によれば、現在の天皇はどうやらその習俗を受け入れがたく苦痛に思っているらしいということである。彼は現代日本では殯の儀式を引き継ぐ唯一の男という役を背負わされているが、その古い儀式に馴染めない。火葬を当然とする現代日本の感覚に影響されているのである。その意味では彼も殯という弔い方を理解できない普通の現代日本の男性なのだ。
良くも悪くも現天皇は戦後日本の感覚を持った人なのだなあとは、折々に出される安倍政権を牽制するような発言でも感じていたことだった。日本国憲法にある象徴天皇制という原則、次第に拡張される「公式行事」による国民への浸透政策、そして戦争責任。日本の戦後民主主義とバランスを取りつつ天皇制を維持しようとしてきた人のように見える。そして、その戦後感覚から出られない人なのではないか。殯という弔い方を忌まわしいもの、ケガレのように思い、そこから逃れようとする彼の心情から、殯を時空を越えた連続性の中に位置づけ、弔いの奥深さを理解しようとする様子はうかがえない。自分の体験の中で培った天皇制理解に基づいて、その理想像を誠実に演じようとするが、その理解の枠からは一歩も出ようとすることがない。そのような人のように思えるのである。
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