« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

2016年10月の4件の記事

2016/10/20

大阪府知事、松井一郎氏(維新)事が「土人」「シナ人」発言者をねぎらった件

はてなブックマーク - 松井一郎さんのツイート: "ネットでの映像を見ましたが、表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様。 https://t.co/W

当然だが、松井知事の発言には批判が集中している。

彼自身が反基地運動の人々を人間だと思っておらず、毛嫌いし、そして抹殺したい(害虫駆除のように)と思っていることを明らかにした――それも堂々と――わけである。

……ちなみに、松井氏や彼が所属する「維新」(ややこしいので「維新」とまとめる)は、阪神間で高い支持を得ている、ちなみにだけど。

ブコメには、機動隊員の暴言・差別表現について、表現が過激なだけだとか、荒々しい人たちの表現の一形態にすぎないとかいう声がある。
これらの声は、反批判としては的を外している。怒りや憎悪の表現として「土人」とか「シナ人」とかいう語が選ばれること、そしてその表現を含めて「一生懸命」とねぎらう感覚、そのこと自体が大きな間違いだという話に対して、「怒号が飛ぶのはやむを得ない」という反論は論点からずれている。
思わず口を突いて出た表現にはその人の本音や基本認識が表れるということを想起すれば、これらが隊員の暴言や知事のツイートの擁護には全くなっていないということが分かる。むしろ、彼らが普段から沖縄県民や外国人に差別感情を抱いているという指摘を補強する言説でしかない。

警察、軍隊・自衛隊、海上保安庁や入管など、治安機関は人権を制限し実力を行使する機関である。本来なら、治安機関こそ人権や法治を最も深く理解し尊重しなければならないはずなのだ。そして知事は警察の上に立つ者である。その彼らが、普段から沖縄県民や外国人を劣等人種だと認識し憎悪していることが批判されているわけである。……まあ、もっとも、松井知事にせよ機動隊員にせよ「そんな風には思っていない」と否定するだろうけど。

ところで、差別発言が取りざたされているが、差別発言だけが問題ではないのは当然である。そもそも、抗議行動をしている人たちへの暴力が問題なのであり、さらに言えば、工事を強行している政府の行動こそが問題なのである。

だが、今回この差別発言と知事の「ねぎらい」がクローズアップされたのは、治安部隊の暴力や政府の姿勢を支持・容認する人々にすら、「さすがにこれはよくない」と考えた人がいることを示しているのだろう。

しかし、これらの工事強行・抗議者への暴力は、そもそも沖縄県民への蔑視と深く結びついていると私は思う。確かに抗議者には県外の人も入っているけれども、沖縄を捨て石とする意識の本質が鋭く表れているのが高江の現状ではないか。それに怒り、抵抗する人々の意識を切り離してはこの抗議行動の本質は捉えられない。抗議者への暴力はいいが差別発言はダメだという姿勢では、沖縄への(そして差別に抗議する者への)差別や憎悪を沈潜させるだけだろう。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2016/10/08

国士舘大学の先生方のせいではないみたい

国士舘大学法学部が以下のような懸賞論文を募集している。

国士舘創立100周年記念企画 学生論文募集|在学生・保護者の皆さまへのお知らせ|国士舘大学

―東京裁判を現代に問う―
主催:国士舘大学 極東国際軍事裁判研究プロジェクト
後援:産経新聞社
 戦後70年を経過した今、日本人が忘れてはいけないことの一つが「極東国際軍事裁判」いわゆる東京裁判ではないでしょうか。研究者による著書や論文は数多く存在しますが、現代の若者の目から見た東京裁判とはいかなるものか、ご自身の考えを世に問いかけてみませんか。

あっ……。すごくアレな感じの匂いを感じる。国士舘大学、やっちゃったな!という感じだ。

……だが、どこか懐かしさを感じるのは、大学生時代によく勧誘された原理研ダミーサークルの呼びかけと似た文体だからだろうか。

そう思いながら呼びかけを読んでみる。

Ⅲ. テーマ
 極東国際軍事裁判(東京裁判)に関するものなら自由です。東京裁判は、今日でも、なお検討に値する極めて重要な日本の課題として存在しています。
 この裁判を多くの角度から検討することが、戦後日本の在り方を多方面から検証すること、及び戦後の日本人の精神の在り方に自覚的に向き合うこと、に通じるであろうと思われます。加速度的に発展する社会の中で失ってはならないものとは、真実を探求する心です。戦後日本と日本人の精神の在り方を見すえて、従来の「東京裁判」論を越えていく様な野心的で、斬新な論文作成をお願いします。
主催者の意図がにじみ出していて味わいがある。

しかし違和感もある。そもそも法学部(法学、行政学、政治学関係)からの呼びかけにしては脈絡が分かりにくい文章である。東京裁判をゼミや授業で取り上げているような経緯があるのだろうか。

もう一つ奇妙に思ったのが、応募資格である。国士舘の在籍者に限るという条件に加えて、

この募集の趣旨に賛同する方。
という条件があるのである。
「趣旨に賛同する」ってどういう意味だろう(笑)。

あと、「30歳未満」という謎の年齢制限が付いていてちょっと興味をそそられるがそれはまあいいとしておく。

で、誰がこういう企画をやっているかというと、以下の名前が出ている。


審査委員長:篠原 敏雄(国士舘大学教授)
審査委員 :牛村  圭(国際日本文化研究センター教授)
      福永 清貴(国士舘大学教授)
      本山 雅弘(国士舘大学教授)
      榊原 智 (産経新聞社論説委員)
……「歴史認識問題研究会」とかいうのを立ち上げた人たちが入っていないな……。

ま、まあ、とりあえず、この人達がどういう人たちなのかを見ていくことにする。

産経新聞社の榊原氏は、まあ期待通り。「榊原智の政権考 iRONNA」を見ればだいたい分かるように、この企画とよく合っている。

で、それ以外の人。国士舘の法学部は産経史観(?)の人が集う場所なんだろうか。「国士の館」と書くぐらいだしな……。

そこで、大学の研究者情報とCiNiiで業績を見てみることにした。

●篠原 敏雄 氏(国士舘大学法学部教授)

国士舘大学 教員情報(最終更新日が2010年3月。古いかも。)

法哲学、法社会学。ヘーゲル法、市民法。ドイツ法。ドイツイデオロギーなどにかんする著作もあるから、初期マルクスとヘーゲルとかの関係だろうか。
国家論みたいな話だと産経が期待するストーリーとちょっと重なるかもしれないけれど、どう関係するのかよく分からない。

●福永 清貴 氏(国士舘大学法学部教授)

国士舘大学 教員情報

現在の専門分野は、民事訴訟法、民事執行法、民事保全法、破産法とのこと。
CiNiiで見ても業績もその分野に集中しているみたい。

●本山 雅弘 氏(国士舘大学法学部教授)

国士舘大学 教員情報

専門は著作権法だとのこと。CiNiiでもそれ以外の著作はあまりなさそうだった。

ということは、なんと、国士舘の人はどうも全然関係なさそうなんである。少なくとも専門や業績上は。

どういうこっちゃ?と思ったら、どうやら本命は日文研の牛島氏のようであった。国士舘大学の人ではないんですな。

●牛村 圭 氏(国際日本文化研究センター教授)

牛村氏の経歴と業績→ 国際日本文化研究センター|牛村 圭|

氏を知っていればすぐ分かったことだろうが寡聞にして存じ上げなかった。お恥ずかしい次第。それにしても日文研は多士済々ですな(笑)。

で、牛村先生は元々比較文化論の人で、先生によれば、東京裁判は勝者の裁判であり異文化接触であったそうである。

先生の問題意識については、上記ページの自己紹介ビデオにある説明が分かりやすい。

近現代日本の思想史、とりわけ比較文化論や文明論に関心を持っています。学部学生として外国文学を学んだ後、大学院で比較文学の手ほどきを受け、後に北米へ留学し、日本史を中心にしつつ西洋の思想史や文化人類学をも学びました。
ここ5年ほどの間に、先の大戦後の対日戦争犯罪裁判をテーマとする本を3冊上梓しました。いずれも戦犯裁判が西洋という異文化異文明による裁きだった、すなわち、異文化接触の場を日本に図らずも提供したという視点を根底に持ちます。しかし最近ではこの裁きが戦後日本の精神史に及ぼした影響を考察する方へと関心が移っています。
これとは別にスポーツ文明論とも言うべき分野をも開拓中です。具体的には近代日本とオリンピックとの関わりを旧来の体育史という枠組みを超えて文明の視点から論じる著作を次の目標に掲げています。
母国語だけでなく外国語を通して研究成果を発表することに加え、海外の優れた日本史研究をも翻訳などを通して紹介していきたいと考えています。
なるほど、先生によれば、東京裁判は征服者が異質な蛮族を従えた事件であり、戦後とは被征服者が支配者の文化文明に同化吸収されていく過程だということなのだろうか。

戦争や占領を異文化接触の現象と見るという視点は面白そうではあるのだが、しかしどうしてか私は「文明論」にいい印象がない。ステレオタイプを前提として調査と考察を重ねてステレオタイプを確認して安心するみたいな、一時代前の雑ぱくで循環論的な社会論という先入観を持ってしまう。「枠組みを超える」のも研究者の常套句だけれど、歴史学プロパーでなさそうな人がそれを言うとちょっと気になる…。

で、牛村氏の業績は上記の日文研ページを見れば雰囲気が分かる。わりと真面目な著作が並んでいる。

ただ、この日文研の紹介には載せていない著作もいくつかあるみたいである。「CiNii Articles 著者検索 - 牛村 圭」によれば、次のような著作もあるようだ。

山本七平と東京裁判--空前の思索家は「勝者の裁き」をいかに考察したのか (2002), Voice (291), 118-129, 2002-03

「国際軍事法廷」は「文明の裁き」たりうるか--勝者の裁きが正義だって?腐り果てた軛をあるかの如く振舞う奴隷根性よ、さらば (「サンフランシスコ講和条約」50年 背骨をへし折られたまま、何時まで「敗北を抱きしめて」いるのか! 日本の国格--「東京裁判」と「吉田ドクトリン」をこえて) (2002), (工藤 雪枝 , クライン 孝子 [他]との共著?), 諸君 34(2), 58-71, 2002-02)

検証 戦後日本人の「知的怠惰」が間違いだらけの「東京裁判史観」を生んだ (SIMULATION REPORT 「靖國」「広島」「東京裁判」「60年前の戦争」に決着を) (2005), サピオ 17(16), 24-26, 2005-08-24

東條英機--「勝者の裁き」に対峙した戦時宰相 (特集 論点検証 大東亜戦争) -- (大東亜戦争をめぐる群像) (2008), 歴史読本 53(9), 130-135, 2008-0

「『世紀の遺書』を読み直す--この人たちの言葉をかみしめないならば、日本民族に救いはない(火野葦平)」, 祖国と青年 (324), 22-31, 2005-09

なるほどー、という感じである。
2001年には山本七平賞を受賞している。

ちなみに、牛村氏は日文研の前に明星大学に勤務されていたとのこと。

……あっ。明星大学と言えば高橋史朗先生がいらっしゃるではないか。

*************
さて、まとめると、この懸賞論文の審査員、国士舘の先生方はほとんど専門ではないのであった。
もちろん、専門外で個人的な研究をしているのかもしれない。
ただ、なんとなく、この企画は法学部の自発的なものではないんじゃないかという気がする。呼びかけ文を見る限り、国士舘大学はほとんどハコ貸しみたいなものである。

審査員の構成にはその辺の事情が表れているような気がする。

……大人の事情でやむを得なかったのかな……とか。
……どういう企画にするか苦慮したのかなあ……とか。
……誰が関わるかで駆け引きがあったのかなあ……とか。
……審査員の先生方は面倒くさい作業を押しつけられるんだろうなあ……とか。
……どうして日文研でやらなかったのかなあ……とか。

いろいろ考えると味わい深い。
ただ少なくとも国士舘大学法学部が率先して「自虐史観を一掃せよ」みたいな感じになっているわけでもなさそうだということは何となく分かった。ちょっと安心した次第である。

国士舘大学法学部の先生方、変な色眼鏡で見てしまい、すみませんでした。
企画の成功をお祈りすると共に、某ホテルグループのアレとは一線を画すまともな論考が選ばれることを願っております。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2016/10/06

リオ五輪のメダリストに支払う奨励金は総額で1億5000万円弱、リオ五輪閉会式におけるわずか8分間の安倍マリオ演出にかかった費用が12億円。

なるほどーと思ったのでメモ。

盛田常夫 リベラル21 2024年五輪に立候補しているハンガリー

日本オリンピック委員会(JOC)がリオ五輪のメダリストに支払う奨励金は総額で1億5000万円弱だという。桁が一つ間違っているのではないかと考えるのは私だけでないだろう。これに比べ、リオ五輪閉会式におけるわずか8分間の安倍マリオ演出にかかった費用が12億円だと報道されている。本当にそうだとすると、主役であるはずの選手に報いることより、政治家のプレゼンスのために、五輪予算を使っていると言われても仕方がない。選手はエコノミー、政治家や役員はビジネスというのが日本の標準だから、奨励金の何倍ものお金が選手の派遣にかかわる直接経費以外の使途に使われている。一事が万事、日本の予算の使い方が間違っていないか。
 プロ競技がないオリンピック種目の選手は、競技生活を維持することや、競技から引退した後の生活に不安を抱えている。将来の生活設計が描けないスポーツ競技に、優れた運動能力をもっている青年が集まるはずがない。だから、現役時代に世界で活躍する選手には、もっと手厚く奨励金や報奨金を与え、選手の肖像権などから得られる収益を還元するなどして、選手が引退した後の生活が計算できるようにしなければならない。そうでなければ、五輪で活躍できる選手を多く生み出すことなどできない。まして、政治家のプレゼンスが目立つ五輪など噴飯物だ。予算を無駄遣いし、選手の将来より、権力維持に利用する政治家の姿は醜い。
私は五輪には元々大して興味もなく、「安倍マリオ」などの茶番もネットで見かけたものの、そのアホらしさのあまり直ちに忘却していた。しかし、このように金額で対比されるとその愚かしさがいっそう際立ってなかなか印象的ではある。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2016/10/02

グロテスクな理論の例

西日本はなぜ都会以外の住人でも地方であることを恥ずかしく思えないのか - Togetterまとめ

私は関西にとても好意的で、長崎は好きな日本の地域の1つなのだが、それでも本当に不思議なのが、西日本の非都市地域の謎の自画自賛の傾向である。ある種の地域ナショナリズムがあって、地元第一の感覚があることは非常に珍妙で、東京の目線で考えると不快ですらあるものだ
東京的に解釈すると、他所にない固有の独自性があってそれに基づいた有力なブランド性を有する地域こそが志向である。都会の場合東京がそもそもそうで、非大都市地域だと北海道(札幌自体は都会だが)や沖縄県に対する好意度も高い。沖縄に魅せられ定住する人が多いのもだいたいは東京人なんではないか
西日本はなぜ都会以外の住人でも地方であることを恥ずかしく思えないのか。これは本当に不思議である。普通東日本ならそう思って当たり前だろう。西日本でも一定はそういう人がいるだろうが、しかし、ネット上にはけして都会とはほど遠そうな癖に「東京よりも地元が上」みたいな傲慢な発想も少なくない
まずこの「謎の自画自賛傾向」自体が事実誤認。エスノセントリズムがにじむ悲しい認知の枠組みを露呈している。
そして、違った現象認識に基づいて、それを説明する理論を構築しようとするから、珍妙な思考が展開されることになる。
この種の議論はせいぜい茶の間の冗談ネタ程度に扱うのがふさわしいが、妙な地域意識を刺激する分始末が悪い。「エレベーターの中でおならをするのとエスカレーターの中でおならをするのとではどちらの方が罪が大きいか」の方がよほど上品だと思う。

社会事象は包括的・根本的な現象把握が困難だから、群盲象をなでる弊から逃れることはできないが、それにしても「自分の直感は本当に何かを言い当てているのか」は常に問い続けるようにしたい。他山の石他山の石…。

関連エントリ
思いついたことをなんでも書いていくブログ: 地域意識

| コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »