大阪府知事、松井一郎氏(維新)事が「土人」「シナ人」発言者をねぎらった件
当然だが、松井知事の発言には批判が集中している。
彼自身が反基地運動の人々を人間だと思っておらず、毛嫌いし、そして抹殺したい(害虫駆除のように)と思っていることを明らかにした――それも堂々と――わけである。
……ちなみに、松井氏や彼が所属する「維新」(ややこしいので「維新」とまとめる)は、阪神間で高い支持を得ている、ちなみにだけど。
ブコメには、機動隊員の暴言・差別表現について、表現が過激なだけだとか、荒々しい人たちの表現の一形態にすぎないとかいう声がある。
これらの声は、反批判としては的を外している。怒りや憎悪の表現として「土人」とか「シナ人」とかいう語が選ばれること、そしてその表現を含めて「一生懸命」とねぎらう感覚、そのこと自体が大きな間違いだという話に対して、「怒号が飛ぶのはやむを得ない」という反論は論点からずれている。
思わず口を突いて出た表現にはその人の本音や基本認識が表れるということを想起すれば、これらが隊員の暴言や知事のツイートの擁護には全くなっていないということが分かる。むしろ、彼らが普段から沖縄県民や外国人に差別感情を抱いているという指摘を補強する言説でしかない。
警察、軍隊・自衛隊、海上保安庁や入管など、治安機関は人権を制限し実力を行使する機関である。本来なら、治安機関こそ人権や法治を最も深く理解し尊重しなければならないはずなのだ。そして知事は警察の上に立つ者である。その彼らが、普段から沖縄県民や外国人を劣等人種だと認識し憎悪していることが批判されているわけである。……まあ、もっとも、松井知事にせよ機動隊員にせよ「そんな風には思っていない」と否定するだろうけど。
ところで、差別発言が取りざたされているが、差別発言だけが問題ではないのは当然である。そもそも、抗議行動をしている人たちへの暴力が問題なのであり、さらに言えば、工事を強行している政府の行動こそが問題なのである。
だが、今回この差別発言と知事の「ねぎらい」がクローズアップされたのは、治安部隊の暴力や政府の姿勢を支持・容認する人々にすら、「さすがにこれはよくない」と考えた人がいることを示しているのだろう。
しかし、これらの工事強行・抗議者への暴力は、そもそも沖縄県民への蔑視と深く結びついていると私は思う。確かに抗議者には県外の人も入っているけれども、沖縄を捨て石とする意識の本質が鋭く表れているのが高江の現状ではないか。それに怒り、抵抗する人々の意識を切り離してはこの抗議行動の本質は捉えられない。抗議者への暴力はいいが差別発言はダメだという姿勢では、沖縄への(そして差別に抗議する者への)差別や憎悪を沈潜させるだけだろう。
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