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2018年5月の7件の記事

2018/05/22

会社ぐるみで一人の従業員を監視、異常な記録を堂々と労働審判に提出

分刻み“監視”はパワハラ? トイレの回数・時間も社内で共有 会社側「労務管理のため」|【西日本新聞】
2018年05月13日 06時00分

 国会で働き方改革関連法案の審議が続く中、職場のパワーハラスメント(パワハラ)への関心が高まっている。特命取材班にも「会社で上司や同僚から監視され続けた」と訴える声が寄せられた。トイレの回数や時間も記録されたという。会社側は「労務管理のため」と説明する。パワハラに当たらないのか。

 「私一人だけ監視され、苦しかった」。こう訴えるのは、大分県中津市に住む40代女性だ。2014年8月、ある薬品販売会社の支店に入社。事務員として17年12月まで働いた。

 女性の話によると、支店ではサービス残業が常態化し、支店長が「サービス残業はうちの伝統だ」と口にしていた。抗議した女性には残業代が支払われるようになったが、同僚との関係が悪化。「仕事ができない。完全に駄目」と暴言を浴び、一人だけお茶を出されないなど職場ぐるみの嫌がらせが始まったという。女性はストレス性の過敏性腸症候群を発症し、頻繁にトイレに行くようになった。

 「監視」はその後始まった。同僚が女性のトイレ時間や回数の計測表を作り、メールで支店や本社の社員に送信。17年1~11月には、支店長が女性の行動を別の同僚に報告させていた。

      ■

 同社は17年12月、女性に解雇通知書を渡し、直後に解雇の有効性を確認する労働審判を申し立てた。その過程で、同僚の報告をまとめた「週報」が証拠書類として示された。

 「週報」には離席時間だけでなく、「鼻にティッシュをねじ込みながらカレンダーを眺める」「携帯メール」など、女性の行動が分刻みで記されていた。プライベートの予定を記した女性の卓上カレンダーの写真を添え、携帯電話の通話先や就業後の行動を探る記述もあった。女性は記録されていたことを知らなかったという。

 特命取材班に対し、同社は「就労時間中に長時間にわたって離席し、職務専念義務に違反していた。プライベートを四六時中監視したわけでなく、労務管理上、必要かつ妥当だった」と説明。職場で女性の就労態度に対する苦情があり、指導しても改善されないため報告させたという。一方、トイレの計測表を社内で共有した点については「問題があった」と認めた。

 その後、同社が申し立てを取り下げたため、労働審判の結論は出ていない。

      ■

 厚生労働省の有識者検討会が3月にまとめた報告書では、パワハラは「職務上の地位など優位性を背景に、適正範囲を超え、精神的・身体的苦痛を与えたり、職場環境を悪化させたりする行為」とされている。

 女性のケースについて、労働問題に詳しい森岡孝二関西大名誉教授(企業社会論)は「着替えや喫煙の時間を計り、労務時間から引く事例はあるが、今回は女性に精神的苦痛を与えており、極めて珍しい。業務に必要な範囲を逸脱し、パワハラ行為だ」と指摘する。

 もっとも、パワハラと業務命令との境界は、あいまいな面がある。

 全国の労働局などが設置する「総合労働相談コーナー」には16年度、パワハラを訴える相談が計約7万900件寄せられたが、必ずしもパワハラとはいえず、業務上合理的な理由があるとみられる事例もあった。厚労省ハラスメント防止対策室は「パワハラの法律上の定義はなく、労働関係法令にも取り締まりの規制はないのが現状」と打ち明ける。

 NPO法人「労働者を守る会」(東京)の坂本真一理事は「会社の規模や当事者の気持ち、相手の立場などでパワハラかどうかは変わり、セクハラ以上に基準が見えにくい。パワハラのない職場づくりに向け、ケース・バイ・ケースで考えていくしかない」と話した。

=2018/05/13付 西日本新聞朝刊=

監視行為が異常なのは当然として、もっと怖いのは、会社の中の人たちが、この異常な行動を異常だと思わなかったらしいこと。
多くの社員が、当たり前の業務の一つとして、日常の一コマとして同僚をじわじわと追いつめていく。ホラームービーのような現実。ナチスドイツ時代の絶滅収容所の職員たちのようだ。

そう言えば、最近話題になっている「余命なんとか」というブログに扇動されて弁護士懲戒請求を出した人々の話。
その人々の中に、弁護士である自分の弟を対象に懲戒請求を出した人がいたらしい。
曰く、その弟は反日的な日弁連に抵抗しなかったから懲戒に値するのだそうで、その弟と妻の二人は、非常時には殲滅(殺害)対象となってもやむを得ないのだそうだ。
この人やこれに類する人たちは、自分の身近で親しい人が「殺されてもやむを得ない、殺されるに値する罪を犯したのだから」と思い、自ら積極的に懲罰しようとしているわけだが、その理由が「日弁連の決定に抵抗しなかったから」という程度のことなのである。

上の記事の会社で同僚を分刻みで監視した人々とよく似ているなあと思うわけである。
君が代を歌っているか、口元を観察する校長先生たちとも同型の心情であろう。

参考:摸摸具和 「余命本1」「HB」と弁護士の弟に送ってきましたが、聞いたら読んでいな... : 【懲戒請求】余命三年時事日記騒動についての資料やあらすじ【13万】 - NAVER まとめ

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2018/05/20

大学非常勤・期限付き教員の割合

大学教員、半数は非常勤 常勤も4分の1が「期限付き」:朝日新聞デジタル
5/20(日) 11:45配信

 全国の大学の教員のうち約半数は非常勤で、常勤の専任教員も約4分の1が「特任」「特命」などの形で任期付き雇用となっていることが、朝日新聞と河合塾の共同調査「ひらく 日本の大学」で分かった。一般企業と同様、非正規や有期雇用が増えている形で、教育や研究の安定とともに、こうした教員の処遇が今後の課題となりそうだ。

 調査は昨年、国公私立大751校を対象に実施した。この質問に回答した659校の教員をみると、本務者(専任教員)は16万9458人、兼務者(非常勤教員)は延べ16万9164人でほぼ同数。ただ、非常勤教員は複数の大学をかけ持ちしている例もあり、延べ人数となる。また、専任教員のうち、任期付きは4万4401人だった。任期なしの専任教員は12万5057人で、全体に占める割合は約36・9%だった。

 非常勤教員の割合を国公私立別…

掲載図:「大学の教員数の推移」(魚拓

今回の調査は実数ではない。延べ人数。
どこかの大学の教員があちこちで非常勤をしていたりするし、一人で複数校を掛け持ちしたりするから、単純に回答を合計しても実数は分からない。
同じ大学で複数の科目を持つのも普通なので、個別大学の回答も、非常勤担当の授業数なのか、講師が何人いるのかで変わってくる。今回は後者のようだ。

特任教員などの場合、他に本業を持っている場合もある。
問題が深刻なのは非専任非常勤の人で、こちらは非常勤講師組合の調査があるような気がする。

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是枝裕和監督のカンヌ映画祭最優秀賞パルムドールの受賞インタビュー

インタビューは現代の日本社会への危機感や政策批判があり、社会への問題意識が作品の中核にあること、そしてその問題意識が国際的に広く共感されたことが受賞理由にあったことがうかがえる。

しかし今の日本では、こういう政府批判、社会批判を表だたせると批判の矢面に立つことになる。記事ページの「今日の感想」欄では、「興味深い」209件、「悲しい」12件、「すっきり」9件、「腹立つ」670件、「役に立つ」7件となっていて、この記事を不快に感じるという声が(もちろん嫌韓・排外主義者がたくさん押しているのだろうけど)、圧倒的に多い。

ツイッターなどでは「芸術に政治を絡めるな」という、ありがちな声もある。映画や文芸では、その社会性や政治性の中に人類普遍的なメッセージが込められているからこそ高く評価されることが多いのだからこの批判もつまらないものだが、今の日本ではこんな意見でも「異議申し立て=反社会的」という圧力となる。

こういう有形無形の圧力のなかで、社会的なメッセージをきちんと出して作品に結実させた是枝氏には見習うべきことが多いと思う。

血が混ざってこそ家族なのか、日本の家族は崩壊したが… | Joongang Ilbo | 中央日報
2018年05月17日10時33分

「初めて来た時は30代だったのに、いつの間にか50代になりました。カンヌに来るたびに今でもワクワクします」

第71回カンヌ映画祭が中盤に差し掛かった15日(現地時間)、現地のホテルで会った是枝裕和監督(56)の言葉だ。2001年映画『DISTANCE』でカンヌを初めて訪れた次世代監督はいつのまにか日本を代表する巨匠になった。パルム・ドール賞候補であるカンヌ映画祭コンペティション部門への正式出品は今回だけで5度目になる。

新作『万引き家族』は、この日まで公開されたコンペティション部門11本(全体21本)の中で最高の評価を受けている。英字メディア「Screen Daily(デイリースクリーン)」の星取表(jury grid)では平均3.2点(4点満点)をつけ、フランスのジャン・リュック・ゴダール(3点)や中国のジャ・ジャンクー(2.9点)らを抜いている。また、別のメディア「Variety(バラエティー)」は「さらに成熟し、心を盗む家族映画復帰作」と好評した。公式上映では8分余りのスタンディングオベーションとともに涙を拭う観客も多く見られた。

映画は、初枝(樹木希林扮)の年金と万引きで生計を立てている家族が、寒さに震えていた幼い少女(佐々木みゆ扮)を家に連れてきたことから始まる物語を描いている。今にも崩れそうな狭い家で築いた仲睦まじい彼らの日常に突然の危機が襲う。是枝監督は、5年前のカンヌ国際映画祭審査員賞作『そして父になる』(2013年)で投げかけた問いをもう一度取り上げた。家族を家族たらしめているのは血か、一緒に送った時間か--。ここに共同体が崩壊した日本社会の現実を重ねた。

--物語の着眼となった契機は。

「数年前に、日本では亡くなった親の年金を受け取るために死亡届を出さない詐欺事件が社会的に大きな怒りを買った。はるかに深刻な犯罪も多いのに、人々はなぜこのような軽犯罪にそこまで怒ったのか、深く考えることになった」

--血の混ざらない家族について描いている。

「日本では今も家族は『血縁』というイメージが固定化されている。特に、2011年大地震以降、このような家族の絆を大げさに強調する雰囲気について疑問を感じていた。国際的な状況もある。カンヌで会った多くの人々が、私に『私は里子なんだ』『私には養子がいる』と打ち明ける」

--主人公は社会のセーフティネットから疎外されている。

「日本は経済不況で階層間の両極化が進んだ。政府は貧困層を助ける代わりに失敗者として烙印を押し、貧困を個人の責任として処理している。映画の中の家族がその代表的な例だ」

--経済不況が日本をどのように変えたか。

「共同体文化が崩壊して家族が崩壊している。多様性を受け入れるほど成熟しておらず、ますます地域主義に傾倒していって、残ったのは国粋主義だけだった。日本が歴史を認めない根っこがここにある。アジア近隣諸国に申し訳ない気持ちだ。日本もドイツのように謝らなければならない。だが、同じ政権がずっと執権することによって私たちは多くの希望を失っている」

--前作と同じく、父子関係が印象的だ。

「映画で少年の祥太(城桧吏扮)は父(リリー・フランキー扮)と呼んでいた人がそれほど信じられないことに気づく。私の父は典型的な会社員だったが、私にも似たような感情があった。親に対する確固たる印象が崩れる瞬間、大人になるのだということを言いたかった」

--本当の家族とは。

「決まった答えも定義もない。だが、この映画に関していうなら、永遠に一緒にいられなくても、共に過ごした時間がそれぞれの人生の中に深く刻印されること、それ自体が家族なのではないかと思う」

--次の映画はフランス女優ジュリエット・ビノシュやカトリーヌ・ドヌーブと撮影すると聞いた。

「まだ公式発表前の『うわさ』だ(笑)。韓国にも一緒に映画を撮ってみたい俳優がいて、韓国やフランスの中でさまざまな可能性をめぐり悩んでいる」

今年のカンヌ映画祭は19日まで続く。コンペティション部門受賞作は同日閉幕式で発表される。

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喫煙者が敷地外で迷惑をかけるから禁煙にできないという迷惑な話。愛煙家の人々の貢献を期待したい…

教師、紫煙が目にしみる 福岡市の学校内全面禁煙 「校門の外で」に厳しい声|【西日本新聞】
2018年05月18日 06時00分

 「近所の中学校の校門前で、教職員と思われる大人がたばこを吸っている。子どもに喫煙の害を教える立場なのに、どういう意識なのでしょう」。福岡市西区に住む30代女性から、特命取材班にそんな声が届いた。他人のたばこの煙を吸い込む「受動喫煙」のリスクが叫ばれており、愛煙家は肩身が狭い。教育現場ではどうなっているのか。

 無料通信アプリLINE(ライン)でメッセージを寄せてくれた女性によると、平日は朝や放課後に2~3人、土日は部活動の合間にスポーツウエア姿の男性が校門の外に出てきてたばこを吸っているという。「授業で受動喫煙の危険性も教えているはず。生徒も通る校門の前で堂々と吸える神経が信じられない」と話す。

 学校での喫煙ルールはどうなっているのだろう。

 福岡市教育委員会は2005年、公共施設に受動喫煙対策を求めた健康増進法の施行を受け、市立の幼稚園や小中高校の敷地内を全面禁煙にした。16年8月には学校敷地内のプレハブ小屋を喫煙所として使い、教職員を誘って喫煙していたとして城南区の男性小学校長を減給処分にしている。

 さらに今年2月から福岡市役所が勤務時間中の喫煙を禁止したのに伴い、学校の敷地内外を問わず、勤務時間中は禁煙を徹底するよう各学校に通知を出した。

 休憩時間の喫煙は禁じていないが、そもそも教師の場合、勤務時間との境界線はあいまい。罰則はないとはいえ、女性が目撃した「教師」たちは、ルールに抵触しているように映る。

      ■

 文部科学省が今年3月に発表した、学校の受動喫煙防止対策に関する調査では、回答があった公立の幼稚園・小中高校など約3万7千校のうち93・4%が「敷地内全面禁煙」とした。学校での禁煙は、全国的な流れとなっている。

 もっとも、自治体によって温度差もあるようだ。長崎県は敷地内全面禁煙にしている学校が51・5%と九州7県で最も少なく、生徒が近づかない敷地内の一角を喫煙所として利用している場合があるという。「住宅地の学校だと、校門前で教職員がたばこを吸うと近隣から苦情があるため、苦渋の選択をしている」と長崎市教委。こうしたケースは他の自治体でもあった。

 教師の喫煙について、法政大学特任教授で教育評論家の尾木直樹氏は「喫煙の害を教える立場として自覚が足りない。ストレス解消のためというのは言い訳にならず、教師は生徒の手本にならなければいけない」と手厳しい。尾木氏自身は非喫煙者だそうだ。

 一方、複雑な表情を浮かべるのは、自身も愛煙家という日本たばこ産業(JT)九州支社の社会環境推進担当、小田桐友哉部長。「『敷地外で吸えばセーフ』ではなく、個人のモラルやマナーが問われている。職業的立場や状況、子どものことを考えて判断しなければならない」と話した。

      ■

 国立がん研究センター(東京)は、受動喫煙で肺がんになるリスクは受動喫煙しない場合に比べて約1・3倍となり、危険性が明確になったと発表した。20年東京五輪・パラリンピックに向け、受動喫煙対策の機運は高まる一方だ。

 かつての職員室では、たばこの煙が立ち込める光景は珍しくなかった。今は「通勤中の朝、車内でまとめて吸うしかない」(20代男性教師)という声も。愛煙家の教師にとって、年々つらい時代になっている。

 福岡市の50代の小学校男性教師は、30代でたばこをやめたという。「受動喫煙対策も、吸う権利も理解できる。ただ、喫煙だけを理由に、教師にレッテルを貼られるのはもったいない。職業上、それぞれが工夫しなければいけない時代でしょうね」と話した。

=2018/05/18付 西日本新聞朝刊=

掲載図:「九州地方の公立学校で実施している受動喫煙対策」((魚拓))

学校が全面禁煙にしたら、喫煙者が外で煙草を吸うようになって周辺から苦情が来るので、学校運営者が困っている……という話。

タバコは全宇宙から抹消すべきで喫煙者は殲滅してもいいのではと思うぐらいにタバコが大嫌いなので、だいぶ割り引いて聞いてもらいたいのだけれど、今の世の中、要するに、喫煙行為はどこでも迷惑になっているということだと思う。

ニコチン中毒、ニチコン依存症で、吸わずにいられない人からすれば、敷地から追い出されてやむを得ず外で吸ったらそこでも「迷惑だ」と言われて追い出される、被差別の流浪の民 exile みたいに思うのも無理はない。ただ、周辺からすれば煙と臭いが流れてくるし、ポイ捨てされた吸い殻ゴミが散らばるしで「あの学校(会社)の人たちが……」と腹が立つのももっともなことだ。じゃあ構内禁煙が悪いのかと言えば、その迷惑行為が学校・会社の中に移って外から見えなくなるだけのことで、やっぱり迷惑がなくなるわけではない。

愛煙家の人々はこういう話を健康ファシズムだと言うけれど、今問題になっているのは副流煙被害がメインで、「吸いたい人が吸うのは構わない、でも煙草が苦手な人には迷惑をかけないでほしい」ということだと思う。つまり、お互い上手に棲み分けましょうという話であって、今までは煙草が苦手な人への配慮があまりなかったから配慮の範囲を増やしましょうということなのだと思う。論理自体はマイノリティの権利尊重みたいな話に近い。

要するに現在議論になっているのはタバコを吸いたい人とタバコから逃げたい人との間の利害調整という問題なのだけれど、嫌煙家の私からすれば、今の分煙対策は、どうも嫌煙家の方からの持ち出しが多くて、愛煙家の人々からの貢献はあまりないように感じている。

例えば、構外に愛煙家の人々が出るとか通勤経路で歩きタバコをするとかでて近隣に迷惑をかけ、会社や学校にクレームが来る。この謝罪やマナー向上の取り組みは、愛煙家の人ではなくて管理者がやるわけだし、分煙施設の建設や維持管理、喫煙所の周辺に棄てられた吸い殻の掃除も管理者の負担で行うわけである。なのに、嫌煙家の側から見ると、愛煙家の側から「タバコを愛するからこそモラルを持とう、費用を出そう、掃除もしよう」というような運動はほとんど見られず、ただ分煙の厳格化に不平を並べているだけのように感じてしまう。公害や迷惑のような利害調整においては、迷惑をかける側がその迷惑の補償として費用を負担という方法と、迷惑を受ける側が防衛策として費用を負担するという方法の二通りがありえるのだけれど、現在の分煙対策においては、どうも後者の要素が強いのじゃないか。もう少し、愛煙家の側から副流煙被害を防止するための積極的な貢献を期待したいところである。

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部活動、生徒が教師と交渉し顧問契約を結ぶ。生徒指導部でなく生徒支援部を置く高校

部活動「指導」より「支援」を 横浜の高校、教研集会で報告|【西日本新聞】
2018年05月15日 20時00分

安倍首相が「ニッキョーソ、ニッキョーソ」と野党議員を野次り、「愛国者」の人々が日本人を堕落させるコミンテルンの手先として目の敵にする日教組。
しかしその日教組は毎年教育研究集会を開き、よりよい教育と学校運営を目指して熱心に意見交換する団体だ。こういう真面目な姿を多くの人々に知ってもらいたいと思う。

生徒が顧問選び契約各種行事も自主運営

 目からうろこの部活動の姿だった。静岡市で2月にあった教育研究全国集会(教研集会)。「生徒の自主性」などがテーマになった分科会で、神奈川県立希望ケ丘高校(横浜市)の先生はこんな発表をした。

   ◇   ◇

 〈部活動の顧問は、学校がお膳立てするのではなく、生徒が先生と交渉して決める。学校対応で納得がいかないことには、生徒が「公開質問状」を提出し、学校全体で話し合う〉

 先生たちの負担要因の一つになっている部活動。各部の生徒たちは毎年、顧問になってもらいたい先生と直接交渉し、約束事や条件を決める。「家庭の事情で土日の練習は見られない」と先生が言えば「じゃあ練習は平日だけにしよう」と折り合ったりするのだという。

 「顧問一人では荷が重い」という場合は、複数の先生と顧問契約を交わすことも可能で、8人の顧問がいる部活動もある。先生には「拒否権」もあり、契約は1年単位で更新。顧問が決まらなければ廃部という原則のため、生徒たちは必死に条件や活動内容を考え、交渉する。

 発表したのは駒村吉則教諭(58)。顧問を務めるラグビー部では、部費の管理や会計処理、用具の注文購入、活動届けなどの書類提出も全て生徒がこなしているそうだ。

 学校・先生中心ではなく、あくまで生徒同士の話し合い、生徒と先生の話し合いで運営していることに、私ばかりでなく、他校の先生たちからも驚きの声が上がった。

   ◇   ◇

 同校は1897年、神奈川県初の旧制中学校として創立された進学校でもある。東大安田講堂で学生と機動隊が激突した1969年、この高校でも生徒たちが声を上げ、生徒心得(校則)と制服が廃止された。「自律自制」を校訓とする。

 部活動に加え文化祭、合唱祭、球技大会なども、生徒が企画運営する。先生たちは「生徒指導部」ではなく、「生徒支援部」(8人)を置き、支援に徹しているという。

 合唱祭では、生徒たちが話し合い、書類提出が遅れたクラスには「ペナルティー」として、減点するルールに。行事運営のルールは「むしろ先生が決めるより厳しい」という。

 2009年には校舎の耐震補修工事をめぐり「仮設のプレパブ校舎を建てる場所が納得いかない」との質問状が生徒から提出され、校長が翌週の全校集会で説明したそうだ。

   ◇   ◇

 この取り組みの評価は分かれた。

 生徒の自主・主体性を尊重する運営を評価する声が多かったが「全ての学校で同じようにできるとは思えない」「教師の指導者意識が低くなるのでは」との声もあった。つまり進学校だからできると。

 駒村教諭は「私たち教師は、生徒にできることまで、やり過ぎているんじゃないかな。(教師が)言いたい、やりたいことを我慢し、生徒にやらせてみることが大切だと思う。学校に生徒がいるのではなく、生徒がいるから学校があるのですから」と話した。

 先生たちの多忙化軽減に向け、部活動をめぐっては本年度から、部活動指導員の導入(アウトソーシング)、休養日を設けること(メリハリ)などの文部科学省指針が示され、学校現場で導入され始めた。

 でも部活動の主役って、先生ではなく生徒。本来は生徒たちが練習計画を立て、リーダーを決め、それぞれの目標に向かって、心身の学びを積み上げていく。そんな場であることを忘れたくない。

 「先生が『指導』するのではなく『支援』することが、本来のあり方ではないか」

 駒村教諭はそうも話した。各学校の目指す方向やそれぞれの事情もあるだろうが、つい忘れがちな視点を突きつけられた気がした。

 ◆部活動 教育課程外の活動で、生徒の自発的な参加が原則。その一方で、スポーツ庁の2016年度調査によると、「教員全員が部活動の顧問になる」ことを原則としている中学校は約9割に上り、全生徒の部活動への加入を事実上、義務付けている学校も少なくない。日本の教員の課外活動時間は国際的にも突出して長く、部活動は深刻な長時間労働の一因になっているという指摘もある。同庁は3月、国公私立中学校について「運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン」を策定。学期中は1日の活動時間を平日2時間、休日3時間程度までとし、週2日以上の休養日を設けるよう求めた。高校の部活動にも原則適用される。

=2018/05/13付 西日本新聞朝刊(教育面)=

この部活動顧問契約という発想は、高校の部活動だけでなく、いろいろな学校のいろいろな活動で応用できそうだ。まさに目から鱗が落ちる、生徒・学生との関係を考え直させる貴重な報告だと思う。それに、こういう関係の方が面白いことがやれそうでもある。

学生との関わり方をいろいろ考えて深めていきたいのだけれど、他の雑務に忙殺されて到底手が届かないんだよなあ……。

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2018/05/14

自己否定への誘導と依存、支配・被支配関係

「調教されて風俗入り」は意外と多い? “家畜部屋”で暮らした女性の“リアル”な過去とは|サイゾーウーマン
を読んだ感想というかメモ。

何かの学校で、先生だった人にマインドコントロールされ支配された人の話。
タイトルは興味本位で内容も軽薄な印象だが、書かれていることは深刻である。

以下抜粋。

ささいな失敗でも、「お前はダメな人間だ」と、ひどい言葉で責められる。私が原因ではなくとも悪い結果を招けば「おまえのせいだ」と、やっぱり責められる。そんなふうに罵倒され続け、「おまえはクズだから、俺がいないと生きていけない」と刻み込まれて、本当にそうなってしまいました。

――ささいな失敗とは、たとえばどんなことですか?

Ω 本当に細かいことです。「作業がもたついた」とか、「ご主人様の知人への事務メールの返信がちょっと遅かった」とか。

マインドコントロールと言えば確かによくある手口とも言えるが、細かいことでも気になり人を責める気質の人や、過干渉な親などでもよくやってしまいそうでもある。

――そんなことで責められることに、疑問を抱かなかったのでしょうか。

Ω 疑問を持たせないようにしていたんだと思います。その手口のひとつが、グループ以外との接触を断つこと。バイトを辞めさせられたし、「ネット環境を切れ」と言われ、毎日ずっと閉鎖されたグループにいました。そういったごく狭い世界で「おまえは間違っている」と言われ続けると、「私が全部悪いんだな」と思い込んでしまって、「先生がいないと生きていけない」という心情になっていました。

外界との交流を妨げて自分への依存関係を作るところが、この種のマインドコントロールの特徴だろうか。外部を遮断する度合いや方法もいろいろあるだろうけれど。

今でも覚えているのが、私が落ち込んでいるのを態度に出したら、「被害者ぶるのか」と、ご主人様の怒りを買ったときのことです。つらい言葉で責められ続け、張り手をされました。そういったことが毎日続いていたので病んでいた私は、路上でヒステリーを起こし、「もう無理です」と泣き叫んだんです。「全部やめるのか」「やめます」というやりとりのあと、家まで送られ部屋に入った瞬間、抱きしめられ、こう言われました。「おまえはやめると言うが、俺から離れられるのか」。私は泣きながら、「無理です」と言いました。するとご主人様は、「そうだ、俺がいないと生きていけないよな。だから俺にご奉仕し続けろ」と。手を上げられた直後は、そうした“アメ”がありました。

――そこまでされても、なお離れられなかったご主人様への思いは、どんなものだったのでしょうか?

Ω 「とにかく愛されたい」に尽きます。「愛されたい」もおこがましい表現ですが。にもかかわらず、構われない日々が続き、病み、ずっと泣いていました。末期は、泣くことすらおこがましいと感じて、涙も出ず……

部活動のスパルタ指導者と生徒の関係を想像させる。
「愛されたい」もおこがましい表現ですが。
というところに、まだ抜けていないのかと少し怖くもなる。

自己否定を進めていくと自己の存在否定になり、自殺するか何かに依存するかしかなくなる。それらの両方が出来ない場合は、生きながらにして自分の存在を無限小にするしかない。「泣くことすらおこがましい」と思うのは依存型でありながら依存せざるを得ない自分が申し訳ないからだろう。感情表出する資格すらないというか感情表出する意味がないというか。

『元カレ殺ス』という曲をたまたま聞き、最初は「みっともない嫉妬をさらけ出して、なんて恥ずかしい歌詞なんだろう」と思っていたんですが、毎日聞くうちに「醜い部分があっても、生きていていいんだ」と衝撃を受け始め
「自分のようなものでもこの世に存在してもいい、存在を許される」というひらめきは一種の悟りのようなもので、自縄自縛を解くきっかけになる。このひらめきが徐々に確かさをもって自分の中で太くなっていくと、少しずつ自分の生を生きることに前向きになっていく。この乗り越えをどのような形でやれるか、やったかが、その人のその後の生き方、考え方に大きく関わっているような気がする。

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2018/05/09

狭義の○○論と、「疑惑が真実だと裏付けられないなら事実無根だ」論

橋本龍太郎の次男で後を継いだ橋本岳衆議院議員。自民党の厚労大臣政務官、副大臣を務めた。
裁量労働制の規制緩和を目指して厚労省が国会に出したデータがデタラメで辻褄合わせ、要するにウソだったことについて、自身のフェイスブックに責任回避論を投稿、炎上した。

「野党が執拗に求め作成」と投稿 不適切データで自民・橋本岳氏 - 共同通信
2018/5/8 21:11

 裁量労働制を巡る厚生労働省調査の不適切データ問題に関し、自民党の橋本岳厚労部会長が「(資料を)執拗に要求したのは野党で、繰り返し問い詰められ、(厚労省が)やむを得ず作成した」と釈明していることが8日分かった。自身のフェイスブックに7日付で投稿した。橋本氏は不適切データを野党側に提示した当時の厚労政務官。

 野党側に責任を転嫁したとも受け取られかねず、与野党対立に拍車を掛ける可能性がある。

 橋本氏は投稿について8日、共同通信の取材に「明らかに事実と違うとか、不適切なことがあれば教えてほしい。真摯に受け止めて対応していきたい」と述べた。

上記のフェイスブック投稿は既に修正されているが、WebArchiveに原版らしきものが残っている。
橋本 岳 - このシリーズ、興味を持って読んでいます。未完なので最終的なことは言えないのですが、現時点での感想を記しま... | Facebook

修正したもの
Gaku Hashimoto - (5月9日朝追記) 昨日共同通信さんの取材をうけ、下記の報道がありました。... | Facebook

両者を読み比べ、修正点を確認すると、元々の投稿の意図が「野党が悪い」と「上西氏の論考は首相や厚労大臣の責任追及の為にする議論だ」という趣旨にあるのは明らかだ。

政府提出データのウソが野党の責任だというのは無理筋だし、上西氏の目的が内閣攻撃だというのも誤りなのだが、これらの主張を引っ込めたとしても、橋本岳氏の主張には問題点があると思う。批判・炎上を受けて彼が修正した投稿を元に考えてみる。

彼は、上西氏の論考が「意図された捏造」を論証するものだと読んで、その論拠を

1)ウッカリ間違いとは考えられないくらい、酷く不適切な統計の取り扱いである
2)不適切な取り扱いが、全て裁量労働制を擁護する方向性を指してツジツマを合わせている
3)今年の予算委での、総理や加藤厚労相らの答弁にて、不適切さをなかなか認めなかった
という三つにまとめている。そして、これらの全てで指摘された非はあったと認めつつ、全ては厚労省の中の問題だったとしている。すなわち、

(1)は、厚労省が多忙を極めていた、知識がなかった、無理な要求に無理をして応えようとしたことが原因
(2)は、裁量労働制拡大が内閣方針だったので官僚心理にバイアスがかかったことが原因
(3)は、誤りを認めるのが難しい政府組織・官僚心理が原因

というものだ。その上で、「高度な深謀遠慮にしては肝心の資料がズサン過ぎる」などと疑惑を否定しつつ、
「『誰かが意図した捏造』という証拠」とか
「『捏造を指示した連絡』などがそのうちきっと証拠として示されるものと期待」
などと「捏造の明確な証拠」を求めている。

この論法は、「明確な証拠を出せるなら出して見ろ」と上西氏を嘲笑・挑発するものであって、真摯・誠実な態度だとは思えない。

そもそも、上西氏にしろ野党にしろ、内閣批判の政局的な側面は本質ではないのであって、裁量労働制拡大の審議を止めること、裁量労働制の乱暴な拡大を阻止することが本筋である。だから、「首相や大臣の明確な指示があったか」などは重要ではあるけれど、本来は枝葉の問題である。なのに、それを核心であるかのように言い立てる橋本氏の主張は本質を外した、いわば論難に近いものだ。

そして、興味深いことに、(大臣の指示があったという)捏造の明確な証拠を出せという態度は、従軍慰安婦問題を否定する人々が言う態度と酷似している。すなわち、「軍が直接的に拉致に関与した証拠を出せ」という、「狭義の強制」の証拠がなければ、軍の責任はないという論理と同じ論法になっているのだ。

この人達は、「疑わしきは罰せず」という法理を政府組織の統治問題にまで拡大解釈して、組織管理者を免責しようとする。そして、管理者の直接的な関与を明確に示す証拠が必要だと言って、その「証拠」の範囲を可能な限り絞り込む。そして調査には消極的な態度を取り、出てきた「証拠」に対しては不十分さを指摘してその価値を認めず、さらに「明確な」証拠を要求する。そして、「証拠がない限り無罪だ」という論理で管理者・指導者を免責する。

要するに、この人達は何が真実かを知りたいのではなく、責任を認めたくないのが本心だと言わざるを得ない。今回の橋本氏の主張もこれに非常に似た論法を取っているわけである。

しかし、企業の不祥事に対して経営者がしばしば引責辞任するように、組織統治においては「明確な関与」とか「疑わしきは罰せず」とかはいつも必要とされるわけではない。また、そのようにして管理者・指導者の責任範囲を厳しく絞り込むことは組織管理上の弊害を生む。このことは周知であり、また橋本氏も当然理解していると思われる。にもかかわらず、今回の橋本氏の主張ではこの文脈は一切考慮されていないように見える。

このような観点に立つと、橋本氏の主張は結局のところ内閣を守ることを目的とした「為にする論」になっていると思うわけである。

なお、上西氏は、橋本氏の投稿に対して、自身の主張がそんな脆弱なものではないという反論を行っている。以下のツイートにつながるスレッドを参照。

Mitsuko_Uenishiさんのツイート: "橋本岳議員「明らかに事実と違うとか、不適切なことがあれば教えてほしい。真摯に受け止めて対応していきたい」https://t.co/72UV9auIbt データ作成経緯についてのことなのか、FB投稿の内容についてのことなのか、わからないが、まずは野党は、比較データ作成の決済文書の開示を求めてほしい。"

Mitsuko_Uenishiさんのツイート: "要は牽制だから、でしょう。… "
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追記(2018年5月10日)

上西氏がより徹底的な反論を行っている。主張の論旨は私が上に書いたことを含み、それよりさらに徹底的になっている。以下のツイートに連なるスレッドを参照。

Mitsuko_Uenishiさんのツイート: "橋本岳議員、FB投稿に追記→ 裁量労働制の拡大、デタラメ資料しか作りようのない欠陥法案であった事を自民党の橋本岳厚労部会長が激白 | BUZZAP!(バザップ!) https://t.co/FPsRcNeASE" https://twitter.com/mu0283/status/994064692720041984


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参考

(88) 橋本 岳 - (5月9日朝追記) 昨日共同通信さんの取材をうけ、下記の報道がありました。...

橋本 岳
5月7日 18:25 ·
(5月9日朝追記)
昨日共同通信さんの取材をうけ、下記の報道がありました。
https://this.kiji.is/366557726777787489
これを受けて読み直したところ、文中に、自分の主観のみを根拠として特定の方を中傷したり、責任を転嫁していると受け止められる表現がありました。そのような点について、訂正を行いました。
深く反省し、ご覧になった皆様にお詫び申し上げます。また、今後そのようなことのないよう、気をつけて参ります。

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このシリーズ、興味を持って読んでいます。未完なので最終的なことは言えないのですが、現時点での感想を記します。

ただしその前に注意書きをします。まず僕は2015年3月、問題となる表が民主党部門会議に示された時点で厚生労働大臣政務官であり、部内者でした。あまり偏った記述はしないよう心がけますが、利害関係者であったことは包み隠さず申し上げます。僕の立場が公正ではないと思われる方は読まないで頂いて構いません。ただし、この文章は自分の意思と責任に基づき書いており、政府関係者や同僚議員にもなんらの影響されたものではありません。

そして、この表が、文中列挙されている点において不適切であったこと、その結果として安倍総理や加藤厚労相が誤った答弁を行ってしまっていたことは、政府も僕も全くその通りであると認め、既に総理・厚労相は撤回しお詫びを表明しています。

したがって、このシリーズで上西教授が改めてとりあげている論点は、「その不適切な表の作成が、誰かの指示により意思を持って捏造されたものなのではないか」にあるのだと認識しています。

で、これまでのところ「意図された捏造」の論拠は、ざっくりと

1)ウッカリ間違いとは考えられないくらい、酷く不適切な統計の取り扱いである
2)不適切な取り扱いが、全て裁量労働制を擁護する方向性を指してツジツマを合わせている
3)今年の予算委での、総理や加藤厚労相らの答弁にて、不適切さをなかなか認めなかった

の3点に集約されるように思われます。

ただ、3)は、「捏造」か「単なる雑な資料」かを問わず、3年前から答弁に使い総理答弁まで使った資料を「誤り」と認めるには政府内でそれなりに高いハードルと調整プロセスがあるという原因によるものと思われます。また、そもそも誤りを認めたくないという心理も働いていたのかも知れません。従って、それをもって3年前から意図していた、それを加藤大臣も知っていたのだ、捏造だったのだという理由には全くなりません。

また、2)については、誠実な態度ではないという批判は僕も含め甘んじて受けますが、政府として裁量労働制の拡大を目指すという閣議決定が既にある以上、厚労省の関係者がそうした方向になるといいなと思っていたことそのものは不思議ではないのであり、それが「誰かが意図した捏造」という証拠になるかというと、決定的ではないでしょう。

さて1)について。
当時の厚労省の状況は、労基法改正案提出直前、与党審議もあり、その上民主党部門会議も頻繁に開催され、さまざまな資料提出を求められ、担当部署はてんやわんや状態でした。また、本来裁量労働制と一般労働制は、対象業種が異なりますから、母集団が違う(厳密に言えば包含関係ですが)ため、両制度それぞれに属する労働者の労働時間を単に比較しても、その差が制度によるものなのか、業種(=母集団)によるものなのか区別ができません。そもそも厚労省は、僕の記憶の限りでは、労働時間が短くなるという効果を企図して裁量労働制の拡大を提案していたわけではありませんでした。だから、元々両制度間の労働時間の比較表など作っていなかったのです。

その比較を要求したのは野党の方々であったと記憶しています。労働時間を比較したらどちらが長いのだ、何か資料はないのか、と部門会議で問われ、それを受けて厚労省が作成をしたものだったのではないかと僕は認識しています。だからこそ、僕が予算委で指摘したように、強調するための赤枠や青枠は労働時間の分布につけられているのです。それは、平均値を積極的に示したくなかったからなのではないかと思っています。

もちろん、全ては厚労省の責任(であり、当時政務官の僕の責任も免がれるとは個人的には思いません)です。注もなしに数字を計算により算出し、「平均的な者」なる不思議な概念の説明も、最長時間を回答させていたことの説明もなく、本来比較不可な数字を並べて書いていた。全てあまりにも雑で不適切です。ただ当時の印象から思うに、この資料は寝不足で過労気味の担当者が、野党の皆さんの要求になんとかして応えたいという一心で、アクセス可能な数字や表から資料を捻り出した結果であり、そしてその上司も、チェックしなければならない沢山の提出予定資料の一枚としてこれを見て、「ま、いいか」と思ってしまった結果なのではないか(または全く気づかなかった結果)と僕には思えるのです。厚労省の教訓は、いくら要求されても、無い数字を無理に作って提出するようなことはしてはならない、ということでしょう。

優秀な厚生労働省官僚が、指示命令もなくそんな不適切なことをするわけがない、という思われる方もおられるかも知れませんが、中にいた人としては、官僚の皆さんは優秀な方が揃ってはいますが、やっぱり人間であり、正直、しばしば信じがたいミスや行動もあるのも事実なのです。年金機構情報漏洩事案の対応やその他さまざまな場面でいろんなことを感じる機会がありました。したがって、これだけ様々なチョンボの積み重ねがあっても「起こり得ることだなあ」と思ってしまうのです。

また、厚労省に限らず、中央省庁において、統計学の基礎がかなり等閑であることは今に始まったことではなく、それも背景にあったものと思っています。問題とされている平成25年調査だけでなく、その前の平成17年調査の集計表から既に「最長時間」の記載がないことは、僕が予算委員会で指摘し加藤大臣から答弁があった通りです。あくまでも傍証に過ぎませんが、今回の表が捏造だったわけではない証拠とも受け止められます。というか、それはそれでもっと根深くて深刻な問題なのですが。

その上、いきなり国会で答弁せず、野党に示した理由は「認識の刷り込み」を狙ったのだなどという説明は、後付けの理屈ではないでしょうか。そんな高度な深謀遠慮にしては肝心の資料がズサン過ぎると思います。少なくとも当時の大臣政務官として、そんなこと見たことも聞いたこともありません。単に、先に部門会議で要求されたから、です。

このシリーズは未完ですから、ここまで「意図した捏造」と指摘するからには、「捏造を指示した連絡」などがそのうちきっと証拠として示されるものと期待しています。これがあれば、決定的になりますから。

上西教授の、今回の裁量労働制関係データ問題を巡る一連の検証には、心から敬意を表します。正直、僕もこの資料は厚労省在職中に見たことはあり、今通常国会で厳しく指摘されるまで、不適切さを見抜けず、見落としてしまっていました。僕の目が節穴だったことを深く恥じています。ただ、だからこそ、感じた違和感は記しておきたいと思います。

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