« 2019年3月 | トップページ | 2019年5月 »

2019年4月の10件の記事

2019/04/26

天皇の謝罪をめぐる狂騒曲

天皇に対する人々の臣民っぷりがよく表れた記事。
人間宣言から何年経ったか知らないけど、相変わらず現人神なんだなあとこういう記事を見て思う。

天皇陛下のブルーギル「持ち帰り謝罪」発言 舞台裏を証言(京都新聞) - Yahoo!ニュース(4/26(金) 13:11配信)

「ブルーギルは50年近く前、私が米国より持ち帰りました」。2007年、天皇陛下は大津市で開かれた「全国豊かな海づくり大会」の式典で驚きの発言をされた。琵琶湖の在来魚を減らすほどブルーギルが異常繁殖した事態に「心を痛めています」と後悔の思いを明かした。発言の舞台裏には何があったのか。関係者の証言から振り返る。
 陛下は皇太子時代の1960年、訪米先のシカゴ市長から贈られたブルーギルを日本に持ち帰り、水産庁の研究所に寄贈された。魚類学者らには知られた話だったが、陛下自身が公の場で語るのは海づくり大会が初めてだった。

「実は、大会の告知ポスターからブルーギルを外したんです」。
 滋賀県の海づくり大会準備室長だった東清信さん(64)=現びわ湖放送社長=は語る。琵琶湖を泳ぐブラックバスの写真を用い、在来魚が食べられる被害をPRしたが、同じ「厄介者」のブルーギルは写っていない。「陛下との関係を考えると、避けた方がいい」と配慮した。
 大会3カ月前の07年夏、準備室は宮内庁の求めに応じて、陛下の「お言葉」に関する県の原案を出した。在来魚の漁獲量回復を願う内容で、ブルーギルには触れなかった。
 式典2日前の11月9日午後10時半ごろ、宮内庁から県に「お言葉」の原稿がファクスで届いた。帰宅していた東さんは職員から「どうしましょう」と連絡を受けた。思いもよらぬブルーギルの記述があったからだ。「琵琶湖に迷惑を掛けた、と陛下が謝ろうとされている」と仰天した。

 宮内庁は陛下が来県する翌日の昼までに、事実誤認がないか確認するよう求めていた。準備室は深夜に県幹部に連絡を取り、ブルーギルの記述への対応を協議した。「ここまで言っていただくのは忍びない。削除の意見を伝えては」との声もあったが、最終的には翌朝、「この通りで大丈夫です」と回答したという。
 そして11月11日。陛下は式典に出席した1300人の前でブルーギルを持ち帰ったと語られた。「当初、食用魚としての期待が大きく、養殖が開始されましたが、今、このような結果になったことに心を痛めています」
 会場では「おー」というどよめきが上がった。
 外来魚問題に悩まされてきた漁師たちは顔を見合わせて、「陛下も心配してくれていたんだ」と口にした。その姿を見て、東さんは「言っていただいて良かった」と思わず目を潤ませた。
 東さんは大会後、宮内庁の担当者から「遅くなって申し訳ありません。ただ、陛下から原稿が出てきたのが、あのタイミングだったんです」と伝えられた。
 琵琶湖では外来魚問題が一因となり、漁獲量が減り続けている。東さんは「陛下もずっと悔やんでこられたのでは。直前までお言葉を熟考されていたのだろう」と推し量った。
別の証言者は語る 侍従とのやりとりとは

天皇陛下のブルーギルに関する原稿が「当初、おわびの色合いがもう少し強かった」と証言する人もいる。
 魚類学者でもある陛下と皇太子時代から親交がある神戸学院大教授の前畑政善さん(68)=大津市=だ。海づくり大会当時、県立琵琶湖博物館(草津市)の上席総括学芸員だった。
 大会の2日ほど前、陛下の侍従から「間違いがないか見てほしい」と原稿案が届いたという。前畑さんは「ブルーギルの部分で(当日の原稿より)謝罪やおわびのような文言が書かれていたと思う」と記憶している。
 ブルーギルはスズキに似た味わいで、60年当時、食用魚として有望視されていた。前畑さんは「当時は外来魚の食害が知られていなかった。陛下が悪いわけではない」と考え、「ここまで謝罪する必要はないのでは」と侍従に意見を伝えたという。

 それでも、お言葉には「心を痛めている」の表現が入った。
「よほど後悔されていたのだろう。(外来魚問題が広がる中で)勇気のある発言だと思う。事実は事実として認める、科学者らしい姿勢だ」と前畑さんは感じている。

| コメント (0)

朝鮮人の民族教育を守ろうと呼びかける手塚治虫のコラム

Satoko Oka Norimatsuさんのツイート: "1966年4月16日、手塚治虫… "

手塚治虫が書いた朝鮮学校を守ろうと主張する手塚治虫のコラム。朝鮮時報1966年年4月16日付とのこと。
文字起こしされたものがあるかと思ったが検索にかからないので、勝手ながらここに掲げておく。この切り抜きを紹介したSatoko Oka Norimatsu氏に謝意を表する。

下記の文献を参考にすると、この手塚のコラムは1966年に自民党が提案しようとした「外国人学校制度」への反対の一環として書かれたものだと思われる。この自民党の「外国人学校制度」は「朝鮮人の行き過ぎた民族教育を是正」する意図を持ったものだったとされている(マキー(2013), p.50)。

手塚は「かれらは弾圧の理由づけの一つとして、朝鮮人の民族教育を「反日教育」だといっていますがこれも笑止の至りです」と述べている。彼の指摘は、その後50年を経てもなお、生き続けていると言っていいだろう。

手塚治虫が現代の日本のマンガやアニメの大きな源流の一つであることは論を待たないと思うが、いわゆる「オタク」の人々の中でも朝鮮学校の無償化に反対する人々は、その彼がこのような意識を持って政治的な主張を行っていたことについてどのような思いを抱くのだろうか。

私は広く呼びかけたい 在日朝鮮人の民族教育を日本人の手で守ろう 手塚治虫

挑戦の人たちは好きこのんで日本へやって来たのではありません。日本の軍国主義の犠牲となって、民俗の歴史を奪われ、ふみにじられ、強制労働につかわれたかたがたです。最低の生活に追いつめられ、偏見と蔑視の中で何十年も生きぬいてこられたのです。私は、日本人として本当に恥ずかしく、申しわけなく思います。
しかしその弾圧の歴史の中にあって、常に民族の誇りを持って抵抗し、ついに解放と再建の非を勝ち取られた朝鮮民族は偉大です。それは、朝鮮という祖国の歴史を教え、家庭の歴史を子弟に教えた朝鮮人の功績でしょう。
朝鮮人が、なぜ時刻の歴史や文化を、朝鮮人の教師によって朝鮮語で学んではいけないのでしょうか。逆に、われわれは、朝鮮人に対して行なった、かつての日本軍国主義の強圧政策を、どのくらい知っているでしょうか。更にまた、われわれはこれをふたたび繰返さぬようどれほど反省しているのでしょうか。
今回の「学校教育法改正」はそれらに全く耳をふさいだ、軍閥時代のよう腫(しゅ)が、またもや表面に吹出し始めたと思うほかありません。それらの法案を作成し通過させようという連中は、その暗黒時代にそれによって利益を得たり、あるいは植民地的蔑視に頭がこりかたまった、ごく一部の亡者たちでしょう。
人種差別を更に強め、母国の歴史も学べぬような骨抜きの教育を強制し、朝鮮人でも、日本人でもない自覚のない人間をつくることを意図しているこんどの法案は、まさしく改悪どころか、問題にならぬ愚案です。この法案が可決されれば、朝鮮人子弟が卑屈感と無国籍的人間性を助長されることは間違いありません。
日本の歴史から考えるに、「外国人」ということばから、すぐヨーロッパ人とアメリカ人を連想します。朝鮮人はその中に含まれてはいないといっても過言ではありません。
口では民主主義政治を唱えながら政府がまたもや朝鮮人に政治的な弾圧を加えようとしていることは、許せないことです。
かれらは弾圧の理由づけの一つとして、朝鮮人の民族教育を「反日教育」だといっていますがこれも笑止の至りです。こんなことをいっている当局者には、日本人自身に民主主義教育を行なうことすらおぼつかないのではないでしょうか。
ある日本の公立中学校に在学していた朝鮮人学生が、朝鮮人学校へ転校したとき、同級の日本人中学生は「母国語を勉強し、いつかは母国のために役立つことが本人にとっても幸福なのだ」と感想をのべて、かわらぬ友情を誓いあったといいます。
私はこのことに素直な共感を覚えます。教育とは、本人のためにもなり、また社会や母国のためにもなるべきものです。強制され、歪(ゆが)められたわくの中で教えられるべきではありません。日本人も朝鮮人も、それぞれ民族的で民主的な教育を受けるのは当然の権利です。いま少くない日本国民はつんぼ桟敷(さじき)におかれ、平和ムードと政治家の詭弁(きべん)とに麻痺(まひ)してこのような重大な問題が次々に国会を通過し実現してしまうのをみすごしています。
日本国民は朝鮮人の民族教育が政府に弾圧されぬようこれを阻止し、日本人の手によってこれを守っていかなければなりません。私はそのことを広くよびかけたいと思います。
(漫画家)


参考
マキー智子(2013)「「外国人学校制度」創設の試み : 日韓会談期における在日朝鮮人対策の模索」北海道大学大学院教育学研究院紀要, 118: 27-57
https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/52887/3/AA12219452_118_02.pdf

韓東賢(2015)「朝鮮学校処遇の変遷にみる「排除/同化」―戦後日本の「排除型社会」への帰結の象徴として―」教育社会学研究第96集, 109-129 https://www.jstage.jst.go.jp/article/eds/96/0/96_109/_pdf/-char/ja

| コメント (0)

2019/04/23

文科省、天皇の即位への祝意を学校に命令。

もはや、建前で本音を隠すことすらしなくなった。信仰の強制への抵抗が弱まっていることの現れでもあるだろう。

天皇の退位と即位への祝意 学校で理解させるよう通知 | 教育新聞 電子版(2019年4月23日)

令和が始まる5月1日の天皇即位の日に合わせ、文科省は4月22日付の全国の都道府県教育委員会などに向けた通知で、学校で児童生徒に天皇の退位と皇太子の即位に国民が祝意を表す意義を理解させるよう、配慮を求めた。

通知では、天皇の退位について定めた「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」や、天皇が即位する5月1日を祝日とした「天皇の即位の日及び即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律」の趣旨を踏まえ、あらかじめ適切な方法で、国民が祝意を表する意義を児童生徒に理解させることが適当と思われるとし、教育委員会を通じた周知と学校への配慮を求めた。

文科省では4月2日付で、即位当日に祝意を表すために、学校での国旗掲揚の協力を通知している。

しかし、自分が教育委員会とか学校長だったりしたら、さすがにこれは処分覚悟で無視するかもしれないなあ……あまりにこれは……。まあそれをさせないための綿密な指示と恫喝が降りてくるんだろうけれども……。

| コメント (0)

2019/04/22

天皇教が国教である証拠……というか、信仰だという認識すらない証拠

そして日の丸君が代が天皇信仰と一体になっていて、それ故にそれへの反対が信者の感情を刺激するのだということも分かる。
日本は政教分離の国だということになっているけれど、自治体がこういう行事をやっても問題にされないわけで。

伊勢 1500人、両陛下に感謝の「提灯行列」 三重(伊勢新聞) - Yahoo!ニュース(4/18(木) 11:00配信)

 【伊勢】三重県の伊勢神宮内宮周辺では、天皇皇后両陛下への感謝を表す「提灯(ちょうちん)行列」があり、約1500人が午後6時半から約1時間、内宮前の「おはらい町」を練り歩いた。

 伊勢市や伊勢商工会議所などでつくる御大礼奉祝委員会(会長・鈴木健一伊勢市長)が主催。小雨が降る中、鈴木会長や上島憲委員長、鈴木英敬知事らを先頭に、参加者は提灯や日の丸の小旗を手におはらい町を歩いた。

 参加者は宇治橋前で伊勢神宮を遙拝。国歌斉唱と万歳三唱の後、上島委員長が「伊勢に生まれた幸せをかみしめながら歩き、雨の中、一生の良い思い出ができた。これからも皇室を軸に日本が平和に発展してほしい」と話した。

 三男の颯君(7つ)と一緒に参加した同市楠部町、県職員松本忠さん(53)は「息子に両陛下への感謝の気持ちを持ってもらいたいと考え、参加した。今は心が洗われるような思い。息子にとっても良い経験になったと思うのでありがたい」と語った。

記事最後の人のコメントが敬虔な信者の感情を表していてなかなかよい。

| コメント (0)

天皇制反対の横断幕を発注したら制作業者に断られたという話。

「終わりにしよう天皇制!」という語が「公序良俗に反する」という理由だったとか。

おわてんねっとさんのツイート: "たった今衝撃の一報 反天ウィークのために業者に発注をかけた横断幕が、文言の確認段階で「公序良俗に反する」という理由でキャンセルされました これは、ひどい なんということだ 公序良俗・・・えっーーー"

おわてんねっとさんのツイート: "ちなみに書いてもらう予定だった内容は、普通に「終わりにしよう天皇制!」でした って、このアカウント自体が公序良俗違反かい! もう天皇制の是非を表明することは、公序良俗に反するんですね。 次の公序良俗違反人間は、君だ! (ヤケクソ)"

以前「オウム真理教は出て行け」などという看板などが街のあちこちに立っていたけれども、ああいうのもこの業者さんは断るのかなあ。

| コメント (0)

2019/04/19

NHKが天照大神(アマテラス)を皇室の祖先だと断言したらしいという話

NHKが天照大神(アマテラス)を皇室の祖先だと断言したらしいという話

日本で天皇教の浸透が進んでいる例としてとりあえずメモ。

NHKニュース「皇室の祖先の「天照大神」がまつられる伊勢神宮」に「NHKは神話と現実を統合?」と話題 - NAVER まとめ

詳細は上記を参照。

元記事。
両陛下 退位前に伊勢神宮参拝の儀式 | NHKニュース(2019年4月18日 20時25分)

更新日時を見ると、上記の「まとめ」に上がった後の時間に訂正されているようだ。

三重県を訪問している天皇皇后両陛下は、今月30日の天皇陛下の退位を前に、18日、皇室の祖先をまつる伊勢神宮に参拝する儀式に臨まれました。

17日から三重県を訪問している両陛下は、18日午前、衣食住や産業の守り神がまつられる伊勢神宮の外宮にお一人ずつ参拝されました。

はじめに、モーニング姿の天皇陛下が、外宮の中心の正殿がある正宮の前で、皇位継承の象徴とされる三種の神器の剣と曲玉とともに車を降りられました。

そして、正宮の中に入り、正殿の前で玉串をささげて拝礼されたということです。白の参拝服姿の皇后さまも、玉串をささげて拝礼されたということです。

両陛下は、午後には、皇室の祖先をまつる伊勢神宮の内宮にそれぞれ参拝されました。

天皇陛下は車に乗って玉砂利が敷き詰められた参道をゆっくりと進み、途中、伊勢神宮の関係者や地元の子どもたちが整列して迎えると、会釈をするなどしてこたえられました。

天皇陛下は、正殿がある正宮に続く階段の前で車を降り、剣と曲玉を持った側近の職員とともに階段をのぼられました。そして正殿の前で、玉串をささげて拝礼されたということです。このあと、皇后さまも玉串をささげて拝礼されたということです。

18日の伊勢市は晴天に恵まれ、内宮と外宮の間の沿道では大勢の人たちが小旗を振るなどして両陛下を歓迎しました。

両陛下の車列はスピードを落として歓迎する人たちの前を進み、天皇陛下と皇后さまは窓をあけて手を振ってこたえられました。

伊勢神宮の参拝を終えた両陛下は、午後4時半前、内宮を出発し、宿泊先のホテルがある志摩市の賢島に向かわれました。

近鉄宇治山田駅の前には、何重にも人垣ができ、大勢の人たちが手や小旗を振って見送ると、両陛下は何度も左右を見渡しながら笑顔で手を振ってこたえられました。

宮内庁によりますと、両陛下は、専用列車に乗り込むと、窓のそばに立ち続けて、沿線で待ち受けていた人たちに手を振られていたということです。

そして午後5時すぎ、近鉄賢島駅に到着されました。駅前では大勢の人たちが出迎え、両陛下はにこやかな表情で手を振られていました。

沿道では、18日一日で延べ4万3000人余りが両陛下を迎えたということです。

両陛下は、このあと、午後6時前、宿泊先のホテルに入られました。

両陛下は、今夜、伊勢神宮の主な祭りをつかさどる「祭主」を務め、18日の儀式にも立ち会った長女の黒田清子さんや、伊勢神宮の関係者と夕食をともにし、ねぎらわれたということです。

両陛下にとってこれが天皇皇后として最後の地方訪問になり、19日、東京に戻られます。
即位時の儀式との違い
宮内庁は憲政史上初めてとなる天皇陛下の退位に関する一連の儀式について、天皇陛下のお気持ちを踏まえて、全体として粛々と静かに執り行うことにしています。

天皇陛下は、即位にあたって平成2年11月に伊勢神宮に参拝する儀式に臨んだ際には、古くから儀式での天皇の装束とされる「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を身につけ、儀式用の馬車に乗って参道を進まれました。

一方、天皇陛下の退位に伴う今回の儀式の式次第は、即位の時の枠組みを基本に天皇陛下のお気持ちに沿ってまとめられ、天皇陛下はモーニングを着用し、移動には車を使って参拝に臨まれました。
沿道には多くの人たちが
伊勢神宮内宮近くの沿道には朝早くから両陛下の姿を一目見ようと多くの人が並んでいました。

60年前、ご結婚の報告のため伊勢を訪問された両陛下を見たという67歳の男性は「当時、小学生でしたがとても穏やかな表情で手を振ってくださったのを覚えています。天皇として最後なので一目見たいと思って来ました」と話していました。

また、四日市市から来たという69歳の女性は「平成最後なので30年間の感謝の気持ちを少しでも伝えようと思い、朝4時半に起きて来ました」と話していました。

この記事に付けられた「はてなブックマーク」では、『天照大神』の痕跡がうかがえる。(「皇室の祖先の「天照大神」」)

はてなブックマーク - 両陛下 退位前に伊勢神宮参拝の儀式 | NHKニュース

訂正前の魚拓が残っていた(archive.fo)。
両陛下 退位前に伊勢神宮参拝の儀式 | NHKニュース(2019年4月18日 20時25分)……魚拓時では記事更新日時は上と同じになっている。

三重県を訪問している天皇皇后両陛下は、今月30日の天皇陛下の退位を前に、18日、皇室の祖先をまつる伊勢神宮に参拝する儀式に臨まれました。

17日から三重県を訪問している両陛下は、18日午前、衣食住や産業の守り神がまつられる伊勢神宮の外宮にお一人ずつ参拝されました。

はじめに、モーニング姿の天皇陛下が、外宮の中心の正殿がある正宮の前で、皇位継承の象徴とされる三種の神器の剣と曲玉とともに車を降りられました。

そして、正宮の中に入り、正殿の前で玉串をささげて拝礼されたということです。白の参拝服姿の皇后さまも、玉串をささげて拝礼されたということです。

両陛下は、午後には、皇室の祖先の「天照大神」がまつられる伊勢神宮の内宮にそれぞれ参拝されました。

天皇陛下は車に乗って玉砂利が敷き詰められた参道をゆっくりと進み、途中、伊勢神宮の関係者や地元の子どもたちが整列して迎えると、会釈をするなどしてこたえられました。

天皇陛下は、「天照大神」がまつられる正殿がある正宮に続く階段の前で車を降り、剣と曲玉を持った側近の職員とともに階段をのぼられました。そして正殿の前で、玉串をささげて拝礼されたということです。このあと、皇后さまも玉串をささげて拝礼されたということです。

18日の伊勢市は晴天に恵まれ、内宮と外宮の間の沿道では大勢の人たちが小旗を振るなどして両陛下を歓迎しました。

両陛下の車列はスピードを落として歓迎する人たちの前を進み、天皇陛下と皇后さまは窓をあけて手を振ってこたえられました。

伊勢神宮の参拝を終えた両陛下は、午後4時半前、内宮を出発し、宿泊先のホテルがある志摩市の賢島に向かわれました。

近鉄宇治山田駅の前には、何重にも人垣ができ、大勢の人たちが手や小旗を振って見送ると、両陛下は何度も左右を見渡しながら笑顔で手を振ってこたえられました。

宮内庁によりますと、両陛下は、専用列車に乗り込むと、窓のそばに立ち続けて、沿線で待ち受けていた人たちに手を振られていたということです。

そして午後5時すぎ、近鉄賢島駅に到着されました。駅前では大勢の人たちが出迎え、両陛下はにこやかな表情で手を振られていました。

沿道では、18日一日で延べ4万3000人余りが両陛下を迎えたということです。

両陛下は、このあと、午後6時前、宿泊先のホテルに入られました。

両陛下は、今夜、伊勢神宮の主な祭りをつかさどる「祭主」を務め、18日の儀式にも立ち会った長女の黒田清子さんや、伊勢神宮の関係者と夕食をともにし、ねぎらわれたということです。

両陛下にとってこれが天皇皇后として最後の地方訪問になり、19日、東京に戻られます。

即位時の儀式との違い

宮内庁は憲政史上初めてとなる天皇陛下の退位に関する一連の儀式について、天皇陛下のお気持ちを踏まえて、全体として粛々と静かに執り行うことにしています。

天皇陛下は、即位にあたって平成2年11月に伊勢神宮に参拝する儀式に臨んだ際には、古くから儀式での天皇の装束とされる「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を身につけ、儀式用の馬車に乗って参道を進まれました。

一方、天皇陛下の退位に伴う今回の儀式の式次第は、即位の時の枠組みを基本に天皇陛下のお気持ちに沿ってまとめられ、天皇陛下はモーニングを着用し、移動には車を使って参拝に臨まれました。

沿道には多くの人たちが

伊勢神宮内宮近くの沿道には朝早くから両陛下の姿を一目見ようと多くの人が並んでいました。

60年前、ご結婚の報告のため伊勢を訪問された両陛下を見たという67歳の男性は「当時、小学生でしたがとても穏やかな表情で手を振ってくださったのを覚えています。天皇として最後なので一目見たいと思って来ました」と話していました。

また、四日市市から来たという69歳の女性は「平成最後なので30年間の感謝の気持ちを少しでも伝えようと思い、朝4時半に起きて来ました」と話していました。

一見、単なる言い間違いで小さな誤りのように思えるかもしれない。しかし、これを「小さな誤り」と考えること自体が、天皇教の浸透が進んでいることの証でもある。
今回の記事では、NHKという一定の水準の訓練がなされているはずの機関で、記者が「皇室の祖先の天照大神」と書き、しかも校正も通ったことになる。つまり、NHKのメディア専門職の中の何人もの人でも「皇室の祖先=天照大神」という認識に違和感を持たず、あたかも常識のように考えていたということを示唆している。(政治的圧力があったのなら別だけど、多分そんなことではないだろう。)
これは、NHKの人たちが、「皇室の祖先は神」という神話を記事に断り無しに挿入しても国民が違和感を持たないだろうと思うぐらいに、この神話が親しまれている(あるいは真実だと思われている)と思っているということだろう。
政府見解に反する事実については過剰なぐらいに「……とされている」という語句を挿入するメディアが、この神話については「……とされている」という語句を入れなかったということは、この天皇神話の常識化、あるいはこの神話を喧伝することの政治的「正しさ」の度合いが高まっていることを意味していると言えるだろう。

| コメント (0)

2019/04/16

都教委の日の丸君が代信仰、順調にエスカレート。

カルトっぽさにますます磨きがかかってきたのでメモ。

ていうか、にわかに本当とは思えないぐらい現実離れしてるな。

これが都教委強制の卒業式「所作」指示文書 「国旗に敬礼、君が代を高らかに斉唱」(週刊金曜日) - Yahoo!ニュース(4/16(火) 10:16配信)


「壇上の国旗に役人が深々とロボットのように何度も礼をし、天皇賛美の歌を大声で歌った。異常です」。今年3月、東京23区内の都立高を卒業した生徒は式後、校門外で取材していた筆者に語った。

 都民の情報開示請求に東京都教育委員会が3月28日、出してきた文書により、この全体主義的な所作の元凶が、明らかになった。

 以下に示すのは、卒業式に挨拶文読み上げ名目で派遣する幹部職員に対して都教委が今年初めて手渡した「卒業式等における東京都教育委員会挨拶等の所作について」という文書だ。「国旗に正対し、声高らかに、国歌を斉唱してください」のほか、挨拶文のための登・降壇時だけで全部で8回の礼を指示。国旗に敬礼する役人が「尻を向け」るのは生徒・保護者。都教委は人間より1枚の旗のほうが大事だと考えているのか。“君が代”強制を強化する2003年の10・23通達をも超える内容だ。

 もう1種開示の、ここ数年同内容の「卒業式等派遣者用マニュアル」は、「国歌斉唱(「国旗に正対してください)」と、前出の所作の文書に屋上屋を重ね、「当日の服装は略礼服・ダークスーツ等」との文言は作成時の削除ミスのせいか計3回も載せ、「2020東京オリンピック・パラリンピックのバッジ」着用は2回繰り返し、強制している。

 石田周指導企画課長は小池百合子知事のサイン入り「お祝いのメッセージ」を副校長等が読み上げ、掲示もするよう通知。「来年は卒業式後すぐ知事選。事前運動になる」との都民の抗議に、担当者は「法的問題はない」と答えた。

 管理統制型ではなく、生徒が主人公の式に転換させるには、授業で“君が代”など意見の分かれるテーマを扱う際に、政府見解に偏重せず多様な教え方が保障されるべきだ。

(永野厚男・教育ジャーナリスト、2019年4月5日号)

******************************

この記事には、上記「卒業式等における東京都教育委員会挨拶等の所作について」の一部が画像として紹介されている。面白いので書き起こしておく。

「卒業式等における東京都教育委員会挨拶等の所作について」

司会 「一同起立」「開会の辞 …」

司会 「国歌斉唱」(「一同起立」開会の辞から起立のままの学校も多くあります。)
   「前奏に引き続きご斉唱ください」

◎国旗に正対し、声高らかに、国歌を斉唱してください。

司会 「東京都教育委員会挨拶 教育庁○○部○○課長 ○○○○様」
   「教職員、生徒起立(座礼の学校もあります)」
① 起立し、自席側を振り返り、着席者に礼(1回目)
② 反対側の来賓席に向かい、着席者に礼(2回目)
③ 登壇し、数歩国旗に向かって歩き、姿勢を正して国旗に向かって礼(3回目)
④ 演台に進み、中央に立ち正面(生徒)を見る。

司会 「礼」
⑤ 司会の発声に合わせて、(4回目)
⑥ 挨拶文をゆっくりと生徒に語りかけるように読み上げる。
⑦ 読み上げを終えたら、中央に立ち正面(生徒)を見る。

司会 「礼」
⑧ 司会の発声に合わせて、(5回目)
⑨ 先ほど、国旗に対して礼をした場所まで歩き、振り返り(振り返るときに国旗にお尻を向けないようご注意ください)、国旗に正対する。
  姿勢を正して国旗に向かって礼(6回目)
⑩ 降壇し、自席まで戻る。
⑪ 反対側の来賓席に向かい、着席者に(7回目)
⑫ 自席側の着席者に、着席(8回目)    ◎全部で8回の礼をします。

司会 「着席」
(後略)
******************************

「礼」に関わるところが太文字ゴシックで強調されているところ、特に「国旗に向かって」の箇所を強調に含めているのが笑える。
あと、「振り返るときに国旗にお尻を向けないようご注意ください」というのも最高におかしい。イキすぎていて逆にパンクっぽさを感じる。
この文書、東京都の公務員試験を突破した、それなりの秀才の一人があれこれ考えて書いたんだよなあ。そう思うとなおさら面白い。こんな文書作るのに時間をかけてねえ…。

上手く表現できないが、なんともニッポンらしいというかお役所らしいというか、仰々しさとくだらなさ、繁文縟礼、形式主義と全体主義が横溢していて、2019年の今日においても、百年前の先祖たちと何も変わらないダメダメさ加減を子孫の我々も引き継いでいるのかと思うと、あまりに微笑ましくて、乾いた笑いが出てくるね。

| コメント (0)

2019/04/12

例外規定を最大限活用して支出実態を隠す人と、その追及に及び腰の監督官庁という話。

2017年の記事。

鈴木俊一五輪相に架空計上疑惑か 政治資金1658万円に領収書がない? - ライブドアニュース(2017.08.18 07:00 週刊ポスト)

【魚拓】鈴木俊一五輪相に架空計上疑惑か 政治資金1658万円に領収書がない? - ライブドアニュース(2017年8月18日 7時0分)

 内閣改造でオリンピック・パラリンピック担当大臣に就任した鈴木俊一氏(64)。父は鈴木善幸元首相、姉は麻生太郎・財務相兼副総理の妻という名門政治家一族の“サラブレッド”だが、早々に出てきたのは金にまつわる問題だった。

 鈴木氏が代表を務める資金管理団体「清鈴会」が、3年間で1412万円ものガソリン代を計上していたことを、『週刊新潮』(8月9日発売)が「3年で地球33.8周分」と報じた。ただ、問題はそれだけに止まらなかった。

◆例外規定の「徴難」で1658万円也

「清鈴会」の政治資金収支報告書を仔細に検証すると奇妙な記載に突き当たる。支出の備考欄に記された「徴難(ちょうなん)」の2文字だ。

 徴難とは、収支報告書を提出する際に、「領収書等を徴し難かった支出」を指す。領収書を添付できなかった場合に、「領収書等を徴し難かった事情」、支出の目的、金額、年月日を記載した明細書、もしくは金融機関が作成した振込明細書と「支出目的書」を提出する。

「個人や法人の税務申告に置き換えると、税務調査があった場合、帳簿に支出とあっても、支払った相手が金額を証明している領収書がなければ原則認められません。政治資金における『徴難』のように支出の目的などを自ら記入して済ませる申告方法は、あくまで例外的なものに限られます」(税理士の浦野広明・立正大学客員教授)

 ところが、清鈴会の場合、2015年の「ガソリン代」91万1004円(21回の支出)をはじめ、「郵便代」「労務費」「家賃」などで「徴難」が乱発されている。閲覧可能な過去3年分の報告書を見ると、2013年は495万2069円、2014年は563万5322円、2015年は599万6979円と増え続け、3年間で「徴難」は228件、総額1658万円に及ぶ。そのすべてに領収書がないのである。

 他の閣僚で「徴難」の記載があるのは、松山政司・一億総活躍担当相だけで、「事務用品費」などで2013年(3件)と2015年(4件)にそれぞれ5万円程度だ。鈴木氏の団体が突出して多い。政治資金問題に詳しい日本大学の岩井奉信教授は「非常に不自然」とする。

「国会議員関係の政治団体は1円の支出でも原則、領収書の保存が必要で、使途不明金がないことを政治家自らが明らかにするよう制度設計されています。例外的に徴難が認められている趣旨は、在来線や路線バスの運賃のように慣習上領収書を求めないケースが限定的に存在するからです。領収書が発行される郵便代やガソリン代などに適用することは想定されていない」

 にもかかわらず、清鈴会で「徴難」が最も頻出するのは「郵便代」だ。2015年は290万7202円分(24件)にのぼる。

◆「領収書は全て渡しています」

「徴難」の支払先を取材していくと、より奇妙な実態が浮かび上がる。

「郵便代」の支出先である日本郵便は「全ての支払いに領収証をお渡ししている。仮に料金後納や口座振替だったとしても、郵送で通知を送っている。領収証をお渡しできないということはない」(広報室)と説明する。

 また、2015年1月23日に盛岡市内にあるレンタカー店に支払われた「レンタカー代」9万1808円にも「徴難」の記載があるが、同店舗を取材すると、「基本的に領収書は発行しているし、(支払いの)確認ができれば再発行にも応じる」という。

 さらに清鈴会の収支報告書では、2014年4月3日に「役員会会場費」として宮古市内のホテルに4万8000円を支払ったが、これも「徴難」と記載されている。2013年と2015年に同じホテルに「会場費」を計上した際の収支報告書には「徴難」はなく、領収書があるものとして処理されている。同ホテルの営業部長が困惑気味に回答した。

「台帳を確認しましたが、その日(2014年4月3日)に予約は入っていません。ご利用いただいた場合は、領収書を出すはずですが……」

 ホテルを利用した記録もなく、領収書もないとなれば、架空の経費計上である疑いすら出てくる。

 鈴木事務所に問うと、「4月3日は支払日の記載であり、会議の日を記載したものではない」と回答。収支報告書の「徴難」についてはこう回答する。

「振込で払ったものについて、振込書では支出の目的が書かれていないため、選管からの指導に基づいて『徴難』処理としている。支出を裏付ける振込書はあり、いずれも政治活動の支出として払ったもの」

 本誌・週刊ポストの取材で、支払先が「領収書を発行しないケースはない」と答えていることについて同事務所は、「振込で払ったものには領収書は出せないといわれた。選管の指導に基づき処理した」と説明した。前出・岩井氏はいう。

「不審な点があれば税務調査を受ける個人、法人と違って政治資金管理団体への監査は甘く、突っ込んだ調査はされない。だからこそ支払った相手先に支出の金額を証明させる領収書の添付が義務づけられているわけですが、『徴難』の乱発はその趣旨にそぐわない」

 鈴木事務所は取材に「今回、一部、『徴難』とすべきところに記載漏れがあったことが確認されたので、選管とも相談して必要な対応をしていく」とも答えた。領収書がないのに「徴難」の記載がなくても、収支報告書が監査を通ってしまう実態もあったということだ。

 なぜ、このような処理が認められるのか。所管する総務省は、「一般論として『徴難』にあたるのは社会通念上、客観的に領収書の発行が困難なケースです。ただ該当するかは政治団体の会計責任者に適切に判断していただく」(収支公開室)と説明するのみ。

 鈴木氏のように領収書が得られたはずの支出を「徴難」と処理しても、「総務省や都道府県選管は提出されたものを受け取るとしかいえない」(同前)というのだ。少なくとも一般の国民が「領収書なし」で経費申告すれば、税務署に突き返される可能性は限りなく高い。

※週刊ポスト2017年9月1日号

| コメント (0)

2019/04/05

首相の顔色を見て決めた元号、天皇関係行政と「宇野家」と統一教会。

国書に敗れた漢籍 改元支えた漢学の名家「宇野家」とは [令和]:朝日新聞デジタル(2019年4月4日09時30分)

石川忠久氏が国書からの案を出すと
 → 「担当者は「首相も喜びます。これでいきましょう」。」

安倍首相が国王のようですな。

*****************

下記の記事によれば、

「漢学界のサラブレッド」=宇野家の親子3代。

初代:宇野哲人・東大名誉教授  称号「浩宮」を考案。
2代:宇野精一・東大名誉教授  平成改元で「正化(せいか)」を提案。
3代:宇野茂彦・中央大名誉教授 今回の改元実務担当者2名の恩師。

・石川忠久氏も長年精一氏との親交が厚かった。
・90年代には精一氏の弟子だった伊東倫厚・北海道大教授(中国哲学)を事務官が頻繁に訪問。

とのこと。そして、

出目金さんのツイート: "宇野精一は、東京大学名誉教授で、国際勝共連合東京代表世話人で、世界平和教授アカデミー参与で、スパイ防止法制定促進国民会議議長で、日本を守る国民会議呼びかけ人の一人で、日本自由主義会議会員で、日本文化会議評議員で、教科書正常化国民会議の役員で、自由人権委員会委員だったそうで… https://t.co/bpsaspUDlQ"


出目金さんのツイート: "宇野精一は他にも、教科書問題協議会発起人、新教育懇話会会員、日本教育検証制定委員会役員、日本教育会刷新シリーズ監修、勝共教授団全国全国副会長、勝共運動を応援する会世話人、建国記念の日奉祝運営委員、紀元節奉祝式典実行委員、英霊に答える会の発起人でもあったそうですね… https://t.co/svSB4YhMms"


とのこと。どう見ても統一教会の関係者ですね。
こういう人が天皇がらみの政治に深く関わっているんですね。

*****************

国書に敗れた漢籍 改元支えた漢学の名家「宇野家」とは [令和]:朝日新聞デジタル(2019年4月4日09時30分)

 4月1日。石川忠久・二松学舎大元学長は東京都内の病室で、新元号「令和」を発表する菅義偉官房長官の記者会見をテレビで見守った。菅氏が「典拠について申し上げます。令和は万葉集の……」と初めて国書を典拠にしたことを明かすと、一瞬驚いた表情を浮かべ、つぶやいた。「やっぱりかあ」  3月14日付で正式な政府の委嘱を受けた石川氏は漢詩研究の第一人者。実は2年前の夏までに、計13案を考案していた。政府から渡されたA4の提出用紙の束に1案ずつ毛筆でしたため、日本漢学の聖地「湯島聖堂」(東京・お茶の水)にある執務室で、内閣官房の担当者に手渡した。  「万和(ばんな)」(典拠は文選〈もんぜん〉)、「光風(こうふう)」(楚辞〈そじ〉)、「弘大(こうだい)」(詩経)……。漢籍の元号案が続く中、担当者の顔色が変わった。石川氏にとっては専門ではない、聖徳太子の十七条憲法にある「和をもって貴しとなす」から採った「和貴(わき)」を見せたときだった。これは国書案である。  担当者は「首相も喜びます。これでいきましょう」。13案の「筆頭案」に位置づけることになった。この時、石川氏は「権威ある漢籍より、国書の方が好まれる。もはやそういう時代か」と感じたという。最終的に「和貴」は政府原案には残らず、漢籍典拠の「万和」が最後の6案に残ったが、国書典拠の「令和」に敗れる結果となった。

 ■元号準備、中心に「宇野家」
 江戸時代までは、知識人にとって学問の中心は漢籍だった。明治以降は西洋の学問にとってかわられたが、漢籍に典拠を求める伝統は続いた。そこでは、研究者から「漢学界のサラブレッド」と呼ばれる一家が深く関わっていた。
 宇野家――。戦後70年、中国古代思想の名家であり、皇室ともゆかりを持つ親子3代だ。初代の宇野哲人・東大名誉教授は、新天皇となる皇太子さまの称号「浩宮」を考えた。平成改元で「正化(せいか)」を提案した2代目、精一・東大名誉教授は1980年代初め、他の考案者たちよりも若い70歳前後で考案依頼を受けた。文化勲章・文化功労者といった当時の基準から外れても選任されるほどの存在感だった。
 それゆえ、政府との関係も深い。元政府関係者は「ポスト平成の30年間、元号は『宇野家』を中心に準備が進んできた」。国立公文書館に籍を置きながら内閣事務官の肩書で、政府の「黒衣(くろご)」として今回の改元の実務を支えてきた2人の事務官は、それぞれ精一氏と、その長男で中央大名誉教授の茂彦氏の教え子だった。2人は、専門知識のない内閣官房幹部に代わって委嘱する学者の人選を進めるなど実質的に政府の元号選定に影響を与えていた。
 石川氏も長年、精一氏との親交が厚かった。90年代には精一氏の弟子だった伊東倫厚・北海道大教授(中国哲学)の研究室で事務官が頻繁に目撃されるなど、宇野家の人脈を頼りにした準備がうかがえる。「菅原氏」など学識のある名家が、江戸時代まで元号の勧進を一手に担ってきた構図と重なり合う。
 しかし、漢学を取り巻く環境は細る一方だった。戦前まで必修科目の一つとされた漢文は、戦後は国語科の一分野になり、授業数は激減。「論語」や「唐詩」を読み解く市民講座に若い受講者は少なくなり、「日本社会から漢文の素養は失われた」と危機感を持つ研究者は多い。
 皇室でも大正天皇は漢詩をつくったが、昭和天皇やいまの天皇陛下は和歌を詠んだ。漢籍を基本とした皇族の名前や追号にも、戦後は万葉集や日本最古の漢詩集「懐風藻」など国書典拠が出始めた。中国古典による元号案を05年に政府へ提出した小倉芳彦・学習院大元学長(東洋史)や政府から内々で考案を相談された尾形勇・東大名誉教授(東洋史)は、数年前に政府の担当者からの連絡が途絶え、今回は正式に委嘱されなかった。
 そんな中で初めて漢籍案が落選した今回。「令和」は典拠こそ万葉集だが、引用されたのは漢文で書かれた序文だ。漢籍の「文選」も典拠となりうると専門家は指摘する。漢文の専門家からは「漢籍から採る伝統はギリギリつながった」という声が出る一方、「次の元号で漢籍に戻す空気にはならない。国書に扉を開いたら、永遠に漢籍典拠の元号は誕生しないだろう」との指摘もある。
 宇野茂彦氏は元号発表後、記者団にこう語った。「漢籍を中国のものとみるべきではない。文化に国境はないのだから」。1300年続く日本の元号が、大きな曲がり角にきたのは間違いない。

| コメント (0)

2019/04/01

新元号の号外を奪い合う人々、異口同音に「平和な時代になりますように」とコメント。

皮肉が効いていて面白いのでメモ。

新元号伝える「号外」 奪い合い激しい混乱に | NHKニュース(2019年4月1日 14時47分)
新しい元号が「令和」に決まったことを受けて東京や大阪では新聞の号外が配られましたが、奪い合う人たちで激しい混乱となりました。

東京 新橋 奪い合って転倒

東京 新橋駅前では、午後1時前から新聞各社が号外を配布しました。担当者が新聞を配り始めると多くの人が詰めかけ、奪い合って転倒する人も出るなど激しい混乱となり、いずれの社の新聞も数分ほどでなくなりました。
神奈川県から来た15歳の高校生は「取り合いになって大変でしたが号外を受け取ることができてよかったです。新しい時代に活躍できるよう頑張りたいです」と話していました。
母親と一緒にいた都内に住む小学2年生の男の子は号外を大人の人から譲ってもらったということで「新しい時代が戦争がない平和な世の中になってほしいです」と話していました。
埼玉県から小学生の長男と来た42歳の会社員の男性は「身の危険を感じましたが号外を手に入れました。『令和』はまだ違和感がありますが、そのうち慣れると思います。私の子どもの世代が担う新しい時代が災害もなく平和であればと願っています」と話していました。
24歳の会社員の男性は「自分の名前の和が入っていて、うれしいです。私は平成生まれですが、新しい時代もよい時代になるといいですね」と話していました。

JR大阪駅前 悲鳴や怒号 警察も出動

新しい元号が「令和」に決まったことを受けて、JR大阪駅前には新聞の号外を求める多くの人が殺到し、警察が出動する事態となりました。
JR大阪駅前には、新しい元号を伝える新聞の号外を求めて多くの人が集まり、正午ごろには身動きがとれない状態となりました。
駆けつけた警察官が「危ないので立ち止まらないで」などと繰り返し呼びかける中、午後0時半ごろに配布が始まると、待っていた人たちがわれ先にと殺到して、悲鳴や怒号が飛び交う大混乱となりました。
集まった人たちは号外をもらおうと手を伸ばし、中には1枚の号外を引っ張り合って半分に破れてしまう様子も見られました。
この混乱を受けて一部の新聞社では大阪駅で予定していた号外の配布を見送りました。
しわくちゃになった号外を手にした奈良県の16歳の女性は「人混みがすごく、倒れている人もいて怖かったです。取り合いになってぐちゃぐちゃになりましたがもらえてうれしいです。新しい元号はきれいな印象でいい時代になればいいなと思います」と話していました。
また、一緒に来ていた友人の16歳の女性は「私たちが大人になっていく時代の元号なので、思い出深い1日になりました」と話していました。
縦に半分にちぎれた号外を手にしていた枚方市の38歳の男性は「取った瞬間に引っ張られて半分の状態ですがなんとかもらえました。平成の時代は自然災害が多く苦しんだ人も多かったと思うので、『令和』の時代は和やかにより豊かになっていけばいいと思います」と話していました。
お釈迦様が垂らした蜘蛛の糸に群がり争う人々が「争いがない平和な時代になればいいな」と口々に言っているようで、とても面白いです。

| コメント (0)

« 2019年3月 | トップページ | 2019年5月 »