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2019/04/05

首相の顔色を見て決めた元号、天皇関係行政と「宇野家」と統一教会。

国書に敗れた漢籍 改元支えた漢学の名家「宇野家」とは [令和]:朝日新聞デジタル(2019年4月4日09時30分)

石川忠久氏が国書からの案を出すと
 → 「担当者は「首相も喜びます。これでいきましょう」。」

安倍首相が国王のようですな。

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下記の記事によれば、

「漢学界のサラブレッド」=宇野家の親子3代。

初代:宇野哲人・東大名誉教授  称号「浩宮」を考案。
2代:宇野精一・東大名誉教授  平成改元で「正化(せいか)」を提案。
3代:宇野茂彦・中央大名誉教授 今回の改元実務担当者2名の恩師。

・石川忠久氏も長年精一氏との親交が厚かった。
・90年代には精一氏の弟子だった伊東倫厚・北海道大教授(中国哲学)を事務官が頻繁に訪問。

とのこと。そして、

出目金さんのツイート: "宇野精一は、東京大学名誉教授で、国際勝共連合東京代表世話人で、世界平和教授アカデミー参与で、スパイ防止法制定促進国民会議議長で、日本を守る国民会議呼びかけ人の一人で、日本自由主義会議会員で、日本文化会議評議員で、教科書正常化国民会議の役員で、自由人権委員会委員だったそうで… https://t.co/bpsaspUDlQ"


出目金さんのツイート: "宇野精一は他にも、教科書問題協議会発起人、新教育懇話会会員、日本教育検証制定委員会役員、日本教育会刷新シリーズ監修、勝共教授団全国全国副会長、勝共運動を応援する会世話人、建国記念の日奉祝運営委員、紀元節奉祝式典実行委員、英霊に答える会の発起人でもあったそうですね… https://t.co/svSB4YhMms"


とのこと。どう見ても統一教会の関係者ですね。
こういう人が天皇がらみの政治に深く関わっているんですね。

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国書に敗れた漢籍 改元支えた漢学の名家「宇野家」とは [令和]:朝日新聞デジタル(2019年4月4日09時30分)

 4月1日。石川忠久・二松学舎大元学長は東京都内の病室で、新元号「令和」を発表する菅義偉官房長官の記者会見をテレビで見守った。菅氏が「典拠について申し上げます。令和は万葉集の……」と初めて国書を典拠にしたことを明かすと、一瞬驚いた表情を浮かべ、つぶやいた。「やっぱりかあ」  3月14日付で正式な政府の委嘱を受けた石川氏は漢詩研究の第一人者。実は2年前の夏までに、計13案を考案していた。政府から渡されたA4の提出用紙の束に1案ずつ毛筆でしたため、日本漢学の聖地「湯島聖堂」(東京・お茶の水)にある執務室で、内閣官房の担当者に手渡した。  「万和(ばんな)」(典拠は文選〈もんぜん〉)、「光風(こうふう)」(楚辞〈そじ〉)、「弘大(こうだい)」(詩経)……。漢籍の元号案が続く中、担当者の顔色が変わった。石川氏にとっては専門ではない、聖徳太子の十七条憲法にある「和をもって貴しとなす」から採った「和貴(わき)」を見せたときだった。これは国書案である。  担当者は「首相も喜びます。これでいきましょう」。13案の「筆頭案」に位置づけることになった。この時、石川氏は「権威ある漢籍より、国書の方が好まれる。もはやそういう時代か」と感じたという。最終的に「和貴」は政府原案には残らず、漢籍典拠の「万和」が最後の6案に残ったが、国書典拠の「令和」に敗れる結果となった。

 ■元号準備、中心に「宇野家」
 江戸時代までは、知識人にとって学問の中心は漢籍だった。明治以降は西洋の学問にとってかわられたが、漢籍に典拠を求める伝統は続いた。そこでは、研究者から「漢学界のサラブレッド」と呼ばれる一家が深く関わっていた。
 宇野家――。戦後70年、中国古代思想の名家であり、皇室ともゆかりを持つ親子3代だ。初代の宇野哲人・東大名誉教授は、新天皇となる皇太子さまの称号「浩宮」を考えた。平成改元で「正化(せいか)」を提案した2代目、精一・東大名誉教授は1980年代初め、他の考案者たちよりも若い70歳前後で考案依頼を受けた。文化勲章・文化功労者といった当時の基準から外れても選任されるほどの存在感だった。
 それゆえ、政府との関係も深い。元政府関係者は「ポスト平成の30年間、元号は『宇野家』を中心に準備が進んできた」。国立公文書館に籍を置きながら内閣事務官の肩書で、政府の「黒衣(くろご)」として今回の改元の実務を支えてきた2人の事務官は、それぞれ精一氏と、その長男で中央大名誉教授の茂彦氏の教え子だった。2人は、専門知識のない内閣官房幹部に代わって委嘱する学者の人選を進めるなど実質的に政府の元号選定に影響を与えていた。
 石川氏も長年、精一氏との親交が厚かった。90年代には精一氏の弟子だった伊東倫厚・北海道大教授(中国哲学)の研究室で事務官が頻繁に目撃されるなど、宇野家の人脈を頼りにした準備がうかがえる。「菅原氏」など学識のある名家が、江戸時代まで元号の勧進を一手に担ってきた構図と重なり合う。
 しかし、漢学を取り巻く環境は細る一方だった。戦前まで必修科目の一つとされた漢文は、戦後は国語科の一分野になり、授業数は激減。「論語」や「唐詩」を読み解く市民講座に若い受講者は少なくなり、「日本社会から漢文の素養は失われた」と危機感を持つ研究者は多い。
 皇室でも大正天皇は漢詩をつくったが、昭和天皇やいまの天皇陛下は和歌を詠んだ。漢籍を基本とした皇族の名前や追号にも、戦後は万葉集や日本最古の漢詩集「懐風藻」など国書典拠が出始めた。中国古典による元号案を05年に政府へ提出した小倉芳彦・学習院大元学長(東洋史)や政府から内々で考案を相談された尾形勇・東大名誉教授(東洋史)は、数年前に政府の担当者からの連絡が途絶え、今回は正式に委嘱されなかった。
 そんな中で初めて漢籍案が落選した今回。「令和」は典拠こそ万葉集だが、引用されたのは漢文で書かれた序文だ。漢籍の「文選」も典拠となりうると専門家は指摘する。漢文の専門家からは「漢籍から採る伝統はギリギリつながった」という声が出る一方、「次の元号で漢籍に戻す空気にはならない。国書に扉を開いたら、永遠に漢籍典拠の元号は誕生しないだろう」との指摘もある。
 宇野茂彦氏は元号発表後、記者団にこう語った。「漢籍を中国のものとみるべきではない。文化に国境はないのだから」。1300年続く日本の元号が、大きな曲がり角にきたのは間違いない。


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