« 2019年9月 | トップページ | 2019年11月 »

2019年10月の4件の記事

2019/10/31

伊勢市教委、日本の戦争責任批判・犠牲者の鎮魂は許さないという姿勢を明瞭にする。

慰安婦像写真使用の作品、展示見合わせ=市展覧会「安全第一」と-三重・伊勢:時事ドットコム(2019年10月31日11時46分)

 三重県伊勢市が、29日から市内で開催されている市美術展覧会で、従軍慰安婦を象徴する少女像の写真を使った作品の展示を見合わせていたことが31日、分かった。主催する市教育委員会は理由について、「あいちトリエンナーレの騒動もあり、市民や観覧者の安全を第一に考えた」と説明している。
 作品は同市のグラフィックデザイナーで運営委員を務める花井利彦さん(64)が制作した「私は誰ですか」というB2サイズのポスター。「表現の不自由」をテーマとして、黒を背景に、赤く塗られた手のひらに石が置かれたデザインで、作品の左上には中国人慰安婦を象徴する少女像の写真をコラージュしている。写真の下には、英語や中国語など4カ国語で「私は誰ですか」と書かれている。
 市教委によると、作品は20日に会場に搬入されたが、展示会の運営委員会で議論された後、鈴木健一市長とも相談した上で、28日に市教委から花井さんに展示見合わせを伝えたという。花井さんは少女像の部分をインクでぼやかす対応をしたが、30日に改めて展示不可が伝えられた。
 花井さんは「こんな問題になるとは思っておらず非常に憤慨している」と述べ、「展示前に検閲するのは憲法違反。若い人の表現の萎縮にもつながる。訴訟も視野に入れている」と話した。

記事の写真を見ると、この作品の少女像の部分はほとんど分からないし、分かったとしても万人がそこに明瞭な政治的主張を見いだすのは難しい。
そのような作品であっても、「慰安婦」の片鱗でも見つかるなら、直ちに展示不可の対象となり得る。つまり「慰安婦」への関与をかすかにでも感じさせる作品は全て警戒の対象となる。これを検閲、弾圧と言わずして何というか。

そして、韓国人への差別表現は、多くの抗議にもかかわらず、県立施設での展示を許可され、抗議に屈しない姿勢を役所は示す。これを偏向と言わずして何というか。「あいちトリエンナーレ」以来の顛末は、役所が政治権力者らの思想やイデオロギーに敏感に反応し、それに忖度していることを明瞭に示している。

もっとも、伊勢市は愛国カルトの総本山みたいな伊勢神宮が立地する天皇教の中心地。日本の無謬性信仰と差別排外主義を骨格とする国家神道の聖地ゆえに、役所が狂信的な思想弾圧に走ってもまあ不思議ではないと思わされる。
しかし、このような自慰的・夜郎自大的で偏狭な「愛国」は地域社会の活力を奪い、「国益」を損ね、いずれは国を過たせることになる。功利的に考えても本当に愚かなことである。

| コメント (0)

2019/10/30

歴史修正主義の走狗となりアメリカで破廉恥な圧力を掛ける日本外務省

米グレンデール元市長「日本総領事、少女像撤去を圧迫してきた」 | Joongang Ilbo | 中央日報(2019.10.29 08:16)

米国初の少女像が設置されたカリフォルニア州ロサンゼルス(LA)北部の小都市グレンデールの市議員フランク・クィンテロ元市長が、在LA日本総領事から少女像を撤去するよう圧迫を受けていたと主張した。

28日(現地時間)、団体「慰安婦行動(CARE)」によると、クィンテロ氏は、最近カリフォルニア州立大学ノースリッジ校で開かれた慰安婦ドキュメンタリー映画『主戦場』上映会後に行われた質疑応答の中で「今年赴任した武藤顕・在LA総領事が『総領事としての私の任務はグレンデール少女像を撤去することだけ』と話した」と暴露した。

クィンテロ氏はまた、武藤氏がグレンデール市会議員にも同じ主張をして圧迫したとしながら「(武藤氏は)日本政府が数年間推進してきたそれ、その象徴物(少女像)をなくすことについて話をしたがっていると言った」と伝えた。

グレンデール少女像は今年で設置6周年を迎えた。クィンテロ氏が市長として在任中に設置されたもので、氏は少女像設置に核心的な役割を果たした。

クィンテロ氏は「少女像設置以降、1000通を越える『憎悪の手紙』を受け取ったりもした」とし「私の息子もそういった手紙を受け取った。遠回しに表現して憎悪の手紙であり、内容は驚くようなものだった。単なる憎しみを越えている」と話した。

一方、米国の各大学では慰安婦ドキュメンタリー映画『主戦場』の上映会が相次いで開かれている。日系米国人ミキ・デザキ監督が演出した作品で、日本の右翼民族主義者や歴史修正主義者がなぜ慰安婦問題を否定して隠しているのかを追跡した作品だ。

最近、米国の大学17校のキャンパスで同作が上映されたが、UCLA大学上映会を控えて日本総領事館側が上映会を管掌していたUCLAの教授に抗議の電話をかけていたとCARE側は伝えた。

在ロサンゼルス総領事の仕事は、少女像撤去だけなのだそうで。今の政権がカルト的な憎悪の塊だということがよく分かる。

武藤顕・在LA総領事「総領事としての私の任務はグレンデール少女像を撤去することだけ」
と称して、グレンデール元市長に撤去の圧力。同市会議員にも同様に圧力。
映画「主戦場」の上映会には抗議の電話。

本当に「何やってんの?」状態である。
武藤総領事、自分でこんな愚かなことをやっていて恥ずかしくないのだろうか。こんな情けない行為を「これだけが私の任務」と称したりしていて悲しくならないのだろうか。プライドは傷つかないのだろうか。

まあもっとひどいのは、元市長が千通を超える「単なる憎しみを超えている」手紙を受け取っていることで、このヒステリックな(おそらくほとんどが)日本人たちの存在にはため息しかない。まさに狂信者の群れである。この憎悪を煽り、その危険な行為にお墨付きを与えているのが、現政権と外務省・日本大使館である。

| コメント (0)

2019/10/28

反天皇や日本の戦争責任を問う展示は中止、朝鮮人差別の展示は続行。

この非対称。
そこに本音があることは明瞭だったが、早々に行動として示された。

右翼・排外主義者の「自由」は許され、日本社会のタブーを可視化する表現の自由は許されない。日本では朝鮮人への差別表現は許容される。日本では天皇は素材とすることすら許されない。

表現の不自由展の中止では右翼・差別主義者らの暴力を恐れてというのが理由だった。
では今回、我々がこの「展示」へのテロを予告すれば施設管理者らは中止を決断しただろうか。
私はそうは思わない。極端に言えば機動隊をずらりと並べてでも、警察と公安による徹底捜査をしてでも開催を強行しただろう。中核派が前回の大嘗祭粉砕闘争でロケット弾をいくつか打ち上げたときのように、抗議行動を圧殺してくるだろう。

この非対称性が我々の社会の「表現の自由」の現実であり、この中でなお「不自由展」を再開するために主催者らが費やした労力がその非対称性による格差の大きさを表している。いや大浦信行の「遠近を抱えて」はそもそも破壊され展示すらできなかったのだから、その格差は無限大で測定不能である。

日本では、役人も、議員も、経営者も(慰安婦写真展を中止したニコンが一例)、この非対称を内在させている。日本とはそういう社会である。その状況を踏まえない表現の自由論には意味がない。むしろこの非対称性を温存する役割さえ果たすだろう。

「日本人のための芸術祭」催しを続行 反差別団体は抗議:朝日新聞デジタル(2019年10月27日22時56分)

「反移民」などを掲げる政治団体が27日、愛知県施設の「ウィルあいち」(名古屋市東区)で開いた催しに、ヘイトスピーチ(差別扇動表現)に反対してきた市民団体などが激しく抗議し、施設に中止を申し入れた。だが、施設の管理者は「中止を判断できない」として催しを続行させた。

 催しは「日本人のための芸術祭 あいちトリカエナハーレ2019『表現の自由展』」として、各地で差別街宣を繰り返してきた「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の元会長が「党首」を務める政治団体が開いた。県は施設の使用を許可していた。

 催しを見た人によると、展示作品には「犯罪はいつも朝鮮人」と書かれたカルタの読み札など在日コリアンへの憎悪をあおる内容のものがあり、指摘を受けたウィルあいちも、カルタを含む展示内容を確認した。

 ウィルあいちを含む愛知県の各施設は2016年、利用要領に「不当な差別的言動が行われるおそれ」がある場合には、不許可とする条項を設けている。催しに抗議する市民らは「規則に基づき、即刻中止を」と求めたが、ウィルあいちの小池信純事務所長は「私の判断では決められない」との説明に終始した。

 市民団体による抗議に立ち会った熊本拓矢弁護士は「展示は完全な差別扇動で、中止できる規則があるのに行使しなかったのは行政による完全な不作為だ。県は規則をきちんと使える態勢を早急に整えるべきだ」と話した。(黄澈、比留間陽介)

| コメント (0)

2019/10/21

Tポイントカードと個人情報

876246さんはTwitterを使っています: 「怖いというかキモい。 CCCの新卒採用サイトのTポイント "T会員の一つのIDに180社のリアルとネットの購買履歴が紐付いているので、誰がある店舗でどんな食べ物を買ったか、別店舗でどんな本買ったか見える。""トクホを多く買った健康志向の人がジャンクフードを買うのが見える。その瞬間が面白い。" https://t.co/65VY8hUX8Y」 / Twitter

ここから始まる一連のツイート。

元ネタは以下。
データベースを分析し、プロモーションにとって最適なセグメントを打ち出していく。 | カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社 CCC
魚拓1:Wayback Machine, 魚拓2:ウェブ魚拓

CCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ(株))のデータアナリストの人が語るデータの活用方法。CCCの新卒リクルートページで語っている。

今更と言えば今更だけれども、やっぱり怖い。

私たちの強みは180社を超えるTポイントアライアンス先を通じて日々蓄積され続ける、リアルとネット上の多種多様なライフスタイルのデータを活用したマーケティングのソリューションを打ち出せること。

……中略……

CCCのデータの強みは何と言っても膨大な購買履歴がシングルIDという一つのカードに紐づいているところ。例えばコンビニであるジュースを買った人は、どんな雑誌を購買して、別の飲食店では何を食べているのかといったように、消費者の多様な購買行動を読み解くことができるのです。
これほどまでライフスタイルが把握できるデータは世の中に他にないのではないかと思います。

……中略……

クライアント様が自社の商品を買っている人はこんな人だと言っていたとしても、実際にデータで見たときに違った結果が導きだされることがあります。例えばトクホ飲料をいつも購入していて健康に気を遣っていると思われている人が、別のデータを見るとジャンクフードも一緒に購入していたりする。
つまり健康志向の人だけではなく、ジャンクフードの罪悪感を拭うための同時購入をしている人も存在するといった人物像が浮かび上がってくるのです。そういった瞬間がすごく面白い。

一個人の消費データを全て一つのデータベースに集めることで、その人の私生活をほぼ丸裸にすることができる。
やるかやらないかは、その企業、もっと言えば、そのデータにアクセスできる個人の倫理観のみに委ねられている。
そして、そういうストーキングや監視を本当にしていないのか、その監視情報を誰かに引き渡したりしていないのかは、外の人間には決して分からない。

膨大な個票データを自由に操って統計的事実を見つけていくのがとても刺激的なのはその通りなのだが、そこには医学者が生体実験で人間を切り刻んだり、原爆投下後の広島で被爆者を「診察」して業績を作ったりしたのと似た、人間存在への無関心の怖さを感じる。

| コメント (0)

« 2019年9月 | トップページ | 2019年11月 »