カテゴリー「積ん読」の4件の記事

2014/12/04

Inclusive Wealth Index という指標

福島 清彦 (立教大学特任教授)
衝撃レポート これが日本の実力だ 資本 国連調査で「世界一の豊かさ」 GDPを超える新経済統計。日本の強みは設備・インフラと教育力|文藝春秋SPECIAL|本の話WEB

「ニッポンすげー!さすが俺たちのニッポン!」とかは、どうでもいいのだが。

以前ちらっと新しいマクロ的福祉指標の試算がされているというのをどこかで読んだのだけれど、これだったのかもしれない。高校生も政治・経済で習うNNWをはじめ、この種の福祉指標の試みは枚挙にいとまがないが、とりあえず後で読むようにリスト化。
GDPはもうダメ!みたいな論調は、この種の指標提唱者につきものだけど、国民経済計算が経済指標でしかないことは極めて当たり前のことなので、こういう語り方をする人たちは、ある種のトンデモさんたちだと言って差し支えないと思う。

福島氏は野村総研で定年まで勤め2004年に退職、2005年4月から立教大学へ移り、2010年に65歳の定年を迎えてその後特任教授になったようだ。
CiNiiから:「福島清彦教授の略歴および業績」立教経済学研究 64(3), 161-167, 2011-01-20
大谷 順彦「福島清彦先生の人と学問」立教経済学研究 64(3), 155-160, 2011-01-20

ところで、上の文藝春秋の記事より下記の方が情報量も多いし読むならまだこちらの方が良さそうだ。
福島清彦「暮らしの質を重視する新指標とアベノミクスの功罪」経営・情報研究 : 多摩大学研究紀要 (18), 79-100, 2014(多摩大学機関リポジトリ - 暮らしの質を重視する新指標とアベノミクスの功罪

福島氏が扱っている福祉指標が Inclusive Wealth Index というもの。
記事中で紹介されている「国連の2012年のレポート」というのがおそらく下記。
UNEP and UNU-IHDP (2012) "Inclusive Wealth Report 2012, Measuring progress toward sustainablity", UNEP
ダウンロードが非常に重い。

スマートフォン用のページらしいが、「Inclusive Wealth Report」でググると、International Human Dimensions Programme on Global Environmental Change という団体のサイトがトップに来る。
Inclusive Wealth Index
PCでは非常に読みづらい。
団体概略:About — Inclusive Wealth Index
これによると、アドバイザとして、Partha Dasgupta が上がっているから、一応ちゃんとしているのかなあと思う。このレポートのディレクターとなっている Anantha Duraiappah は国連大学で、東大の客員のようだ。

*****
どういう計算をしているか分からないので、文藝春秋の記事への評価は保留。しかし、UNEPの元々の提唱者が日本についてもレポートを出しているのに、福島氏が自分で計算してみたというのがちょっとどうしてなのかなと思う。それと、用語が…?「生産した資本」とか、固定資本形成のことかとか思ってしまうし…。フローなのかストックなのかもよく分からないし、というかそもそもそうした活動概念ですらないものを合成して誤解を招きそうな名前を付けるのはどうなのだろうか。いやまあ、福祉指標はたいていそういうものではあるのだけど。

個人的にちょっと意外だったのは、立教大学の山口義行氏に金融論の論説や記事が多かったことだ。氏は中小企業論というか中小企業経営的な仕事が専門だと思っていたので。CiNiiには96年以前の業績が見られないが、当初は組合論や労働研究が多かったようだが、中小企業金融や地域金融の業績が増えているので、そうだったのかーという感じ。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2014/10/14

とりあえず積ん読。

以下のリンク間にはとくに関連はない。

キーワードの一つとして→「ノイラートの船」→参考:NEURATH'S BOAT
こちらによれば、このたとえは、Anti-Spengler という論文?にあるそうなのだが、邦訳はなさそう?

Amazon.co.jp: Otto Neurath: Empiricism and Sociology (Vienna Circle Collection): M. Neurath, Robert S. Cohen: 洋書
ただ、オットー・ノイラート - Wikipedia によれば、これは abridged translation だという。

問いとしての“正しさ”: 法哲学の挑戦 - 嶋津格 - Google ブックス

研究会の報告レジュメらしい書評。
神戸大学大学院法学研究科 安藤 馨「嶋津格『問いとしての〈正しさ〉:法哲学の挑戦』へのコメント」2011 年 12 月 17 日 @ 東京法哲学研究会

清水正義「記憶と歴史学についての断章
ヴィダル=ナケ、歴史研究における「記憶」の取り扱いについての論考。ご自身のサイトから。
なお清水氏は白鴎大学教授で、ドイツ現代史がご専攻かな。→白鴎大学|学部・大学院|法学部|教員紹介|教員紹介 法学部専任教員|教員紹介詳細
****
いかに自分の思考がナイーブなものかを痛感する。

清水氏のエッセイは2002年に書かれていて、10年以上経っているのに日本の歴史修正主義を巡る状況は状況はあまり変わっていない、というかむしろ悪化しているようにも思えて、氏がここで提示された問題群は今もなお重要な視角を与えてくれるように感じる。しかし、実際には歴史研究者の人々は遥かこの先を行っているのだろう。その到達点を垣間見てみたいものだと思う。

ところで、歴史と「記憶」の利用という点では、地域振興の世界においてはこれはもう目を覆わんばかりの状況であって、そういう意味ではどう言えばいいか、まさに善良にして真摯な努力をもって喜んで悪魔に魂を売り渡しているわけである。
そういう危うさといかがわしさを私にはっきりと気付かせてくれたのは、数人の歴史学者との対話であった。地域振興を主題にした集まりに彼らが示した明らかな違和感は、私に大いに冷や汗をかかせた。

町の歴史を資源化する取り組みは今や全国に広がっていて、それはフィールドワークやワークショップとして学校教育や生涯教育の中にも広く取り入れられている。地域振興と住民啓発に対して主体的な関与を目指す立場にとって、これはまさに「記憶」を創造し浸透させる行為に他ならない。この行為の持つ意味を未だに私は計りかねている。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2014/09/25

堀江節子『人間であって人間でなかった』を読みました。

Amazon.co.jp: 人間であって人間でなかった―ハンセン病と玉城しげ: 堀江 節子: 本

玉城しげさんという一人の女性からの聞き取りを元にして、ハンセン病患者への差別と虐待の歴史、そしてそれと闘ってきた人たちの取り組みや思いが書かれた書。
玉城さんの暮らしや体験についての聞き取りの文章が中心で読みやすい上に、時代背景やハンセン病に関する国の制度や社会事情の解説が入っているので、理解もしやすい。玉城さんの周囲の人たちからの聞き取りもあって、玉城さんからの視点だけにとどまらず、複眼的にハンセン病国賠訴訟の運動や差別撤廃の取り組みについて考えることができます。
玉城さんの半生記とは直接関係ないものの、玉城さんと深く関わってこられた河上千鶴子さんという身体障害者の「私の体験記」と題する講演原稿も印象的です。養護教育を受けるようになってから障害者であることを意識するようになったというあたりは障害児教育のあり方について考えさせられますし、周囲の人々や社会制度との軋轢の中でも強く自立しようとする意志の強さにも多くのことを考えさせられます。しかし、障害者施設の中で面会拒否や不妊・去勢手術が行われていたという記述には衝撃を受けました。

印象的な記述は多数ありますが、そのいくつかをメモとして残しておきます。

・戦前のらい病政策の始まりが諸外国からの人権問題への批判への対応を動機とするものであったこと。
確か、明治政府の社会保障――貧困救済や障害者対策も同様の動機であったとラジオ講座で聞いたことがあります。欧米人に見られて困るもの、見苦しいものを隠すというところが日本の社会福祉政策の出発点であったという話です。確か、人身売買に関して廃娼運動にもそういう動機があったのではなかったかと。
こう考えると、今、従軍慰安婦問題が外交や国際政治という文脈でしか理解されない多くの現状を見ても、そもそも日本には人権という発想が受け入れられにくい土壌があるのかしらん、と悲観的になってしまいます。

・無らい県運動という運動が存在し、朝鮮人強制連行のような手口が横行していたこと。
1907年「らい予防に関する件」、1929年無らい県運動、1931年らい予防法という時の流れを見ると、徐々にハンセン病患者を隔離、排除、絶滅すべしという認識が深まってきたことが推測されます。それ以前からハンセン病患者は差別対象でしたが、隔離の制度化と共に排除意識も浸透・先鋭化していったのではないかと思います。その中で患者の隔離数を競う風潮が生まれていったのではないかと思います。患者は言わば犯罪者のように捜索・摘発され、甘言を弄して誘引され、周囲への迷惑を種に脅迫されていったのでした。

・「救らい思想」という道徳に基づく療養施設が実は地獄であったこと。
「沖縄ではハンセン病患者は迫害され続けており、1935年隔離小屋が焼き打ちにあう事件があった。このあと沖縄に立ち寄った林文雄は「救らい」事業の重要性を確信、自分が園長となった星塚敬愛園に沖縄・奄美大島の患者を収容することを自らの使命とした」(35ページ)
天皇皇后、戦争を理由にした権威付けや抑圧がよく行われていたことも世相を感じさせます。
患者の労働力利用が進むほど職員を減らしたこと、ずさんな胎児標本を作るというアリバイ工作から「道徳」の本音が透けて見えるようです。
鹿屋市の星塚敬愛園は地元の永田良吉代議士が誘致運動をしてできたとのこと。「みなさんは百姓をしなくても済むし、職員にも採用されるようになる。この畑を国に買い上げてもらって療養所を作ろう」(39-40ページ)、「海軍航空隊の鹿屋基地を誘致したのも永田代議士」(40ページ)という話に今も変わらない地方の哀愁を感じます。原発、廃棄物処分場、米軍基地、自衛隊……。

・戦後、治療法が明らかになった後ですら隔離政策は継続されたこと。
1948年優生保護法によるハンセン病患者への優生手術合法化。1949年の第2次無らい県運動、1953年のらい予防法。療養所長らの隔離・管理強化の主張。遺伝しない病気の患者の断種という矛盾。

・1960年に玉城さんに会いに来たお父さんの怒り。
・裁判闘争への反対者との軋轢。園の抵抗、職員の立場。
・浄土真宗の謝罪
1996年「ハンセン病に関わる真宗大谷派の謝罪声明」

・馬場広蔵、林力という父子と玉城さんとの関わり。
Amazon.co.jp: 山中捨五郎記―宿業をこえて: 林 力: 本
Amazon.co.jp: 父からの手紙―再び「癩者」の息子として: 林 力: 本

・「強制連行した麻生炭鉱の孫が総理になったと聞くと、アジアの人たちは、日本の軍国主義が復活したと思うね」(167ページ)

・鹿屋市のNPO「ハンセン病問題の全面解決を目指して共に歩む会」の代表、松下徳二さん、倉園尚さんの存在。
講演録「人間回復への言葉」にある松下さんの言葉。「私たちはみんな加害者なんだ」「いっぱい差別問題はあるのに、『私は差別していますよ』という人は、一人もいらっしゃらない。」「自分たちが差別する側に立っているんだということを、ほとんどの人は考えていないんではないか」(199ページ)

・徳田靖之弁護士の言葉 「救済の対象から、解放の主体へ」(200ページ)
・四十物和雄さんの言葉 「障害者の家族は、障害者にとってはもっとも身近な加害者であり、家族としての負担を負う被害者でもある」(200ページ)

・運動のつながり
赤瀬範保さん(HIV訴訟)「ハンセン病患者はなぜ怒らないのか」→島比呂志さんが九州弁護士連合会に手紙を書く。
島比呂志さんの作家活動→主宰する同人誌「火山地帯」で松下徳二さんと友人に→運動支援を頼まれ1999年に会を立ち上げる

参考
「いま、なぜ、らい予防法を問うのか…語る人◆島比呂志・聞く人◆篠原睦治」社会臨床雑誌第3巻第1号1995年4月9日
松下徳二「ハンセン病問題その後の歩み」、篠原睦治「〈追悼〉島比呂志さんの「生涯人間」宣言に学ぶ」社会臨床雑誌第11巻第2号2004年1月11日

| コメント (0) | トラックバック (0)

2014/05/09

読む?本

Amazon.co.jp: 千葉 敦子:作品一覧、著者略歴

なかなかきつそうな人ではある。
でも、それ故に面白そう。

古本で安価だし。

| コメント (0) | トラックバック (0)