カテゴリー「日の丸・君が代、天皇制」の10件の記事

2018/04/05

自称「中立」という偏向:北海道経産局が原発に関する教育講演に介入

大学助教の原発説明に修正要求 北海道経産局、高校での講演に - 共同通信
2018/4/5 14:08

 北海道ニセコ町の町立ニセコ高で昨年10月、日本科学技術振興財団の事業の一環でエネルギーをテーマにした講演を行った際、経済産業省北海道経産局が講師の大学助教に原子力発電に関する説明を修正するよう求めていたことが5日、分かった。一部住民は「教育への圧力だ」と問題視。経産局は「中立公平な内容とするためアドバイスした。不当行為ではない」としている。

 ニセコ高は2017年度、経産省資源エネルギー庁の委託で財団が実施するエネルギー教育モデル校事業の対象校に選ばれた。昨年10月、北海道大大学院の山形定助教が原子力などエネルギーの特徴を説明する講演を実施した。

「中立公平な内容とするためアドバイスした」とのこと。「中立公平」とか「アドバイス」とか言葉の選択がいちいち笑わせる。

経産省エネ庁の「エネルギー教育」予算 → 科学技術振興事業団(JST)が実施
ちなみに科学技術振興事業団は、文科省が所管。

上記共同通信の記事は各地方紙のサイトにも掲載されている。

北海道新聞はやや詳しい。

経産局、ニセコ高の原発講演に修正要求 不当介入と批判:どうしん電子版(北海道新聞)
04/05 12:42 更新

 【ニセコ】後志管内ニセコ町の町立ニセコ高校で昨年10月、北大大学院工学研究院の助教が公益財団法人・日本科学技術振興財団(東京)の事業の一環として行ったエネルギー問題に関する講演に関し、北海道経済産業局幹部が事前に原子力発電の問題点に関する内容の変更を求めていたことが5日、分かった。助教は資料を追加したものの、削除などはせずに講演を行った。住民からは「教育への不当な介入だ」との批判が上がっているのに対し、道経産局は「中立的な講演内容を求めただけだ」と反論している。

 講演は2017年10月16日、自然エネルギーなどに詳しい同院の山形定(さだむ)助教(環境学)が「ニセコでエネルギーと環境を考える」と題して行った。ニセコ高は17年度、同財団から「エネルギー教育モデル校」に選ばれており、講演は、同財団が経済産業省外局の資源エネルギー庁の委託を受けて実施した。

 山形さんは5日前の同11日、講演会で使用する説明資料を高校に送った。翌12日には、経産局の部長と課長が高校側から送られた資料を手に、山形さんの研究室を訪問。原発の発電コストの高さや原発事故発生時の危険性を指摘した記述と写真について「他の見解もあるのではないか」と指摘した。福島第1原発事故の水素爆発時の写真を掲載した資料については「印象操作だ」などと変更を求めた。
残り:509文字/全文:1072文字

・原発の発電コストの高さ・事故発生時の危険性の説明→「他の見解もあるのではないか」
・福島第1原発事故の水素爆発時の写真→「印象操作だ」

やっぱり「中立公平」とか、笑うしかない。
原発が低コスト・安全だという説明には「他の見解もあるのでは」などと言うはずがないし、原発自治体で原発落成を祝った写真を見せても「印象操作」とは言わないだろうからね。

毎日新聞記事は違う方面からの記事。

北海道経産局幹部:原発記述の修正要求 ニセコ高の講演に - 毎日新聞
2018年4月5日 00時54分(最終更新 4月5日 01時01分)

北海道大助教のエネルギー問題講演で
 北海道ニセコ町立ニセコ高で昨年10月、公益財団法人・日本科学技術振興財団の事業で北海道大の助教がエネルギー問題の講演をした際、北海道経済産業局幹部が事前に原子力発電の問題点を指摘する部分の変更を求めたことが関係者への取材で分かった。住民から「教育への介入」と批判する声が上がる一方、経産局は「原子力を含めた各エネルギーのメリットとデメリットの両面が幅広く伝わるようにするのが目的だった」と反論している。

 講演は昨年10月16日にあり、北海道大大学院工学研究院の山形定(さだむ)助教が「ニセコでエネルギーと環境を考える」と題して全国とニセコ町のエネルギー全般について説明した。

 複数の関係者によると、山形氏が事前に高校側に講演資料を送ったところ、経産局の部長と課長が山形氏を訪問。原子力の発電コストや事故発生時の危険性を指摘した記述と写真について「特定の見方だ」「(福島第1原発の水素爆発時の写真掲載は)印象操作だ」として変更を求めた。

 山形氏は「(風力発電などの)自然エネルギーが100%安全なわけではない」などの記述を加えたが、原発についての記述や写真は変更しなかった。取材に「(変更要求が)原発に集中しており、違和感を覚えた」と話す。

 同高は昨年度、日本科学技術振興財団から「エネルギー教育モデル校」に選ばれ、講演もその一環だった。モデル校には経産省外局の資源エネルギー庁が財団を通じて教育活動費を助成していた。

 経産局は「事業の目的に沿って実施するための対応だった。原発のデメリットを一方的に決めつけ、メリットを説明しないのは問題。教育への介入ではない」と説明した。ただ、同局が事前に内容の修正を求める例は多くないという。

 経緯を知った町民らが「教育への介入」などと問題視。昨年12月から3月まで住民の求めにより町の住民説明会が3回開かれ、町長らが状況を説明した。また、町議会でも共産党町議が「圧力をかけた」などと批判した。【田所柳子】

欠けていた住民への配慮
 今回の問題は二つの論点がある。まず「経産局が原発批判を封じたのか」。同局は「仮に自然エネルギー批判が極端な講演でも変更を求めたはず」と否定した。ただ、ニセコ町の一部は、北海道電力泊原発(泊村)の30キロ圏内に含まれるだけに講演内容に過剰に神経をとがらせた可能性もある。一方で住民の反発は、原発問題への関心の高さも背景にあるのだろう。

 もう一つは「教育に介入したか」。同局はこれも否定した。資源エネルギー庁の補助金で実施する事業を同局が「適切かチェックする」(関係者)こと自体は問題ないかもしれない。しかし、講師を訪ねて内容変更を迫ったのは異例だ。

 住民説明会に参加した男性は取材に、文部科学省が2月、前川喜平前事務次官が講師を務めた授業を終了後に調査した問題を挙げ「今回は事前介入で、より問題が大きい」と批判した。住民にどう受けとめられるかの配慮に欠けていたのは間違いない。【田所柳子】

田所記者の論評はかなり控えめ。政府に弱腰だとすら思えるほど。

講師が講演資料を高校に送付 → 経産局が講師に原発に集中して変更要求。

経産局の言い分「原発のデメリットを一方的に決めつけ、メリットを説明しないのは問題。」
全然中立じゃないじゃん。

「自然エネルギー批判が極端な講演にも変更要求する」と言うのは空々しいよね。そんなことをするはずがないし、そんな講演がそもそもあるのかとも言えるし。

これはもちろん先日の
・前川前事務次官の教育講演に不当介入した文科省と自民党極右の赤池・池田の2議員
・中学校の性教育に介入した東京都教委と自民党古賀俊昭都議
とを思い出させるわけだけれども、もう一つ、
・慰安婦問題での言論活動に圧力を掛けた外務省
もまた思い出させる。
前川前事務次官の件と中学校の性教育の件は、どちらも自民党極右議員たちが発端になっているけれども、今回の原発講演への介入はそうではないみたいだ。その点では外務省の慰安婦問題への介入に似ている。

前川前事務次官の件はもちろんモリカケ問題に絡んでいるので安倍政権がらみ。
性教育への介入は2003年の七生養護学校への介入と併せて考えると、安倍晋三氏の系譜が浮き出てくる。
そして慰安婦問題での外務省の圧力は、安倍政権下で強まった。もちろん安倍氏は有名な破廉恥広告 THE FACTS に荷担したし、日韓合意でカオスを作った責任者でもある。

そう考えると、行政機関による言論・教育への圧力を半ば堂々とやり、開き直るようになったのは、やっぱり安倍政権の影響だとも言えるんじゃないか、控えめに言っても。

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追記(2018年4月11日)

倶知安町:講演の講師を変更 過去に原発「危険性」指摘  - 毎日新聞
2018年4月11日 19時09分(最終更新 4月11日 19時27分)

経済産業省の出先機関・北海道経産局が昨年、ニセコ町の高校で講演した北海道大助教に原発の危険性を指摘する内容を修正するよう求めた問題で、隣接する倶知安町がいったん助教を講師とする講演を内定した後、同局から推薦された別の講師に変更していた。町は「自主的に判断した」と強調するが、助教は「町側が経産局に『そんたく』したのかもしれない」と話している。

 倶知安町は昨年、経産省の再生可能エネルギー促進に関する事業の助成を受けて「再生可能エネルギーセミナ…

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残り496文字(全文730文字)

全然関係ないんだけど、とある国の機関の人の話をよく聞くんだけど、その機関が所管している政策に批判的な人々や、反対する人々がいるわけ。まあ役所だからそういう反対運動みたいなものはどうしても出てくるよね。で、その機関の人々は、そういう批判や反対をする人たちのことを、これはもう、本当に蛇蝎のごとく嫌っているというか、心底侮蔑し嫌悪……というか憎悪すらしているようなんだよね。生存自体を認められないというか、それぐらい嫌っているらしい。
どうしてそう言えるかというと、その人達の話になると、明確に敵、しかも猛烈な悪意で攻めてくる、役所を潰すことだけを目的とする悪の集団だという認識しか出てこないんだよね。しかも、その職場ではだいたいの人がそう感じているという。
批判者や反対者、抗議行動をする人たちにも色々なタイプがあるし、主義主張も異なるはずなんだけど、あまり違いは認識しないみたいで、ただ敵としか見ていないっぽい。公務員試験を通った人たちがそういうアタマでどうする、と思ったりもするけれど、まあそういうものらしいです、少なくとも私の聞く例では。

どうしてこんなことを思い出したかというと、原発政策担当部署の人たちもそういう感覚なのかもしれないなあと思ったからなんですね。
昔、学校を卒業して数年後、久しぶりに学友と食事をしたときに、たまたま原発問題の話になったことがあったんですね。すると、その学友が見事に原発推進派になっており、そして反原発運動の人たちを陰謀論者であるかのように批判して、原発反対論を次々と「論破」していったんですね。彼はノンポリ(古語?)で社会問題には無関心、そういう政治的な話をある意味侮蔑していたような人だったので、びっくりしたのを今でも覚えています。で、その彼の就職先は電力会社だったという。マンガみたいな話だけれども実話です。
他方、学生時代は強固な原発支持者だったんだけど、原発と関係ない……というか、本当は多少は原発に関係するんだけれど、あまりその関係は芳しくないものを抱えているところ……に就職した友人は、何年か経って「原子力とは離れたい」と言って全然関係ない方面に異動しましたね。あのエバンジェリストが一体どうして、とそのときも驚いたのを覚えています。

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2018/03/29

反道徳的な道徳教科書

※本件は直接日の丸・君が代や天皇制と関係するものではないけれど、権力による価値観や信仰の押しつけ・強制という観点からこのカテゴリに入れる。

道徳「愛国心」など自己評価 専門家から疑問の声も:朝日新聞デジタル
2018年3月28日02時27分

 来春から「特別の教科」となる中学校道徳の教科書検定で、8社の教科書が合格した。生徒が「思いやり」や「愛国心」などの項目を、数値や記号を使って自己評価する欄を掲載した教科書もあり、専門家から疑問の声が出ている。

 8社中5社は巻末などに、生徒が数値や記号で「自己評価」する欄を設けた。広済堂あかつきは「自分自身を振り返って」と題して、学習指導要領が求める「節度、節制」や「国を愛する態度」といった22項目について、5段階で自己評価する内容。日本教科書も「身につけたい22の心」を4レベルで自己評価する一覧表を載せた。

 教育出版は22項目と、その内容を紹介した教材名と並べて「心かがやき度」を星1~3個で示す手法。東京書籍と日本文教出版は項目別ではないが、A~Dや丸をつけて生徒が振り返る欄を作った。

 道徳の教科化に伴って生徒は教員から評価を受けるが、数値評価ではなく、記述式。中身も「内容項目ごとではなく、大くくりなまとまりを踏まえて」(文科省)になる。日本教科書の監修をした白木みどり・金沢工業大教授(道徳教育)は自己評価の欄の目的について「あくまでも生徒自身のためで、先生が見るためではない」と話す。ただ、「先生が生徒を見取る際の手がかりにして欲しい」(広済堂あかつき)「教員には不安も多い。評価の一助になれば」(東京書籍)と話す教科書会社もある。

 自己評価欄に検定意見はつかなかったが、文科省はこの内容を教員が活用することには否定的だ。「対話や授業の様子から見取るのが基本であり、教員が評価の参考にすることは想定していない」という。

 道徳教育を研究する子安潤・中部大教授は「『愛国心』など外から与えられた枠組みで自己評価をさせると、子どもの考え方を縛ることになりかねない」と懸念する。数値での自己評価欄を入れなかった教科書会社の編集者も「数値評価なんてあり得ない。数値からは生徒の具体的な考えは見えてこない」と話した。

 ログイン前の続き教科書全体を通じては全社が「いじめ」に力を入れた。「いじり」と「いじめ」の違いなど、生徒に考えてもらおうという教材が目立ち、いじめが「法律では犯罪になることがある」と書いた教科書もあった。スマホも各社が扱い、「歩きスマホ」の危険性や、SNSなどへの書き込みからトラブルになるといった教材を複数社が掲載した。

 「いのち」を考える教材では臓器移植が7社で取り上げられ、「なぜ人を殺してはいけないのか」や死刑制度、尊厳死について考える教材も登場した。LGBTなど性的少数者の話題も4社の教科書に載った。

 既存の文科省の副読本「私たちの道徳」「中学校道徳読み物資料集」から転用した教材が目立ったのも特徴だ。計29作品をいずれかの社が採用し、全社が「二通の手紙」という題材を掲載した。市営動物園の職員が、入園時刻を過ぎて訪れた幼いきょうだいを入園させたことから始まる物語だ。

日本の紹介文、修正も
 教科書検定では、日本に関する記載も修正を求められた。学校図書は日本文化の紹介で「他の国に類を見ない、細やかな言葉遣いがある」という記述が「断定的に過ぎる」とされた。東京書籍も和食に関連して「食べ物に対して感謝の言葉を口にするのは日本人だけです」と書き、同様の意見がついた。両社ともに削除や修正をして対応した。

 教育出版は47都道府県から1人ずつ、ゆかりある人の発言を紹介したが、谷崎潤一郎や嘉納治五郎ら9人に「典拠に信頼性がない」などの検定意見がついた。同社によると、言葉選びの「入り口」に著名人の名言などをまとめたサイトを利用した後、文献などで根拠を確かめたが、指摘があった人物は確認できず、発言や人物を修正した。

 「研究者に問い合わせなどをする必要があった」と同社の担当者は話す。文科省教科書課は「ネット上の情報が直ちにダメだとは言えないが、信頼性のある典拠が必要だ」としている。(土居新平、円山史、峯俊一平)

中学校道徳で学ぶ「22の内容項目」(学習指導要領から)
自主、自律、自由と責任▽節度、節制▽向上心、個性の伸長▽希望と勇気、克己と強い意思▽真理の探求、創造▽思いやり、感謝▽礼儀▽友情、信頼▽相互理解、寛容▽遵法(じゅんぽう)精神、公徳心▽公正、公平、社会正義▽社会参画、公共の精神▽勤労▽家族愛、家庭生活の充実▽よりよい学校生活、集団生活の充実▽郷土の伝統と文化の尊重、郷土を愛する態度▽我が国の伝統と文化の尊重、国を愛する態度▽国際理解、国際貢献▽生命の貴さ▽自然愛護▽感動、畏敬(いけい)の念▽よりよく生きる喜び

掲載図:「道徳教科書の「自己評価」の例(抜粋)」(魚拓)道徳教育で最もやってはいけない価値観の押しつけを道徳教科書が率先してやっている。ブラックコメディにもならない。
例えば「国を愛し、伝統や文化を受け継ぎ、国を発展させようとする心」の最低ランクが「意味はわかるけれど、大切さを感じない」、最高ランクが「大切さや意味は理解していて、多くの場面で態度や行動に出来る」とされている。私など「全く大切さを感じない」し、「態度や行動」に出すなど自分の存在を掛けて断固として拒否するけれど、大きなお世話と言うほかはない。色々な事情で国家や政府に不満を持っていたり、郷土に複雑な思いを抱えたりしている人は少なくないと思うが、そういう人はどうすればいいのだろうか。
「日本人としての自覚をもち、国の発展に努める」が「できなかった」とか「とてもよくできた」とか、そもそも意味が分からない。それに学校には多国籍の人が学んでいるのだけれど、彼らの気持ちや周囲との関係に悪影響が出そうで心配になる。

しかし、数値などを使って自己評価させる手法を複数の教科書が採用したということは、文科省から何らかの考え方が示唆されたのではないかと思えるのだが、どうなのだろうか。流行の自己評価とPDCA、文科省のマイブームで大学でも導入圧力が強いのだが、それとも関係するのだろうか。

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2018/03/01

「昭和天皇のピンク映画」の新聞広告が黒塗りになったとのこと。

2018年3月1日のできごと。
天皇タブーを逆手に取った広告なんじゃないかと思ったりするんだけど、どうだろう。

カルピスタイム99歳さんのツイート: "週刊新潮の「昭和天皇のピンク映画」の広告、大手五紙の内、産経以外の四紙が不敬として黒塗りとなる、珍事態に… "

黒く塗りつぶされた週刊新潮の広告 - Hagex-day info

「昭和天皇」の文字と天皇の顔写真が黒塗りになっている。毎日新聞の紙面ビューワーで見たら、全く同じ黒塗りだった。地方紙でもそういうものがあるみたい。

サトルオクダさんのツイート: "静岡新聞、週刊新潮の見出し広告で久しぶりの墨ぬり発動。昭和天皇茶化しはNG。… "

産経新聞と週刊新潮の広告では黒塗りにはなっていない。東京新聞と中日新聞もそのままとのこと。

ハプスブルク帝国広報大使(自称サザエさん有識者)さんのツイート: "中日新聞はそのまま掲載していましたね… "
いずみ(tahko)🌈世界平和希望さんのツイート: "東京新聞は五紙からは外れますが。 朝日は真っ黒でびっくりしました…… "

画像を見てみるとどの新聞の黒塗りも同じに見えるので、出稿側があらかじめ塗っていない版と塗った版を二つ用意して、使い分けたのだろうか。その使い分けは広告主の意図なのか媒体側の意図なのかどちらなんだろうか。
単なる天皇タブーだけなら「ゆゆしきこと」と批判すればいいんだけど、あえて逆手に取ったのならタブーへの風刺がこもるので、それはそれでありだなあと思ったり。

見ているものは同じ事象なのに、作者の意図によって作品の意味と評価が変わるのはどうなんだろう……と思ったりもする。

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2018/02/19

天皇教の一事例

「天皇陛下をひざまずかせるとは」「誰か止めるやつはいなかったのか」「天皇陛下がひざまずいているのに、被災者があぐらをかいて迎えるなんて何事だ」。両陛下の訪問後、町役場には報道を見た人から批判や怒りの電話が相次いだ。
「ひざまずいた」のでなくて「膝をついた」んだけど、そうは思えなかったんだろう。

ちょっと面白いのは、93年の奥尻島では批判電話がかかってきたのに、95年の神戸市にはそうした反応がなかったということ。別の記事では86年の三原山噴火の避難民を慰問したときには既に天皇夫妻が膝をついていたとのことなので、それを畏れ多いとする人はそれほど多くはないのだろう。奥尻島の場合には、絵柄として被災者が横柄に見える形で報道されたということかもしれない。尊い存在が下賤の民を慰問する姿に尊崇の念を強める一方で、その慈愛への感謝が不十分な被災者には怒りを抱き、抗議までする人がいる。それを配慮して、恭しくお迎えしているような絵作りで報道すれば、そうした態度が天皇への接し方のマナーとして流布することになるだろう。

ところで、全然関係ないんだけど、仮に自分が被災したところに天皇が慰問に来たとして、嬉しいと感じるだろうか。自問してみたけれど、なんとも微妙で対応に困りそうだ。知人や身内なら感情的つながりもあるし、今後の相談など話すこともある。役所や政治家の人なら、いろいろな手続きや見通しなどの話も出来る。でも天皇に来てもらってもなあ、何の話をしていいか分からない。いや、お見舞いはありがたいんですよ、それは誰に来てもらってもありがたい。でも何というか、何の関係もない(よく知らない)有名人が突然お見舞いに来てくれても、「はい、ありがとうございます……」ぐらいしか言えない感じがする。せいぜい記念写真を撮って後の話題にするぐらいだろうか。でも天皇の場合はたぶん一緒に記念写真とかダメそうな気がするから握手してもらうぐらいかな。

「陛下をひざまずかせるとは」被災の島に批判が相次いだ:朝日新聞デジタル
2017年11月21日05時05分

 ■「天皇をひざまずかせるとは」。両陛下の訪問後、町に批判の電話が相次いだ。
 北海道南西沖地震から16日目の1993年7月27日、奥尻島・青苗地区。津波と火災になめ尽くされ、家の残骸やつぶれた車などが広がる現場に、天皇、皇后両陛下が現れた。
 「いまだに一人も見つかっていません」。親類の一家7人が行方不明という女性の言葉に天皇陛下は絶句した。皇后さまは子どもらの肩を抱くようにして「大丈夫でしたか。お友だちのためにも頑張って」と話しかけた。
 奥尻空港で被害状況の説明を受けた両陛下は車で青苗地区に向かう途中、空港近くの仮設住宅に立ち寄った。皇后さまは「ご苦労さまです。工事をされている方ですか。頑張って下さい」と励ました。
 移動中、特別養護老人ホーム「おくしり荘」の前で出迎えた車いすなどのお年寄りを見つけると両陛下は車から降り、芝生を横切って歩み寄り、声をかけた。同行職員が「そろそろ時間です」と声をかけたが、皇后さまは「大丈夫ですか」と一人一人を励ました。
 避難所の青苗中学校体育館(当時)で天皇陛下はひざをつき、「どうぞ元気で」などと声をかけた。震災後、対岸の江差町内の檜山支庁(当時)から奥尻町役場に応援に入り、体育館の外から様子を見守った渡部和正(わたなべかずまさ)さん(69)は衝撃を受けた。天皇陛下はそんなことをするもんじゃないと思っていたからだ。
 「天皇陛下をひざまずかせるとは」「誰か止めるやつはいなかったのか」「天皇陛下がひざまずいているのに、被災者があぐらをかいて迎えるなんて何事だ」。両陛下の訪問後、町役場には報道を見た人から批判や怒りの電話が相次いだ。町職員だった竹田彰(たけだあきら)さん(64)は十数件に対応した。「両陛下の優しい思いやりから出た自然な行動」「町が頼んだわけでもなく、両陛下に意図はない」などと説明に追われ、仕事もままならなかった。
 だが95年に両陛下が阪神大震災の被災地を見舞った後に竹田さんが神戸市職員に聞いたところ、陛下がひざをついたことへのクレームは市に一件も寄せられなかったという。「当たり前の行動として国民に受け入れられるようになったのでは。陛下の被災地に対する思いが伝わったんだろう」(多田晃子)
 (No.371)

 ◆てんでんこ 互いにちゃんと避難する。そんな相互信頼の日常的な醸成も新たな意味に。

ひざをつく両陛下、被災者と同じ目線 まず皇后陛下から:朝日新聞デジタル
2017年12月6日05時10分

 「皇室と震災」シリーズをこの週で終えるにあたり、天皇、皇后両陛下が築き上げてきた被災地訪問のスタイルやその意義について、改めて考えてみたい。
 まず、両陛下が被災者の前でひざをついて語りかける姿について。象徴天皇制を研究する河西秀哉(かわにしひでや)・神戸女学院大准教授(40)や瀬畑源(せばたはじめ)・長野県短大准教授(41)、森暢平(もりようへい)・成城大教授(53)はテレビ番組や新聞記事を皇太子夫妻時代からさかのぼって調べた。
 たとえば皇太子明仁さまが1959年10月、天皇の名代として伊勢湾台風の被災地を訪れた際は、座っている被災者に、自身は立ったままで話しかけている。一方、皇太子妃美智子さまは、結婚後間もない62年に九州を訪れた際、宮崎や鹿児島の児童施設で子どもが横たわるベッドにかがみ込んだり、ひざをついたりして子どもたちに語りかけていた。
 結婚後27年の86年11月になると、姿勢に変化がみられる。今連載第3部初回でも紹介した通り、伊豆大島三原山噴火で東京都心に集団避難中の島民を慰問した際、ご夫妻でひざをつき、被災者と同じ目の高さで話した。91年の雲仙普賢岳のときの姿勢とほぼ同様だ。
 「皇太子は最初は人々との接し方に距離感があったが、美智子妃の姿を間近で見て、次第にその意識を変化させていったのではないか」と河西さんは推測する。
 ひざをつく姿勢は、昭和天皇にはなかったものだ。原武史(はらたけし)・放送大教授(55)は「昭和天皇は国民を抽象的な『臣民』ととらえていた。明仁天皇は自らひざをつき、国民一人ひとりと1対1で向き合った」と指摘する。
 皇后さまの姿勢の原点は、どこにあるのか。河西さんは「聖心女子大で学んだキリスト教主義的思考や、皇室がもともと持つ慈恵主義的な意識とともに、静養中からかかわるようになった精神科医の神谷美恵子(かみやみえこ)の影響があるのでは」と指摘する。神谷医師は、国立ハンセン病療養所長島愛生園(岡山県)の精神科医長を務めた。美智子皇太子妃が流産などで体調を崩した際、田島道治(たじまみちじ)・元宮内庁長官の勧めで60年代半ばから7年間ほど、お住まいの東宮御所に相談相手として通った。
 神谷医師からハンセン病の話を聞いたことがきっかけで、お二人は68年から国内各地のハンセン病療養所訪問を始め、2014年、全国14園の訪問を達成している。(北野隆一)
 (No.382)
掲載図:「鹿児島市の児童養護施設で子どもに声をかける美智子さまと、立って職員と話す皇太子明仁さま=1962年5月8日、朝日新聞社撮影」(略)

連載記事一覧 てんでんこ 皇室と震災 第3部:朝日新聞デジタル

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2017/03/22

文科省:領土問題に対する近隣国の見解は教えるな。だが教育勅語は教えて良い。

正確には、「近隣国の見解を教えてもいいけどそれは誤りだと断言すべきだし、領土問題って難しいから、他国の見解を授業で解説する余裕はないでしょう」という趣旨なのだけれど。

領土問題については先日メモした以下の報道。

(新!学習指導要領)「国の立場、言い切る指導を」 竹島・尖閣どう教えるか、文科省に聞く:朝日新聞デジタル
文科省:政府見解を「正しい」と断言することが国民教育だと叫ぶ: 思いついたことをなんでも書いていくブログ

教育勅語については、以下の文科相会見。

松野博一文部科学大臣記者会見録(平成29年3月14日):文部科学省魚拓

この会見には加計学園の件で「働きかけはなかった」という話もあるが、とりあえず教育勅語関連の応答を抜き出しておく。

記者)
 最近国会でも議論になっております教育勅語に関して、文科省の審議官なども国会答弁の中で、今日でも通用するような普遍的な価値のあるというような、部分的に肯定するような答弁というものが閣僚も含めてなされています。これについて、松野大臣としてはどのようにお考えか、同じようなお考えなのか、お聞かせ願えますでしょうか。

大臣)
 教育勅語は、日本国憲法及び教育基本法の制定等をもって、法制上の効力を喪失しております。文部科学省としては、学校現場において教育勅語を活用することとした場合には、憲法や教育基本法等に反しないような適切な配慮が必要であると考えております。

記者)
 関連しまして、適切な配慮、反しないようなという御指摘ですけれども、具体的にはどのようなケースを想定されていますでしょうか。

大臣)
 これは政治事項に関する中立等の話もありますし、まず何よりも憲法で規定されている精神でありますから、教育基本法の内容等に反する部分に関しての指導方法ということであろうかと思います。しかし、具体的には、私も繰り返しお話させていただいておりますけれども、個々の事案がそれに該当するかどうかは、所轄庁によって判断、指導されるものだと考えております。

記者)
 国会答弁での大臣官房審議官の、今日でも通用するような価値があるというような答弁については、部分的に認めるような答弁については、適切であるというお考えでしょうか。

大臣)
 具体的にどの部分を指して、その審議官が話をされているのか、ちょっと今、私が承知をしていないのですが。

記者)
 藤江大臣官房審議官が「教育勅語の中には、今日でも通用するような普遍的な内容も含まれ、適切な配慮の下に活用していくことは差し支えないと考えている」という趣旨の答弁をされておられます。稲田防衛相も「全く誤っているというのは、違っていると思っている」というような答弁をされていますが、こういった答弁については、どのようにお考えでしょうか。

大臣)
 まず教育勅語を、先ほど申し上げたとおり、憲法や教育基本法に反しないように配慮をもって授業に活用するということは、これは一義的にはその学校の教育方針、教育内容に関するものでありますし、また、教師の皆さんに一定の裁量が認められるのは当然であろうかと思います。
 その前後の関係で、審議官の発言がどの部分を指しているかというのは、ちょっと明らかでないので、私の方でお話がしづらいのですけれども、具体的にはどういった部分を指しての話をしているのですか。

記者)
 教育勅語の使われ方、教育現場での使われ方について、具体的には森友学園の幼稚園でのケースに関連する議論であったかと思うのですが、その中で、教育勅語が教育現場で使われる、教育方針の中に活かされるということに関連して、見解を求められた際の答弁であったと。

大臣)
 まず森友学園とお名前が出ましたけれども、特定の事案を個別にあてはめるというのはやっておりませんので、その判断は、所轄庁である大阪府によってなされるものと思いますが、一般論として、例えばおそらく今までの答弁の経緯からいうと、家庭とか親子関係とかそういったものに関してのことかと思いますが、そういった内容は、幼稚園の教育要領、また学習指導要領の中においても書かれていることでありますから、そういったところを指して話をしているのではないかと思います。

記者)
 教育勅語の中の徳目の部分だけを部分的に取り出して、そこには価値があって、教育に適切に活かしていくことには問題はないというお考えなのでしょうか。

大臣)
 先ほど申し上げましたとおり、教育勅語を授業に活用することは、適切な配慮の下であれば問題ないと思います。それは一般論から言って、その活用の仕方、これはもう教師の教え方の問題であると思いますし、それは積極的に評価する、消極的に評価する、その項目によってそれぞれ違うものであろうかと思いますので、個々どれをもっていい、どれをもって悪いということは言及しませんが、いずれにせよ、その教えている内容が憲法や教育基本法に反するということであれば、それは所轄庁の中で適切な指導がなされるものと考えております。

記者)
 部分的に取り出しても、基本的には天皇中心の国家、いざという時にはそのために命を捧げるというような趣旨が教育勅語の趣旨かと思うのですが、そういう趣旨の中で書かれている徳目を、徳目自体の価値を認めても、それだけ取り出して価値を認めても、それは教育勅語全体の精神を肯定するようなことに繋がって不適切だというような指摘もあるのですが、それでも部分的に取り出して、適切に教育現場で活かせば、それは問題ないというようなお考えなのでしょうか。

大臣)
 全体としての評価は、これはそれぞれおありだと思いますが、文部科学省としては、これも繰り返しになって恐縮でありますが、憲法や教育基本法に反しないような配慮があって、教材として教育勅語を用いることは、そのことをもって問題とはしないという見解です。

教育勅語は、
1.それが「法制上失効した」、その経緯を踏まえつつ、
2.不適切な内容を含むという指摘には反論せず、
3.しかし「適切な配慮」があれば使っても良いとし、
4.その使われ方の是非は、それぞれの所轄庁が適切に判断するものと期待する。

それなら、領土問題に関する他国の主張の扱いだってそのように言えばいいのに、なぜか
「中国や韓国の主張は教えないで頂きたい」
「小中では発達の段階を踏まえると難しい」
と明言する。この嫌悪感、警戒感は何なのだろう。

もう少し全体の言い分を読むと、教育勅語も領土問題に関する他国の見解も、それを取り扱う場合は憲法や指導要領に沿うようにせよというのが文科省の考え方で、そこは共通している。要するに、どちらも教育上問題を含んだ素材だという認識だと解釈できる。でも、

・教育勅語:評価はいろいろある、積極的評価でも直ちに非とは言えない
・領土問題:他国の主張に理があると思わせてはならない

と、その制約にかなりの差がある。簡単に言えば、教育勅語は基本的に教えて良い。領土問題に関する他国の主張は基本的に教えてはいけない。そういうことになっている。

率直に言えば、どちらも小中学校で教える必要性は高くないと思う。けれども、学問的に言っても、社会を学ぶためにも、小中学校において教育勅語と領土問題に関する他国の見解のどちらが有意義かと言えば、領土問題に関する他国の見解だろうと私は思う。

教育勅語に甘く他国を学ぶことを警戒する文科省の態度には、もちろん現今の政治の影響と「国民」育成への欲望が透けて見えるわけだが、それにしても、こんなふうに子供に教え込む姿勢ばかりでは、長い目で見れば彼らが目指す富国強兵路線にもさわりが出るだろうにと思う。誰かがツイートしていたが、確かに、彼らはとって公教育とは自分の子供たちが学ぶものではないのかもしれない。

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追記(2017年3月31日)

「教育勅語は教えても良い」
こんなことを閣議決定してしまった。今の政権は本当にもう発狂している。

教育勅語、教材で用いること否定せず 政府が答弁書:朝日新聞デジタル(2017年3月31日13時12分)

 政府は31日、戦前・戦中の教育勅語を学校教育で使うことについて、「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切である」としたうえで、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定した。民進党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えた。

 勅語については、太平洋戦争後の1948年、衆参両院が排除・失効の確認を決議している。

 また、稲田朋美防衛相が国会答弁で「親孝行や友達を大切にするとか、そういう(勅語の)核の部分は今も大切なもの」と述べたことの是非について、答弁書は「政治家個人としての見解」とし、政府としての見解を示さなかった。


具体的には、第193回国会常会の144番目の質問主意書。「教育勅語の根本理念に関する質問主意書」を参照。
第193回国会 質問の一覧

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2017/03/18

小池都知事が首都大に君が代を歌えと要求。

これが国旗国歌法の効果。これを狙っていたのが本質。

首都大の式典「国歌斉唱を」 小池知事、議会で答弁:朝日新聞デジタル
2017年3月17日05時00分

 小池百合子・東京都知事は16日の都議会で、都が法人の設置者にあたる首都大学東京(東京都)の入学式や卒業式について「国旗国歌法の趣旨を踏まえると、国歌斉唱を行うよう望んでいきたい」と述べた。同大学の式典では例年、国歌斉唱をしていない。

 小池氏は自民都議の質問に答えた。国旗や国歌について「国民の自覚と誇りを呼び起こすものとして、いずれの国でも尊重されている。グローバル人材育成の観点からも、国旗や国歌を大切にする心を育むことこそ重要」とも述べた。同大学は都立大学など4校を統合し、2005年に開学した。

森友学園の人たちとどこが違うのか全く分からない。

念のため、法制定時の政府見解を改めて思い出しておく。

<政府の見解は、政府としては、今回の法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって、国民の生活に何らの影響や変化が生ずることとはならないと考えている旨を明らかにしたものであります。なお、学校における国旗と国歌の指導は、児童生徒が国旗と国歌の意義を理解し、それを尊重する態度を育てるとともに、すべての国の国旗と国歌に対して、ひとしく敬意を表する態度を育てるために行っているものであり、今回の法制化に伴い、その方針に変更が生ずるものではないと考えております。>

< 法制化に伴う義務づけや国民生活等における変化に関するお尋ねでありましたが、既に御答弁申し上げましたとおり、政府といたしましては、法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。>

「(掲揚や斉唱の指導に)単に従わなかった、あるいは単に起立しなかった、あるいは歌わなかったといったようなことのみをもって、何らかの不利益をこうむるようなことが学校内で行われたり、あるいは児童生徒に心理的な強制力が働くような方法でその後の指導等が行われるというようなことはあってはならない」
と答えている。ここでも、要するに「強制はしない」である。また、当時の文部大臣はこう答弁している。
「本当に内心の自由で嫌だと言っていることを無理矢理する、口をこじ開けてでもやるとかよく話がありますが、それは、子どもたちに対しても教えていませんし、例えば教員に対しても無理矢理に口をこじあける、これは許されないと思います。しかし、制約と申し上げているのは、内心の自由であることをしたくない教員が、他の人にも自分はこうだということを押しつけて、他の人にまでいろいろなことを干渉するということは許されないという意味で、合理的な範囲でということを申し上げているのです」

参考
高田昌幸「「強制しない」と首相が約束した国旗国歌法。それがつくった今の社会」, BLOGOS, 2013年11月07日 05:12

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2016/12/15

天皇教が浸透している例

わりとどうでもいいんだけど。

はてなブックマーク - 「カジノ法、明治天皇も怒っている」 共産・大門氏:朝日新聞デジタル

ほとんどのコメントがこの発言に批判的だ。
「天皇制を否定している共産党が天皇の権威を利用するな」ということのようだが、この主張は一見もっともらしいように見えてもその実は感情的反発に過ぎない。

1.「ある前提を否定する人はその前提を用いた立論を行うべきではない」という主張は不当である。
 論敵を批判する時、相手の論拠や前提を利用してその立論の不当性を示すという方法はごく一般的に行われている。「あなたが支持する観念に基づいても、あなたの主張はおかしいですよね?」という指摘は、それ自体妥当なものである。「マルクスを否定する人がマルクスの権威を利用してマルクス主義を批判するのはおかしい」というと、「馬鹿じゃないの?」としか思えないでしょう?

2.論旨自体ではなく「誰が言ったか」で論旨の妥当性を判定する姿勢は正しくない。
カジノ法が明治時代の刑法の立法趣旨に反しているという指摘自体への批判ではない以上、この指摘は生き残っている。しかし「おまえが言うか」に意識を集中させると、ここで提起された問題、賭博は世を乱し経済を停滞させるという問題をどう考えるべきかという論点が忘れられてしまう。誰が賛成反対したかによらず、いったんカジノ法が成立すれば、それに伴って様々なことが起きる。何が起きるか、副作用にはどう対処するかこそが本質なのであって、その指摘を誰がしたかは副次的なことに過ぎない。
なお当然政治活動はカジノ法だけにとどまらないから共産党が(というか大門氏が、だけど)明治天皇を持ち出したことに他の政治的意図・効果がないとは言えないだろうが、今の共産党だしまあほとんど何の意味もないんじゃないか。

この報道記事自体、国会風景の一コマみたいな記事で天皇がどうとかいう話ですらなく、せいぜい自民や維新などが戦争責任や差別に関して「ジョーク」を飛ばしたみたいな位置づけに過ぎない。実際「明治天皇云々」はジョークに過ぎないわけで、天皇を相対化できているからこそ言えるネタだとも言え、それを「共産党が言うな」と思ってしまうこと自体が「あなたどれほど天皇制に染まっているの?」と問い返したいぐらいの話だ。結局、「共産党のくせに」云々という思いの根っこにあるのは、「あいつらは俺の大切なものを否定しているんだから、あいつらにはそれに触る資格などないんだ!」「おまえらは仲間じゃないんだから触るな!」ということである。

****

まあ大門氏だって別に本気で明治天皇が怒ってるなんて思っているわけもなくて、言いたいことは「旧刑法の立法趣旨にも反している」というだけのことにすぎない。それを大門氏らしいというか、ちょっと毒を持たせた洒落を言ったら、早速そこ(だけ)に批判が集中するという(苦笑)。みんな、日頃から天皇制反対論者への怒りをためていたんだねえ。
論説の趣旨からすれば単なる修辞に過ぎない「明治天皇も怒っている」という部分だけに反発が集中していて、「天皇の政治利用」とか言っている人もいるくらいなのだから(天皇の政治利用ってそういう意味じゃないのにねえ…)、いかに我々の内面において天皇が大きな存在になっているかが分かる。まさに「神聖にして侵すべからず」になっているわけである。
……でも今の共産党は事実上天皇制を認めているってことには全然気づきもしないんだね。天皇を大事に思っている割にどの政治勢力が天皇をどうしようとしているかには関心がないのかねえ。

●追記

上では「明治天皇云々は大門氏のジョークにすぎない」と書いたが、ひょっとしたら大門氏が本気で思っているという可能性もないわけではない。何と言っても今の共産党だからなあ、明治天皇を日本近代化の立役者ぐらいに位置づけていても不思議ではない…。
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「カジノ法、明治天皇も怒っている」 共産・大門氏:朝日新聞デジタル(2016年12月14日22時53分)

■大門実紀史・共産党参院議員

 (刑法で)賭博が禁じられてきた理由の一つは、勤労の美風を損ない、経済活動を阻害することにあります。

 立法事実は江戸時代末期にさかのぼります。資料によれば、江戸後期から末期にかけて、世相は乱れ、町の辻々で昼間からばくちが行われ、博徒がはびこっていた。明治維新になって、「新しい日本の建設、経済発展のためには、まず賭博撲滅、風俗矯正だ」ということになり、明治天皇のもとで定められた刑法において厳しく賭博を禁止することになったのです。こういう最初の立法時の趣旨を知った上で、自民党の皆さんは「カジノが経済の目玉」などとのんきなことを言っているのでしょうか。明治天皇も雲の上で怒っています。「共産党、頑張れ」と言っているのではないでしょうか。(カジノ解禁法案を可決した14日の参院本会議の反対討論で)

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2016/07/04

記録:会長自ら「国歌歌えない選手、日本代表じゃない」と断言する東京五輪の精神性

「国歌歌えない選手、日本代表じゃない」森喜朗氏:朝日新聞デジタル(2016年7月3日18時56分)

 「国歌を歌えないような選手は日本の代表ではない」。東京・代々木の体育館で3日にあったリオデジャネイロ五輪の代表選手団の壮行会で、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が来賓のあいさつでそう述べた。

 壇上には選手ら約300人が登壇。森会長は、直前の陸上自衛隊中央音楽隊の松永美智子陸士長による国歌独唱時の様子を振り返って「どうしてみんなそろって国歌を歌わないのでしょうか」と問いかけ、サッカー女子の澤穂希さんや、ラグビーの五郎丸歩選手が君が代を歌い、その様子を見て国民が感動した、と述べた。「口をモゴモゴしているだけじゃなくて、声を大きく上げ、表彰台に立ったら、国歌を歌ってください」と選手団に呼びかけた。

 場内ではみんなで声を合わせて歌う「斉唱」ではなく「国歌独唱」とアナウンスされ、ステージ上のモニターにも「国歌独唱」と表示されていた。

オリンピックの精神にももとるという声が出ている。

はてなブックマーク - 「国歌歌えない選手、日本代表じゃない」森喜朗氏:朝日新聞デジタル

森氏の発言が状況を理解していないめちゃくちゃなものだという指摘もさることながら、そもそも東京五輪はこういう精神性のもとに強力に誘致されたものだということを想起しておきたい。森氏個人の特殊性に還元されるものではないのは言うまでもない。東京五輪を巡る様々なゴタゴタもこの種の精神性「国歌歌えない選手は日本代表じゃない」と関係していると思うのだがどうだろうか。

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2016/06/17

「道徳」の科目化と成績評価、長妻昭衆院議員の資料

2016年6月10日(金)【今週の活動報告】子どもの道徳心に成績をつける? | 長妻昭 オフィシャルWEBサイト
【悲報】2~3年後、小中学校において「道徳心」「愛国心」に成績をつける、と文科省が決定。 - Togetterまとめ

この件。
「道徳」を科目化すると必然的にこうなるので、科目化方針を変えない以上文科省の態度は変わらないだろう。「彼ら」からすれば勝利は決定済みの事案である。

この教育を受けた子供たちが成長し、選挙権を持ち、社会の中核を担うようになる頃、つまり今から20年後より先の時代が気になる。あの重苦しい時代が再来するのかという思いを禁じ得ない。

だが、あの時代の前にも、当時より開放的な時代があったはずだ。その頃の空気を吸って育ち大人になった人たちは、あの息苦しい統制の時代を迎えてどうしていたのだろうか。その人たちの姿は、ひょっとしたら私たちが将来どのように振る舞うようになるのかにヒントを与えてくれるかもしれない。

日米開戦後に各地で行われた犬猫供出において、当時の大人達は我が子にこう語っていたという。

「そねーなことをして見つかったら、大事じゃ。憲兵に連れて行かれる。軍のお達しじゃ、聞かないけん」

「お母ちゃんかてわかってる。でも命令やから、守らんといかんのや。」

「今はお国の非常時でしょ。回覧板はお国の大事な連絡なの。守らないわけにはいかないの。(中略)命令に従わなければ、非国民といわれてしまうの。」
「りっちゃん、わがままいわないで。(中略)うちだけ見のがしてもらうことはできないの。」

臣民根性の行き着く果て―「戦時犬猫供出」 - 読む・考える・書く

これらの言葉は、次のような指摘につながっているのではないだろうか。

「転換の時代に」2006-11-16 - kom’s log

(理系大学院卒業生たちがオウム真理教に入信してサリンを合成したことについて)今思うのはかれらが「狂信的」だったからではなく、単に他律的だったからなのだと思う。一本やり上意下達システムを所与とする他律的個人にとって、じつはそのシステムがいかなる目的・理念を持っているかということはどうでもよい。(中略)一本やり上意下達システムを所与とするかぎり、そのシステムがオウム真理教であっても日本国家であってもあまり変わりがない。動員されるという事態に無意識、無抵抗という点において同一なのである。すなわち、麻原を信じる科学者がサリンを作ったように、”国家を愛する”科学者はサリンを合成する。
犬猫供出に抵抗した我が子を説得した大人たちや、サリンを合成した科学者たちは、私たちの明日の姿になるかもしれない。だとすれば、私たちは来るべき次の時代を「無力な個人」としてどう生き延びるかを考えるだけでなく、いつどこで「サリンを合成しない私」とならねばならないかをも考えなければならないのではないか。そして、私たちにつながる人々に「サリンを合成しなくてよい社会」を遺さねばならないのではないだろうか。

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参考:犬 猫 供出 - Google 検索

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衆議院のウェブサイトの質問主意書と答弁
第190回国会 質問の一覧
第259番:「小学生・中学生の道徳心や愛国心を評価する学習指導要領の改訂に関する質問主意書」
第317番:「小学生・中学生の道徳心や愛国心を評価する学習指導要領の改訂に関する再質問主意書」

上記1つめの質問と答弁
質問

 二年後からは全国の小学校で、三年後からは全国の中学校で、道徳を教育課程上「特別の教科」と位置付けた上で、児童・生徒の道徳に対する評価をするとしている。その評価は、数値による評価でなく、記述式の評価であり、他の児童・生徒との比較による相対評価ではなく、その児童・生徒がいかに成長したかを評価するとしている。その道徳科の指導内容としては「国や郷土を愛する心をもつこと」、いわゆる「愛国心教育」も含まれるとしている。
 私は、「道徳心」や「愛国心」は重要であると考えるが、児童・生徒一人ひとりの「道徳心」や「愛国心」を評価する、つまり成績をつける、ということには強い違和感を持つ。国に対する批判を自粛する空気が広がる等、非常に息苦しい社会が到来するのではないかとの懸念を持つ。
 そこでお尋ねする。
 文部科学省は、児童・生徒の道徳に関する評価は、「入試選抜には使わない」と説明しているが、それは事実か、内閣の見解を問う。
 その上で、中学受験や高校受験の内申書に児童・生徒の道徳の評価が入るのか否かについてお尋ねする。
 各都道府県教育委員会が作成する内申書の様式に児童・生徒に対する道徳の評価を盛り込むのか否か。この点について、平成二十八年二月五日衆議院予算委員会で、馳浩文部科学大臣は「入学者選抜とはなじまない側面があることを前提とし、更に専門的な検討が行われている」「専門家会議では年度内を目途に基本的な考え方を示すこととしている」と答弁している。すでに「年度内」は経過したが、いつまでにどのような結論を出すのか。お示し願いたい。
 同時に各都道府県教育委員会が作成する内申書の様式に児童・生徒に対する道徳の評価を盛り込むのか否か、現時点での内閣の見解を問う。
 児童・生徒の道徳を評価するということは、ペーパーテスト等を実施するということなのか。そうでなければ、作文などを実施することを想定しているのか。そうでなければ、授業中の発言を評価するのか、発言を評価するとすれば授業中に発言が無い児童・生徒に対する評価はどうするのか。何に基づいて評価するのか、お示し願いたい。
 児童・生徒の道徳の評価の基準が全国でばらつきがあってはならないと考えるがいかがか。
 全国の評価基準をある程度、一致させるためには評価をする教員に対して、あるべき道徳心・愛国心とは何か、評価すべき道徳心・愛国心とは何か、を教える必要があると考えるが、いかがか。
 その場合、評価すべき道徳心・愛国心とはどのようなものかは、誰が決めるのか。
 評価の基準を策定しないとすれば、児童・生徒の道徳に関する成長を、恣意的にならずに、どのように評価をするのか、わかりやすく説明願いたい。
 さらに文部科学省は「国や郷土を愛する心をもつこと」を教育することは、いわゆる「愛国心教育」とは異なるとするが、それぞれの意味するところをお示し願いたい。
 また、文部科学省は、道徳に対して「評価をする」ことは、「成績をつける」ことと違うとしているが、どこが異なるのか、それぞれの意味をお示し願いたい。
 以上、内閣の見解を問う。
 右質問する。
答弁
 お尋ねの特別の教科である道徳(以下「道徳科」という。)における児童生徒の学習の評価(以下「道徳科における評価」という。)と高等学校等における入学者選抜との関係については、平成二十八年二月五日の衆議院予算委員会における長妻昭委員の質疑に対する安倍内閣総理大臣の答弁及び馳文部科学大臣の答弁において述べているとおりであり、文部科学省においては、従前から、これらの答弁における説明の趣旨と同様の趣旨を説明してきているところである。
 お尋ねの「道徳教育に係る評価等の在り方に関する専門家会議」(以下「専門家会議」という。)における議論の結論については、できるだけ早期に得たいと考えているが、結論を得る具体的な時期及びその内容について現時点でお答えすることは困難である。また、お尋ねの「内申書の様式に児童・生徒に対する道徳の評価を盛り込むのか否か」の意味するところが必ずしも明らかではないが、高等学校等の入学者選抜に用いられる調査書の様式等は都道府県教育委員会等入学者選抜の実施者が決定するものである。なお、専門家会議においては、入学者選抜との関係をも踏まえて、道徳科における評価の在り方について検討しているところであり、また、平成二十七年文部科学省告示第六十号による改正後の小学校学習指導要領(平成二十年文部科学省告示第二十七号。以下「小学校学習指導要領」という。)及び平成二十七年文部科学省告示第六十一号による改正後の中学校学習指導要領(平成二十年文部科学省告示第二十八号。以下「中学校学習指導要領」という。)の道徳科の解説(以下単に「解説」という。)においては、他の児童生徒と比較して優劣を決めるような評価はなじまないことに留意する必要がある旨を記述している。
 お尋ねの道徳科における評価の資料や方法については、中央教育審議会で平成二十六年十月二十一日に取りまとめられた「道徳教育に係る教育課程の改善等について(答申)」(以下「答申」という。)において「児童生徒の作文やノート、質問紙、発言や行動の観察、面接など、様々な方法で資料等を収集」した上で「例えば、指導のねらいに即した観点による評価・・・など多種多様な方法の中から適切な方法を用いて評価を行い、課題を明確にして指導の充実を図ることが望まれる」とされていること等を踏まえ、専門家会議において検討しているところである。
 「評価の基準」に関するお尋ねについては、お尋ねの「評価の基準」がどのような評価を行うためのものなのか及びどのような基準を意味しているのかが必ずしも明らかではないため、いずれのお尋ねについてもお答えすることは困難であるが、教育課程の基準である小学校学習指導要領及び中学校学習指導要領の解説において、先に述べたとおり、他の児童生徒と比較して優劣を決めるような評価はなじまないことに留意する必要がある旨を記述しており、また、答申において「児童生徒が自らの成長を実感し、学習意欲を高め、道徳性の向上につなげていくとともに、評価を踏まえ、教員が道徳教育に関する目標や計画、指導方法の改善・充実に取り組むことが期待される」と指摘されていること等を踏まえ、専門家会議において、道徳科における評価について、数値による評価ではなく記述式の評価とすること、他の児童生徒との比較による相対評価ではなく児童生徒がいかに成長したかを積極的に受け止め励ます評価とすること、「善悪の判断、自律、自由と責任」といった個々の内容項目ごとではなく大ぐくりなまとまりを踏まえた評価とすること等の点を検討しているところである。
 お尋ねの「いわゆる「愛国心教育」」については、政府として、その定義について特定の見解を有しておらず、様々な意味で用いられているものと承知していることから、「いわゆる「愛国心教育」」の意味するところについてお答えすることは困難であるが、お尋ねの「「国や郷土を愛する心をもつこと」を教育すること」については、道徳科の指導内容として、小学校学習指導要領において「我が国や郷土の伝統と文化を大切にし、先人の努力を知り、国や郷土を愛する心をもつこと」等と規定し、中学校学習指導要領において「優れた伝統の継承と新しい文化の創造に貢献するとともに、日本人としての自覚をもって国を愛し、国家及び社会の形成者として、その発展に努めること」等と規定しており、前者の意味するところについては、小学校学習指導要領の解説において「ここでいう「国や郷土を愛する」とは、教育基本法において教育の目標として「伝統と文化をはぐくんできた我が国や郷土を愛する態度」(第二条第五号)を養うと定めているのと同様の趣旨であり、我が国や郷土を愛する「態度」と「心」は、教育の過程を通じて、一体として養われるものである」等と記述し、後者の意味するところについては、中学校学習指導要領の解説において「「国を愛し」とは、歴史的・文化的な共同体としての我が国を愛し、国家及び社会の形成者として、その発展を願い、それに寄与しようとすることであり、そのような態度は心と一体として養われるものであるという趣旨である」等と記述している。また、ここにいう「国」については、小学校学習指導要領及び中学校学習指導要領の解説において、政府や内閣などの統治機構を意味するものではなく、歴史的に形成されてきた国民、国土、伝統、文化などからなる歴史的・文化的な共同体としての国を意味するものである旨記述している。
 お尋ねの道徳科において「「評価をする」こと」と「「成績をつける」こと」については、先の答弁書(平成二十八年一月十二日内閣衆質一九〇第一〇号)でお答えしたとおりであり、お尋ねの「成績をつける」の意味するところが必ずしも明らかではないが、道徳科における評価については、小学校学習指導要領及び中学校学習指導要領において、児童生徒の「学習状況や道徳性に係る成長の様子を継続的に把握し、指導に生かすよう努める必要がある。ただし、数値などによる評価は行わないものとする」としており、また、先に述べたとおり、専門家会議において検討しているところである。
再質問
 前回の内閣からの答弁書は「国会答弁を参照せよ」というような趣旨の答弁であり、答弁になっていなかった。再度、質問をするので、今度はしっかりと答弁願いたい。
 約二年後の平成三十年四月からは全国の小学校で、約三年後の平成三十一年四月からは全国の中学校で、道徳を教育課程上「特別の教科」と位置付けた上で、児童・生徒の道徳に対する評価をするとしている。その評価は、数値による評価でなく、記述式の評価であり、他の児童・生徒との比較による相対評価ではなく、その児童・生徒がいかに成長したかを評価するとしている。その道徳科の指導内容としては「国や郷土を愛する心をもつこと」、いわゆる「愛国心教育」も含まれるとしている。
 私は、道徳心や愛国心は重要であると考えるが、児童・生徒一人ひとりの道徳心や愛国心を評価する、つまり成績を付ける、ということには強い違和感を持つ。しかも、それが、中学受験や高校受験の内申書(中学や高校の入学者選抜に用いられる調査書)にも記載される可能性が否定されてはいない。
 私は、子どもたちの「道徳心」や「愛国心」を評価することによって、国に対する批判を自粛する空気が広がったり、政府が望ましいと考える道徳心だけが推奨され多様な価値観が損なわれたりする等、非常に息苦しい社会が到来するのではないかとの懸念を持つ。
 そこでお尋ねする。
 まず、ここまで述べた私の見解について、内閣のご意見をお示し願いたい。また、事実関係について誤りがあるとすればお示し願いたい。
 また、中学受験や高校受験のいわゆる内申書に児童・生徒の道徳の評価が記載される可能性があるのか、無いのか、あるいは検討中なのか、お尋ねする。
 また、入学者選抜には使わせないとした上で、受験先の中学、高校に送る内申書には道徳の評価を記載するという可能性はあるのか、無いのか、お答え願いたい。
 中学や高校の入学者選抜に用いられる調査書の様式等は、都道府県の教育委員会等入学者選抜の実施者が決定するものであるため、都道府県の教育委員会の判断次第では受験の内申書に道徳の評価を記載する可能性があると考えて良いか。
 前回の答弁書では、「平成二十八年二月五日の衆議院予算委員会における長妻昭委員の質疑に対する安倍内閣総理大臣の答弁及び馳文部科学大臣の答弁において述べているとおり」との答弁であった。具体的にどの答弁部分なのかを示した上で、今回の質問の答弁となるように文言を補足・整理して、答弁願いたい。
 右質問する。
答弁
 お尋ねの「見解」及び「事実関係」の具体的な範囲が必ずしも明らかではないが、お尋ねにある「私は、道徳心や愛国心は重要であると考えるが、(中略)否定されてはいない。私は、子どもたちの「道徳心」や「愛国心」を評価することによって、国に対する批判を自粛する空気が広がったり」するとの見解及びお尋ねにある「約二年後の平成三十年四月からは(中略)いわゆる「愛国心教育」も含まれるとしている」との事実関係については、先の答弁書(平成二十八年一月十二日内閣衆質一九〇第一〇号。以下「一〇号答弁書」という。)及び先の答弁書(平成二十八年五月十三日内閣衆質一九〇第二五九号。以下「二五九号答弁書」という。)においてお答えしたとおりである。また、お尋ねにある「政府が望ましいと考える道徳心だけが推奨され」の意味するところが必ずしも明らかではないが、特別の教科である道徳(以下「道徳科」という。)における児童生徒の学習の評価については、一〇号答弁書で答弁したとおり数値などによる評価は行わないこととしており、また、一〇号答弁書で述べた学習指導要領の解説も踏まえれば、お尋ねにある「多様な価値観が損なわれたりする等、非常に息苦しい社会が到来するのではないかとの懸念」は当たらないものと考えている。
 「中学受験や高校受験のいわゆる内申書に児童・生徒の道徳の評価が記載される可能性があるのか、無いのか、あるいは検討中なのか」及び「中学や高校の入学者選抜に用いられる調査書の様式等は・・・決定するものであるため・・・内申書に道徳の評価を記載する可能性があると考えて良いか」とのお尋ねについては、一〇号答弁書及び二五九号答弁書でお答えしたとおりである。また、「入学者選抜には使わせないとした上で、受験先の中学、高校に送る内申書には道徳の評価を記載するという可能性はあるのか、無いのか」とのお尋ねについては、「入学者選抜には使わせないとした上で」の意味するところが必ずしも明らかではないため、お答えすることは困難であるが、道徳科における児童生徒の学習の評価と調査書との関係は、一〇号答弁書及び二五九号答弁書でお答えしたとおりである。
 御指摘の「平成二十八年二月五日の衆議院予算委員会における長妻昭委員の質疑に対する安倍内閣総理大臣の答弁及び馳文部科学大臣の答弁」におけるお尋ねの「部分」は、安倍内閣総理大臣が、入学者選抜の方法や調査書の書式等は、都道府県教育員会等が設定するものであるとした上で、道徳科の評価は数値による評価ではないため、教科の評定のように入試において他の生徒と数値の上での優劣を付けるような扱いがなされることはないものと考えている旨を述べた部分及び馳文部科学大臣が、道徳科の評価については入学者選抜とはなじまない側面があることを前提とし、更に専門的な検討が行われている旨を述べた部分である。

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2016/05/02

大学の日の丸君が代問題。毎日新聞の記事から。

時間もなくて、ほとんど資料集作りみたいなことしかできない。

国旗・国歌:新たに15大学実施 文科相要請後に - 毎日新聞(2016年5月1日 08時00分(最終更新 5月1日 10時31分))

 下村博文文部科学相(当時)が昨年6月、すべての国立大(86大学)の学長に入学式や卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱を要請した後、15大学が対応を変え、今春から国旗掲揚や国歌斉唱などを実施していたことが毎日新聞のアンケートで分かった。いずれも「大学として主体的に判断した」と答えた。うち6大学は文科相要請が学内議論のきっかけになったとした。【大久保昂、畠山哲郎】

 毎日新聞は4月、すべての国立大を対象に2015年と16年の入学式と卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱の実施状況などについて書面で尋ね、81大学から回答を得た。福島大、東京大、東京医科歯科大、福井大、政策研究大学院大は回答しなかった。

 集計の結果、今春の式典で76大学が国旗を掲揚した。このうち弘前大、宮城教育大、信州大、和歌山大の4大学が大臣要請後に対応を変えていた。

 一方、国歌斉唱は14大学が実施。このうち今春から始めたのは、愛知教育大、兵庫教育大、奈良教育大、鳥取大、佐賀大、北陸先端科学技術大学院大の6大学。また、宇都宮大、東京学芸大、東京海洋大、島根大、九州工業大の5大学は斉唱はしなかったものの、演奏や歌手による独唱という形で、今春から式典の中に国歌を組み込んだ。

 回答があった81大学のうち、国旗掲揚も国歌斉唱も行わなかったのは、横浜国立、名古屋、京都、九州、琉球の5大学だった。

 国立大の入学式などにおける国旗掲揚・国歌斉唱を巡っては、安倍晋三首相が昨年4月の参院予算委員会で「税金によって賄われているということに鑑みれば、教育基本法にのっとって、正しく実施されるべきではないか」と答弁した。

 これがきっかけとなり、当時の下村文科相が同6月、国立大学長を集めた会議で「各大学の自主判断」としながらも、「長年の慣行により国民の間に定着していることや、国旗・国歌法が施行されたことも踏まえ、適切な判断をお願いしたい」と事実上の実施要請をした。

 また、後任の馳浩文科相は2月の記者会見で、岐阜大が国歌斉唱をしない方針を示したことに対し、「日本人として、国立大としてちょっと恥ずかしい」などと述べた。一方で下村氏や馳文科相は「強制ではない」とも述べている。

 小中高校の学習指導要領には、入学式や卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱が定められているが、大学は指導要領の対象外となっており、こうした決まりはない。

国の介入に抵抗薄れ

 共栄大の藤田英典副学長(教育社会学)の話 国旗や国歌を尊重する雰囲気は自然に醸成されるのが望ましく、国が大学に要請することには違和感がある。国立大は2004年度の法人化後、資金力の差が広がっており、国からの運営費交付金の減額を心配して大臣の要請に反応した大学もあったのかもしれない。また、成果主義や説明責任を求める風潮の浸透により、国の介入に対する大学側の抵抗感も薄れているように感じる。独立性を高めるのが法人化の狙いの一つだったはずだが、逆に国への従属性を強めた面がある。

独法化が従属性を強めたという指摘は良い。それは独法化前から懸念されていたことではあるが。
「国旗や国歌を尊重する雰囲気は自然に醸成されるのが望ましい」というのは一見穏当なようだが、実は恐ろしい。「自然に醸成」というお題目の怖さもさることながら、本当に「自然に」生じたのだとしたら、それこそが一番怖い部分だからだ。けれども、現今の情勢下ではこのような見解ですら強制への異議申し立てとして共有せざるを得ない状況にある。

同記事の表を書き起こしておく。

文科相の要請後に対応を変えた大学

国旗掲揚をした:弘前大、宮城教育大、信州大、和歌山大
国歌斉唱をした:愛知教育大、兵庫教育大、奈良教育大、鳥取大、佐賀大、北陸先端科学技術大学院大
国歌の演奏や独唱をした:宇都宮大、東京学芸大、東京海洋大、島根大、九州工業大

一見して教育系大学が目立つ。とりわけ君が代に関しては多い。東京都などの処分と裁判の流れを受け、学生の就職など諸事情を考慮したものだろうと想像できる。また、教員養成系は昨今の文科省の削減圧力の焦点となっているため、より恭順の意を表する傾向が強いのだろうとも思われる。

国旗・国歌:声楽教員が「独唱」 苦肉の対応も - 毎日新聞(2016年5月1日 08時30分(最終更新 5月1日 08時30分))

 昨年まで国旗掲揚だけをしていた宇都宮大は、要請を契機に改めて式のあり方を検討し、国歌も組み込むことに決めた。ただ、全員で歌う「斉唱」ではなく、声楽を専攻する教員が壇上で歌う「独唱」をした。「出席者への強制にならないよう配慮した結果」と説明する。

 今春から国旗掲揚を始めた和歌山大は、卒業生の出身国や提携先の大学がある13の国旗(日の丸を含む)をすべて壇上に掲げた。海外の大学を参考にしたといい、外国籍の学生に配慮したものとみられる。

 豊橋技術科学大は、国歌斉唱の実施を検討したが、外国籍の学生への配慮などから見送った。一方で「税金で運営されており、納税者への感謝を示すことは重要」との結論に達し、大西隆学長が今春の式で国民への感謝の意を表明することとした。「教育研究活動を通じて国民の期待に応えていく」と宣言した。

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愛知教育大:卒業式で初めて国歌斉唱 - 毎日新聞(2016年3月23日 中部夕刊)

 愛知県刈谷市の愛知教育大で23日、卒業式があり、卒業生・修了生1087人らによる国歌斉唱が初めて行われた。国立大学協会によると、少なくとも2004年4月の国立大学法人移行後、東海3県の国立大6校の入学式・卒業式で国歌が斉唱されたのは初めて。

 式場の講堂ステージには、初めて国旗も掲揚され、従来より厳粛な雰囲気。開式の辞に続いて国歌斉唱に移り、起立して歌った。斉唱は各人の判断に任され、出席者の中には歌わない人もいた。

 卒業生・修了生らからは「国立大であり、違和感は少ない」「大学の自治や学問の自由への悪影響が心配」など、賛否両論が聞かれた。白石薫二副学長は「教授会でも賛否が半々に分かれたが、執行部の責任で実施した。平穏に済み、やってよかった」と胸をなで下ろしていた。【安間教雄】

1.執行部の責任で実施
2.平穏に済み、やってよかった
文科省からの圧力に配慮したことが明瞭に出ている。
「平穏に済んだ→やってよかった」というロジックがある以上、抗議行動は必要だということになる。これは騒動にならなければ定着させるという意思表明に他ならず、異論・反論を含めて議論の場を開きつづけるという姿勢は全く見られないのだから。

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岐阜大:「式典で国歌斉唱せず」 前身校の校歌尊重 - 毎日新聞(2016年2月18日 東京朝刊)

 岐阜大(岐阜市)の森脇久隆学長は17日の定例記者会見で、入学式や卒業式で国歌斉唱をしない方針を明らかにした。同大は従来、前身の旧制学校の校歌を式で斉唱しており、森脇学長は「伝統の歌を大事にしたい」と述べた。

 岐阜大は旧制岐阜高等農林学校(岐阜大応用生物科学部の前身)の校歌「我等(われら)多望の春にして」を愛唱歌としており、森脇学長は「式には愛唱歌の方がふさわしい」との考えを示した。

 昨年6月、下村博文文部科学相(当時)が国立大の学長に対し、式での国歌斉唱と国旗掲揚を要請。森脇学長はその後の記者会見で「学内でよく話し合って対応したい」と話していた。

 同大は式で国旗は掲揚している。【岡正勝】

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上記の記事と重複する部分が多いが、記事後半に解説があるのでクリップしておく。

国旗・国歌:新たに15大学が実施 今春、前文科相要請うけ 国立大アンケ - 毎日新聞(2016年5月1日 大阪朝刊)

 下村博文文部科学相(当時)が昨年6月、すべての国立大(86大学)の学長に入学式や卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱を要請した後、15大学が対応を変え、今春から国旗掲揚や国歌斉唱などを実施していたことが毎日新聞のアンケートで分かった。いずれも「大学として主体的に判断した」と答えた。うち6大学は文科相要請が学内議論のきっかけになったとした。【大久保昂、畠山哲郎】

 毎日新聞は4月、すべての国立大を対象に2015年と16年の入学式と卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱の実施状況などについて書面で尋ね、81大学から回答を得た。福島大、東京大、東京医科歯科大、福井大、政策研究大学院大は回答しなかった。

 集計の結果、今春の式典で76大学が国旗を掲揚した。このうち弘前大、宮城教育大、信州大、和歌山大の4大学が大臣要請後に対応を変えていた。

 一方、国歌斉唱は14大学が実施。このうち今春から始めたのは、愛知教育大、兵庫教育大、奈良教育大、鳥取大、佐賀大、北陸先端科学技術大学院大の6大学。また、宇都宮大、東京学芸大、東京海洋大、島根大、九州工業大の5大学は斉唱はしなかったものの、演奏や歌手による独唱という形で、今春から式典の中に国歌を組み込んだ。

 国立大の入学式などにおける国旗掲揚・国歌斉唱を巡っては、安倍晋三首相が昨年4月の参院予算委員会で「税金によって賄われているということに鑑みれば、教育基本法にのっとって、正しく実施されるべきではないか」と答弁した。

 これがきっかけとなり、当時の下村文科相が同6月、国立大学長を集めた会議で「各大学の自主判断」としながらも、「長年の慣行により国民の間に定着していることや、国旗国歌法が施行されたことも踏まえ、適切な判断をお願いしたい」と事実上の実施要請をした。

 また、後任の馳浩文科相は2月の記者会見で、岐阜大が国歌斉唱をしない方針を示したことに対し、「日本人として、国立大としてちょっと恥ずかしい」などと述べた。一方で下村氏や馳文科相は「強制ではない」とも述べている。

 小中高校の学習指導要領には、入学式や卒業式での国旗掲揚・国歌斉唱が定められているが、大学は指導要領の対象外となっており、こうした決まりはない。

国費頼み、苦肉の対応
和歌山大、ゆかりの13カ国旗ズラリ 宇都宮大、強制避け「君が代」教員独唱

 下村前文科相の要請後に対応を変えた国立大は全体の2割弱。一方で従来の方針を維持したものの、要請に反応した大学は少なくない。

 昨年まで国旗掲揚だけをしていた宇都宮大は、改めて式のあり方を検討し、国歌も組み込むことに決めた。ただ、全員での「斉唱」ではなく、声楽を専攻する教員が歌う「独唱」をした。「出席者への強制にならないよう配慮した結果、独唱が適当と判断した」と説明する。

 今春から国旗掲揚を始めた和歌山大は、卒業式で卒業生の出身国や提携先の大学がある13の国旗(日の丸を含む)を壇上に掲げた。海外の大学を参考にしたという。

 豊橋技術科学大は、国歌斉唱の実施を検討したが、外国籍の学生への配慮などから見送った。一方で「納税者への感謝を示すことは重要」との結論に達し、大西隆学長が今春の式で「教育研究活動を通じて国民の期待に応えていく」と表明した。

 対応を変えた大学の中には、教育学部だけの大学が5大学あった。小中高校では近年、式典での国旗掲揚と国歌斉唱が定着している。ある教員養成系大学の関係者は「教育現場で当たり前になったのに、教員を育てる大学が対応しなくていいのかという議論は以前からあった」と明かす。

 国旗掲揚、国歌斉唱とも行わなかったのは、横浜国立、名古屋、京都、九州、琉球の5大学だった。

 日の丸と君が代は多くの国民に受け入れられる一方で、過去の戦争への反省や国民主権の立場から抵抗感を持つ人がいまもいる。特に君が代の斉唱が国立大に広がっていないのは、「学問の自由」をはじめとした自由を重んじる立場が影響しているとみられる。文科省も「大学の自治」を尊重し、以前は踏み込んだ働きかけはしてこなかった。

 今回の要請を無視できない背景として、資金面での苦境を挙げる専門家もいる。国の補助金に当たる「運営費交付金」は、国立大が法人化された2004年度には1兆2400億円あったが、財政難を理由に今年度は1兆900億円まで減らされた。このため各大学は、国が先端研究などに配分する「競争的資金」や民間の研究費を獲得しようと躍起だ。

 ただ、大学政策に詳しい大阪大の平川秀幸教授(科学技術社会論)は「民間資金は期待ほど集まっておらず、競争的資金を得るための研究は、国の受けがよさそうな内容に偏る傾向が広がっている」と指摘。「要請に反応したのも、資金難と無関係ではないだろう。法人化後は研究者の研究時間や論文数が減っており、国立大の疲弊は危機的な状況だ」と話す。【大久保昂】

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大学での日の丸君が代問題のきっかけになった下村文科相の発言については、以前取り上げたことがある。

「わかるだろ、な?」:陰湿な強制は常に明示されない。: 思いついたことをなんでも書いていくブログ(2015年6月16日)

当時の毎日新聞の記事をクリップしておく。

国旗・国歌:国立大に要請 下村文科相 学長ら困惑 - 毎日新聞(2015年6月17日 東京朝刊)

 下村博文・文部科学相は16日、東京都内で開かれた国立大学86校の学長を集めた会議で、入学式や卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱を要請した。さらに、文科省が8日に通知した文系学部の廃止などの組織改編を進める方針についても説明し、改めて改革を促した。補助金と権限を握る文科省からの相次ぐ求めに、出席した学長らの間には困惑が広がり、一部の教員からは「大学攻撃だ」と反対の声も上がっている。

 国旗・国歌については、安倍晋三首相が4月に国会で「税金で賄われているということに鑑みれば、教育基本法にのっとり正しく実施されるべきではないか」との認識を示していた。下村文科相は16日、「各大学の自主判断」としながらも「長年の慣行により国民の間に定着していることや、(1999年8月に)国旗・国歌法が施行されたことも踏まえ、適切な判断をお願いしたい」と要請した。

 会議後の学長らは厳しい表情。琉球大の大城肇学長は「学内で問題提起しようと思うが、かなり混乱すると思う。集団的自衛権の議論や基地問題ともリンクして、大学改革とは違う所に話が飛んでいきそうな気がする」。50年の創立以来、慣例で国歌斉唱や国旗掲揚はしていない。「個人的には棚上げにしておきたい」と複雑な心境をのぞかせた。

 滋賀大の佐和隆光学長は「納税者には(国立大としての)責任を果たすべきだと思うが、国の要請に従う必要はない」と強調した。国旗掲揚はしているが、国歌斉唱はしておらず、その方針を継続する考えを示した。

 文科省によると、今春の卒業式で国旗掲揚したのは74大学、国歌斉唱は14大学だったという。

 一方で、文科省は国立大学に組織・業務の見直しを迫っている。8日の大学への通知では、人文社会科学系や教員養成系の学部の廃止や他分野への転換を求めた。国立大は中期計画(16年度から6年間)を作り、大臣の認可を受けなければならない。

 下村文科相はこの日「これらの学問が重要ではないと考えているわけではないが、現状のままでいいのかという観点から徹底的な見直しを断行してほしい」と理解を求めた。

 複数の学長は「交付金をもらえないと困る。今後、人文社会科学系の学部の定員は減らさざるを得ない」と話した。【三木陽介、高木香奈】

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