カテゴリー「日の丸・君が代、天皇制」の24件の記事

2023/03/12

安倍晋三氏の聖遺物

非常に面白いので採録しておく。
一部に熱狂的な崇拝者がいる安倍晋三氏。彼が触れた可能性も薄い舗装アスファルトのかけらが聖遺物になりつつある。人の心の不思議さを思うと同時に、安倍氏のあの惨状を全く意に介さないどころか心酔し、その信仰の公共化を主張して恥じない人たちが与党として頑強に存続し続けている状況にわが国社会の政教一致性を思う。市長ですら困惑するほどのアレさなのだが…。

安倍氏銃撃事件現場の剥がしたアスファルト舗装の一部を譲って - 自民党奈良市議団(奈良新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
2023/3/7(火) 6:11配信


 昨年7月8日に奈良市の近鉄大和西大寺駅北口前で参院選の応援演説中、凶弾に倒れた安倍晋三元首相の事件現場について、6日、市議会3月定例会の代表質問で、慰霊のモニュメント設置などを求めた自民党市議団が「現場のアスファルト舗装の一部を剥がし、会派に譲っていただけないか」と提案した。突然の申し出に仲川元庸市長は、「遺族からそういう声が出れば検討も必要だが、今の段階でお譲りするのが妥当か、即答し兼ねる」と答えを保留した。

 安倍氏銃撃現場は現在、本年度末完了に向け、市の駅前広場周辺整備工事が最終段階となっている。現場付近は2車線の車道になり、西側の歩道が最大幅16メートル幅に拡幅される予定。交差点付近には現場を訪れる人が手を合わせられるよう、花壇が整備されることになっている。

 6日の代表質問で「自民党・結の会」の森田一成幹事長が事件後初めて公式に現場保存について触れ、「事件の後、現場保存に関しては市内に限らず全国からさまざまな声があったにも関わらず、市長は『有識者に聞いた』などとして、議会にも諮らず独断であり方を表明したのは乱暴で議会軽視。わが会派として承諾し難く残念だ」と批判。

 3月定例会にも現場保存や慰霊碑設置を求める陳情書2件が出ていることなどを挙げて、「事件現場は歴史的にも忘れられることはなく、モニュメントは必要。花壇がその役割を果たせるとは思えない」と主張。現場が今回の工事により「外側線と歩道ブロックの間」となることについて、「ならば歩道をもう少し拡張し、現場を歩道に取り込むべき」などと道路線形などについて再考を求めた。

 仲川市長は「モニュメント設置についてはさまざま検討したが、慎重な意見もあり構造物ではなく市として当初予定していなかった花壇にして弔意を受け止める形にした」とし、「実際に事件が起きた場で手を合わせることができ、安らぎの場として人々の目を楽しませてくれる場として、花壇が役割を果たしてくれることを期待したい」と答弁。予定以上に歩道を拡幅すれば大型車に通行の支障が出るなどを説明し、理解を求めた。

 しかし、アスファルトは剥がした後、産業廃棄物として処分されるため、森田氏は「元首相が倒れられた地点のアスファルトを、単なる産廃として処分されることは容認できない」と食い下がり、「その地点のアスファルトの一部をわが会派にお譲りいただきたい」と要求。仲川市長は驚いた表情で、「忍びないとの気持ちは理解できるが、いろんなところから同様な声が出る可能性がある。調整が難しい」とした。


今後、安倍晋三信仰はどのような形になっていくのだろうか。


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2019/10/28

反天皇や日本の戦争責任を問う展示は中止、朝鮮人差別の展示は続行。

この非対称。
そこに本音があることは明瞭だったが、早々に行動として示された。

右翼・排外主義者の「自由」は許され、日本社会のタブーを可視化する表現の自由は許されない。日本では朝鮮人への差別表現は許容される。日本では天皇は素材とすることすら許されない。

表現の不自由展の中止では右翼・差別主義者らの暴力を恐れてというのが理由だった。
では今回、我々がこの「展示」へのテロを予告すれば施設管理者らは中止を決断しただろうか。
私はそうは思わない。極端に言えば機動隊をずらりと並べてでも、警察と公安による徹底捜査をしてでも開催を強行しただろう。中核派が前回の大嘗祭粉砕闘争でロケット弾をいくつか打ち上げたときのように、抗議行動を圧殺してくるだろう。

この非対称性が我々の社会の「表現の自由」の現実であり、この中でなお「不自由展」を再開するために主催者らが費やした労力がその非対称性による格差の大きさを表している。いや大浦信行の「遠近を抱えて」はそもそも破壊され展示すらできなかったのだから、その格差は無限大で測定不能である。

日本では、役人も、議員も、経営者も(慰安婦写真展を中止したニコンが一例)、この非対称を内在させている。日本とはそういう社会である。その状況を踏まえない表現の自由論には意味がない。むしろこの非対称性を温存する役割さえ果たすだろう。

「日本人のための芸術祭」催しを続行 反差別団体は抗議:朝日新聞デジタル(2019年10月27日22時56分)

「反移民」などを掲げる政治団体が27日、愛知県施設の「ウィルあいち」(名古屋市東区)で開いた催しに、ヘイトスピーチ(差別扇動表現)に反対してきた市民団体などが激しく抗議し、施設に中止を申し入れた。だが、施設の管理者は「中止を判断できない」として催しを続行させた。

 催しは「日本人のための芸術祭 あいちトリカエナハーレ2019『表現の自由展』」として、各地で差別街宣を繰り返してきた「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の元会長が「党首」を務める政治団体が開いた。県は施設の使用を許可していた。

 催しを見た人によると、展示作品には「犯罪はいつも朝鮮人」と書かれたカルタの読み札など在日コリアンへの憎悪をあおる内容のものがあり、指摘を受けたウィルあいちも、カルタを含む展示内容を確認した。

 ウィルあいちを含む愛知県の各施設は2016年、利用要領に「不当な差別的言動が行われるおそれ」がある場合には、不許可とする条項を設けている。催しに抗議する市民らは「規則に基づき、即刻中止を」と求めたが、ウィルあいちの小池信純事務所長は「私の判断では決められない」との説明に終始した。

 市民団体による抗議に立ち会った熊本拓矢弁護士は「展示は完全な差別扇動で、中止できる規則があるのに行使しなかったのは行政による完全な不作為だ。県は規則をきちんと使える態勢を早急に整えるべきだ」と話した。(黄澈、比留間陽介)

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2019/04/26

天皇の謝罪をめぐる狂騒曲

天皇に対する人々の臣民っぷりがよく表れた記事。
人間宣言から何年経ったか知らないけど、相変わらず現人神なんだなあとこういう記事を見て思う。

天皇陛下のブルーギル「持ち帰り謝罪」発言 舞台裏を証言(京都新聞) - Yahoo!ニュース(4/26(金) 13:11配信)

「ブルーギルは50年近く前、私が米国より持ち帰りました」。2007年、天皇陛下は大津市で開かれた「全国豊かな海づくり大会」の式典で驚きの発言をされた。琵琶湖の在来魚を減らすほどブルーギルが異常繁殖した事態に「心を痛めています」と後悔の思いを明かした。発言の舞台裏には何があったのか。関係者の証言から振り返る。
 陛下は皇太子時代の1960年、訪米先のシカゴ市長から贈られたブルーギルを日本に持ち帰り、水産庁の研究所に寄贈された。魚類学者らには知られた話だったが、陛下自身が公の場で語るのは海づくり大会が初めてだった。

「実は、大会の告知ポスターからブルーギルを外したんです」。
 滋賀県の海づくり大会準備室長だった東清信さん(64)=現びわ湖放送社長=は語る。琵琶湖を泳ぐブラックバスの写真を用い、在来魚が食べられる被害をPRしたが、同じ「厄介者」のブルーギルは写っていない。「陛下との関係を考えると、避けた方がいい」と配慮した。
 大会3カ月前の07年夏、準備室は宮内庁の求めに応じて、陛下の「お言葉」に関する県の原案を出した。在来魚の漁獲量回復を願う内容で、ブルーギルには触れなかった。
 式典2日前の11月9日午後10時半ごろ、宮内庁から県に「お言葉」の原稿がファクスで届いた。帰宅していた東さんは職員から「どうしましょう」と連絡を受けた。思いもよらぬブルーギルの記述があったからだ。「琵琶湖に迷惑を掛けた、と陛下が謝ろうとされている」と仰天した。

 宮内庁は陛下が来県する翌日の昼までに、事実誤認がないか確認するよう求めていた。準備室は深夜に県幹部に連絡を取り、ブルーギルの記述への対応を協議した。「ここまで言っていただくのは忍びない。削除の意見を伝えては」との声もあったが、最終的には翌朝、「この通りで大丈夫です」と回答したという。
 そして11月11日。陛下は式典に出席した1300人の前でブルーギルを持ち帰ったと語られた。「当初、食用魚としての期待が大きく、養殖が開始されましたが、今、このような結果になったことに心を痛めています」
 会場では「おー」というどよめきが上がった。
 外来魚問題に悩まされてきた漁師たちは顔を見合わせて、「陛下も心配してくれていたんだ」と口にした。その姿を見て、東さんは「言っていただいて良かった」と思わず目を潤ませた。
 東さんは大会後、宮内庁の担当者から「遅くなって申し訳ありません。ただ、陛下から原稿が出てきたのが、あのタイミングだったんです」と伝えられた。
 琵琶湖では外来魚問題が一因となり、漁獲量が減り続けている。東さんは「陛下もずっと悔やんでこられたのでは。直前までお言葉を熟考されていたのだろう」と推し量った。
別の証言者は語る 侍従とのやりとりとは

天皇陛下のブルーギルに関する原稿が「当初、おわびの色合いがもう少し強かった」と証言する人もいる。
 魚類学者でもある陛下と皇太子時代から親交がある神戸学院大教授の前畑政善さん(68)=大津市=だ。海づくり大会当時、県立琵琶湖博物館(草津市)の上席総括学芸員だった。
 大会の2日ほど前、陛下の侍従から「間違いがないか見てほしい」と原稿案が届いたという。前畑さんは「ブルーギルの部分で(当日の原稿より)謝罪やおわびのような文言が書かれていたと思う」と記憶している。
 ブルーギルはスズキに似た味わいで、60年当時、食用魚として有望視されていた。前畑さんは「当時は外来魚の食害が知られていなかった。陛下が悪いわけではない」と考え、「ここまで謝罪する必要はないのでは」と侍従に意見を伝えたという。

 それでも、お言葉には「心を痛めている」の表現が入った。
「よほど後悔されていたのだろう。(外来魚問題が広がる中で)勇気のある発言だと思う。事実は事実として認める、科学者らしい姿勢だ」と前畑さんは感じている。

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2019/04/22

天皇制反対の横断幕を発注したら制作業者に断られたという話。

「終わりにしよう天皇制!」という語が「公序良俗に反する」という理由だったとか。

おわてんねっとさんのツイート: "たった今衝撃の一報 反天ウィークのために業者に発注をかけた横断幕が、文言の確認段階で「公序良俗に反する」という理由でキャンセルされました これは、ひどい なんということだ 公序良俗・・・えっーーー"

おわてんねっとさんのツイート: "ちなみに書いてもらう予定だった内容は、普通に「終わりにしよう天皇制!」でした って、このアカウント自体が公序良俗違反かい! もう天皇制の是非を表明することは、公序良俗に反するんですね。 次の公序良俗違反人間は、君だ! (ヤケクソ)"

以前「オウム真理教は出て行け」などという看板などが街のあちこちに立っていたけれども、ああいうのもこの業者さんは断るのかなあ。

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2019/04/19

NHKが天照大神(アマテラス)を皇室の祖先だと断言したらしいという話

NHKが天照大神(アマテラス)を皇室の祖先だと断言したらしいという話

日本で天皇教の浸透が進んでいる例としてとりあえずメモ。

NHKニュース「皇室の祖先の「天照大神」がまつられる伊勢神宮」に「NHKは神話と現実を統合?」と話題 - NAVER まとめ

詳細は上記を参照。

元記事。
両陛下 退位前に伊勢神宮参拝の儀式 | NHKニュース(2019年4月18日 20時25分)

更新日時を見ると、上記の「まとめ」に上がった後の時間に訂正されているようだ。

三重県を訪問している天皇皇后両陛下は、今月30日の天皇陛下の退位を前に、18日、皇室の祖先をまつる伊勢神宮に参拝する儀式に臨まれました。

17日から三重県を訪問している両陛下は、18日午前、衣食住や産業の守り神がまつられる伊勢神宮の外宮にお一人ずつ参拝されました。

はじめに、モーニング姿の天皇陛下が、外宮の中心の正殿がある正宮の前で、皇位継承の象徴とされる三種の神器の剣と曲玉とともに車を降りられました。

そして、正宮の中に入り、正殿の前で玉串をささげて拝礼されたということです。白の参拝服姿の皇后さまも、玉串をささげて拝礼されたということです。

両陛下は、午後には、皇室の祖先をまつる伊勢神宮の内宮にそれぞれ参拝されました。

天皇陛下は車に乗って玉砂利が敷き詰められた参道をゆっくりと進み、途中、伊勢神宮の関係者や地元の子どもたちが整列して迎えると、会釈をするなどしてこたえられました。

天皇陛下は、正殿がある正宮に続く階段の前で車を降り、剣と曲玉を持った側近の職員とともに階段をのぼられました。そして正殿の前で、玉串をささげて拝礼されたということです。このあと、皇后さまも玉串をささげて拝礼されたということです。

18日の伊勢市は晴天に恵まれ、内宮と外宮の間の沿道では大勢の人たちが小旗を振るなどして両陛下を歓迎しました。

両陛下の車列はスピードを落として歓迎する人たちの前を進み、天皇陛下と皇后さまは窓をあけて手を振ってこたえられました。

伊勢神宮の参拝を終えた両陛下は、午後4時半前、内宮を出発し、宿泊先のホテルがある志摩市の賢島に向かわれました。

近鉄宇治山田駅の前には、何重にも人垣ができ、大勢の人たちが手や小旗を振って見送ると、両陛下は何度も左右を見渡しながら笑顔で手を振ってこたえられました。

宮内庁によりますと、両陛下は、専用列車に乗り込むと、窓のそばに立ち続けて、沿線で待ち受けていた人たちに手を振られていたということです。

そして午後5時すぎ、近鉄賢島駅に到着されました。駅前では大勢の人たちが出迎え、両陛下はにこやかな表情で手を振られていました。

沿道では、18日一日で延べ4万3000人余りが両陛下を迎えたということです。

両陛下は、このあと、午後6時前、宿泊先のホテルに入られました。

両陛下は、今夜、伊勢神宮の主な祭りをつかさどる「祭主」を務め、18日の儀式にも立ち会った長女の黒田清子さんや、伊勢神宮の関係者と夕食をともにし、ねぎらわれたということです。

両陛下にとってこれが天皇皇后として最後の地方訪問になり、19日、東京に戻られます。
即位時の儀式との違い
宮内庁は憲政史上初めてとなる天皇陛下の退位に関する一連の儀式について、天皇陛下のお気持ちを踏まえて、全体として粛々と静かに執り行うことにしています。

天皇陛下は、即位にあたって平成2年11月に伊勢神宮に参拝する儀式に臨んだ際には、古くから儀式での天皇の装束とされる「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を身につけ、儀式用の馬車に乗って参道を進まれました。

一方、天皇陛下の退位に伴う今回の儀式の式次第は、即位の時の枠組みを基本に天皇陛下のお気持ちに沿ってまとめられ、天皇陛下はモーニングを着用し、移動には車を使って参拝に臨まれました。
沿道には多くの人たちが
伊勢神宮内宮近くの沿道には朝早くから両陛下の姿を一目見ようと多くの人が並んでいました。

60年前、ご結婚の報告のため伊勢を訪問された両陛下を見たという67歳の男性は「当時、小学生でしたがとても穏やかな表情で手を振ってくださったのを覚えています。天皇として最後なので一目見たいと思って来ました」と話していました。

また、四日市市から来たという69歳の女性は「平成最後なので30年間の感謝の気持ちを少しでも伝えようと思い、朝4時半に起きて来ました」と話していました。

この記事に付けられた「はてなブックマーク」では、『天照大神』の痕跡がうかがえる。(「皇室の祖先の「天照大神」」)

はてなブックマーク - 両陛下 退位前に伊勢神宮参拝の儀式 | NHKニュース

訂正前の魚拓が残っていた(archive.fo)。
両陛下 退位前に伊勢神宮参拝の儀式 | NHKニュース(2019年4月18日 20時25分)……魚拓時では記事更新日時は上と同じになっている。

三重県を訪問している天皇皇后両陛下は、今月30日の天皇陛下の退位を前に、18日、皇室の祖先をまつる伊勢神宮に参拝する儀式に臨まれました。

17日から三重県を訪問している両陛下は、18日午前、衣食住や産業の守り神がまつられる伊勢神宮の外宮にお一人ずつ参拝されました。

はじめに、モーニング姿の天皇陛下が、外宮の中心の正殿がある正宮の前で、皇位継承の象徴とされる三種の神器の剣と曲玉とともに車を降りられました。

そして、正宮の中に入り、正殿の前で玉串をささげて拝礼されたということです。白の参拝服姿の皇后さまも、玉串をささげて拝礼されたということです。

両陛下は、午後には、皇室の祖先の「天照大神」がまつられる伊勢神宮の内宮にそれぞれ参拝されました。

天皇陛下は車に乗って玉砂利が敷き詰められた参道をゆっくりと進み、途中、伊勢神宮の関係者や地元の子どもたちが整列して迎えると、会釈をするなどしてこたえられました。

天皇陛下は、「天照大神」がまつられる正殿がある正宮に続く階段の前で車を降り、剣と曲玉を持った側近の職員とともに階段をのぼられました。そして正殿の前で、玉串をささげて拝礼されたということです。このあと、皇后さまも玉串をささげて拝礼されたということです。

18日の伊勢市は晴天に恵まれ、内宮と外宮の間の沿道では大勢の人たちが小旗を振るなどして両陛下を歓迎しました。

両陛下の車列はスピードを落として歓迎する人たちの前を進み、天皇陛下と皇后さまは窓をあけて手を振ってこたえられました。

伊勢神宮の参拝を終えた両陛下は、午後4時半前、内宮を出発し、宿泊先のホテルがある志摩市の賢島に向かわれました。

近鉄宇治山田駅の前には、何重にも人垣ができ、大勢の人たちが手や小旗を振って見送ると、両陛下は何度も左右を見渡しながら笑顔で手を振ってこたえられました。

宮内庁によりますと、両陛下は、専用列車に乗り込むと、窓のそばに立ち続けて、沿線で待ち受けていた人たちに手を振られていたということです。

そして午後5時すぎ、近鉄賢島駅に到着されました。駅前では大勢の人たちが出迎え、両陛下はにこやかな表情で手を振られていました。

沿道では、18日一日で延べ4万3000人余りが両陛下を迎えたということです。

両陛下は、このあと、午後6時前、宿泊先のホテルに入られました。

両陛下は、今夜、伊勢神宮の主な祭りをつかさどる「祭主」を務め、18日の儀式にも立ち会った長女の黒田清子さんや、伊勢神宮の関係者と夕食をともにし、ねぎらわれたということです。

両陛下にとってこれが天皇皇后として最後の地方訪問になり、19日、東京に戻られます。

即位時の儀式との違い

宮内庁は憲政史上初めてとなる天皇陛下の退位に関する一連の儀式について、天皇陛下のお気持ちを踏まえて、全体として粛々と静かに執り行うことにしています。

天皇陛下は、即位にあたって平成2年11月に伊勢神宮に参拝する儀式に臨んだ際には、古くから儀式での天皇の装束とされる「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」を身につけ、儀式用の馬車に乗って参道を進まれました。

一方、天皇陛下の退位に伴う今回の儀式の式次第は、即位の時の枠組みを基本に天皇陛下のお気持ちに沿ってまとめられ、天皇陛下はモーニングを着用し、移動には車を使って参拝に臨まれました。

沿道には多くの人たちが

伊勢神宮内宮近くの沿道には朝早くから両陛下の姿を一目見ようと多くの人が並んでいました。

60年前、ご結婚の報告のため伊勢を訪問された両陛下を見たという67歳の男性は「当時、小学生でしたがとても穏やかな表情で手を振ってくださったのを覚えています。天皇として最後なので一目見たいと思って来ました」と話していました。

また、四日市市から来たという69歳の女性は「平成最後なので30年間の感謝の気持ちを少しでも伝えようと思い、朝4時半に起きて来ました」と話していました。

一見、単なる言い間違いで小さな誤りのように思えるかもしれない。しかし、これを「小さな誤り」と考えること自体が、天皇教の浸透が進んでいることの証でもある。
今回の記事では、NHKという一定の水準の訓練がなされているはずの機関で、記者が「皇室の祖先の天照大神」と書き、しかも校正も通ったことになる。つまり、NHKのメディア専門職の中の何人もの人でも「皇室の祖先=天照大神」という認識に違和感を持たず、あたかも常識のように考えていたということを示唆している。(政治的圧力があったのなら別だけど、多分そんなことではないだろう。)
これは、NHKの人たちが、「皇室の祖先は神」という神話を記事に断り無しに挿入しても国民が違和感を持たないだろうと思うぐらいに、この神話が親しまれている(あるいは真実だと思われている)と思っているということだろう。
政府見解に反する事実については過剰なぐらいに「……とされている」という語句を挿入するメディアが、この神話については「……とされている」という語句を入れなかったということは、この天皇神話の常識化、あるいはこの神話を喧伝することの政治的「正しさ」の度合いが高まっていることを意味していると言えるだろう。

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2019/04/16

都教委の日の丸君が代信仰、順調にエスカレート。

カルトっぽさにますます磨きがかかってきたのでメモ。

ていうか、にわかに本当とは思えないぐらい現実離れしてるな。

これが都教委強制の卒業式「所作」指示文書 「国旗に敬礼、君が代を高らかに斉唱」(週刊金曜日) - Yahoo!ニュース(4/16(火) 10:16配信)


「壇上の国旗に役人が深々とロボットのように何度も礼をし、天皇賛美の歌を大声で歌った。異常です」。今年3月、東京23区内の都立高を卒業した生徒は式後、校門外で取材していた筆者に語った。

 都民の情報開示請求に東京都教育委員会が3月28日、出してきた文書により、この全体主義的な所作の元凶が、明らかになった。

 以下に示すのは、卒業式に挨拶文読み上げ名目で派遣する幹部職員に対して都教委が今年初めて手渡した「卒業式等における東京都教育委員会挨拶等の所作について」という文書だ。「国旗に正対し、声高らかに、国歌を斉唱してください」のほか、挨拶文のための登・降壇時だけで全部で8回の礼を指示。国旗に敬礼する役人が「尻を向け」るのは生徒・保護者。都教委は人間より1枚の旗のほうが大事だと考えているのか。“君が代”強制を強化する2003年の10・23通達をも超える内容だ。

 もう1種開示の、ここ数年同内容の「卒業式等派遣者用マニュアル」は、「国歌斉唱(「国旗に正対してください)」と、前出の所作の文書に屋上屋を重ね、「当日の服装は略礼服・ダークスーツ等」との文言は作成時の削除ミスのせいか計3回も載せ、「2020東京オリンピック・パラリンピックのバッジ」着用は2回繰り返し、強制している。

 石田周指導企画課長は小池百合子知事のサイン入り「お祝いのメッセージ」を副校長等が読み上げ、掲示もするよう通知。「来年は卒業式後すぐ知事選。事前運動になる」との都民の抗議に、担当者は「法的問題はない」と答えた。

 管理統制型ではなく、生徒が主人公の式に転換させるには、授業で“君が代”など意見の分かれるテーマを扱う際に、政府見解に偏重せず多様な教え方が保障されるべきだ。

(永野厚男・教育ジャーナリスト、2019年4月5日号)

******************************

この記事には、上記「卒業式等における東京都教育委員会挨拶等の所作について」の一部が画像として紹介されている。面白いので書き起こしておく。

「卒業式等における東京都教育委員会挨拶等の所作について」

司会 「一同起立」「開会の辞 …」

司会 「国歌斉唱」(「一同起立」開会の辞から起立のままの学校も多くあります。)
   「前奏に引き続きご斉唱ください」

◎国旗に正対し、声高らかに、国歌を斉唱してください。

司会 「東京都教育委員会挨拶 教育庁○○部○○課長 ○○○○様」
   「教職員、生徒起立(座礼の学校もあります)」
① 起立し、自席側を振り返り、着席者に礼(1回目)
② 反対側の来賓席に向かい、着席者に礼(2回目)
③ 登壇し、数歩国旗に向かって歩き、姿勢を正して国旗に向かって礼(3回目)
④ 演台に進み、中央に立ち正面(生徒)を見る。

司会 「礼」
⑤ 司会の発声に合わせて、(4回目)
⑥ 挨拶文をゆっくりと生徒に語りかけるように読み上げる。
⑦ 読み上げを終えたら、中央に立ち正面(生徒)を見る。

司会 「礼」
⑧ 司会の発声に合わせて、(5回目)
⑨ 先ほど、国旗に対して礼をした場所まで歩き、振り返り(振り返るときに国旗にお尻を向けないようご注意ください)、国旗に正対する。
  姿勢を正して国旗に向かって礼(6回目)
⑩ 降壇し、自席まで戻る。
⑪ 反対側の来賓席に向かい、着席者に(7回目)
⑫ 自席側の着席者に、着席(8回目)    ◎全部で8回の礼をします。

司会 「着席」
(後略)
******************************

「礼」に関わるところが太文字ゴシックで強調されているところ、特に「国旗に向かって」の箇所を強調に含めているのが笑える。
あと、「振り返るときに国旗にお尻を向けないようご注意ください」というのも最高におかしい。イキすぎていて逆にパンクっぽさを感じる。
この文書、東京都の公務員試験を突破した、それなりの秀才の一人があれこれ考えて書いたんだよなあ。そう思うとなおさら面白い。こんな文書作るのに時間をかけてねえ…。

上手く表現できないが、なんともニッポンらしいというかお役所らしいというか、仰々しさとくだらなさ、繁文縟礼、形式主義と全体主義が横溢していて、2019年の今日においても、百年前の先祖たちと何も変わらないダメダメさ加減を子孫の我々も引き継いでいるのかと思うと、あまりに微笑ましくて、乾いた笑いが出てくるね。

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2019/04/05

首相の顔色を見て決めた元号、天皇関係行政と「宇野家」と統一教会。

国書に敗れた漢籍 改元支えた漢学の名家「宇野家」とは [令和]:朝日新聞デジタル(2019年4月4日09時30分)

石川忠久氏が国書からの案を出すと
 → 「担当者は「首相も喜びます。これでいきましょう」。」

安倍首相が国王のようですな。

*****************

下記の記事によれば、

「漢学界のサラブレッド」=宇野家の親子3代。

初代:宇野哲人・東大名誉教授  称号「浩宮」を考案。
2代:宇野精一・東大名誉教授  平成改元で「正化(せいか)」を提案。
3代:宇野茂彦・中央大名誉教授 今回の改元実務担当者2名の恩師。

・石川忠久氏も長年精一氏との親交が厚かった。
・90年代には精一氏の弟子だった伊東倫厚・北海道大教授(中国哲学)を事務官が頻繁に訪問。

とのこと。そして、

出目金さんのツイート: "宇野精一は、東京大学名誉教授で、国際勝共連合東京代表世話人で、世界平和教授アカデミー参与で、スパイ防止法制定促進国民会議議長で、日本を守る国民会議呼びかけ人の一人で、日本自由主義会議会員で、日本文化会議評議員で、教科書正常化国民会議の役員で、自由人権委員会委員だったそうで… https://t.co/bpsaspUDlQ"


出目金さんのツイート: "宇野精一は他にも、教科書問題協議会発起人、新教育懇話会会員、日本教育検証制定委員会役員、日本教育会刷新シリーズ監修、勝共教授団全国全国副会長、勝共運動を応援する会世話人、建国記念の日奉祝運営委員、紀元節奉祝式典実行委員、英霊に答える会の発起人でもあったそうですね… https://t.co/svSB4YhMms"


とのこと。どう見ても統一教会の関係者ですね。
こういう人が天皇がらみの政治に深く関わっているんですね。

*****************

国書に敗れた漢籍 改元支えた漢学の名家「宇野家」とは [令和]:朝日新聞デジタル(2019年4月4日09時30分)

 4月1日。石川忠久・二松学舎大元学長は東京都内の病室で、新元号「令和」を発表する菅義偉官房長官の記者会見をテレビで見守った。菅氏が「典拠について申し上げます。令和は万葉集の……」と初めて国書を典拠にしたことを明かすと、一瞬驚いた表情を浮かべ、つぶやいた。「やっぱりかあ」  3月14日付で正式な政府の委嘱を受けた石川氏は漢詩研究の第一人者。実は2年前の夏までに、計13案を考案していた。政府から渡されたA4の提出用紙の束に1案ずつ毛筆でしたため、日本漢学の聖地「湯島聖堂」(東京・お茶の水)にある執務室で、内閣官房の担当者に手渡した。  「万和(ばんな)」(典拠は文選〈もんぜん〉)、「光風(こうふう)」(楚辞〈そじ〉)、「弘大(こうだい)」(詩経)……。漢籍の元号案が続く中、担当者の顔色が変わった。石川氏にとっては専門ではない、聖徳太子の十七条憲法にある「和をもって貴しとなす」から採った「和貴(わき)」を見せたときだった。これは国書案である。  担当者は「首相も喜びます。これでいきましょう」。13案の「筆頭案」に位置づけることになった。この時、石川氏は「権威ある漢籍より、国書の方が好まれる。もはやそういう時代か」と感じたという。最終的に「和貴」は政府原案には残らず、漢籍典拠の「万和」が最後の6案に残ったが、国書典拠の「令和」に敗れる結果となった。

 ■元号準備、中心に「宇野家」
 江戸時代までは、知識人にとって学問の中心は漢籍だった。明治以降は西洋の学問にとってかわられたが、漢籍に典拠を求める伝統は続いた。そこでは、研究者から「漢学界のサラブレッド」と呼ばれる一家が深く関わっていた。
 宇野家――。戦後70年、中国古代思想の名家であり、皇室ともゆかりを持つ親子3代だ。初代の宇野哲人・東大名誉教授は、新天皇となる皇太子さまの称号「浩宮」を考えた。平成改元で「正化(せいか)」を提案した2代目、精一・東大名誉教授は1980年代初め、他の考案者たちよりも若い70歳前後で考案依頼を受けた。文化勲章・文化功労者といった当時の基準から外れても選任されるほどの存在感だった。
 それゆえ、政府との関係も深い。元政府関係者は「ポスト平成の30年間、元号は『宇野家』を中心に準備が進んできた」。国立公文書館に籍を置きながら内閣事務官の肩書で、政府の「黒衣(くろご)」として今回の改元の実務を支えてきた2人の事務官は、それぞれ精一氏と、その長男で中央大名誉教授の茂彦氏の教え子だった。2人は、専門知識のない内閣官房幹部に代わって委嘱する学者の人選を進めるなど実質的に政府の元号選定に影響を与えていた。
 石川氏も長年、精一氏との親交が厚かった。90年代には精一氏の弟子だった伊東倫厚・北海道大教授(中国哲学)の研究室で事務官が頻繁に目撃されるなど、宇野家の人脈を頼りにした準備がうかがえる。「菅原氏」など学識のある名家が、江戸時代まで元号の勧進を一手に担ってきた構図と重なり合う。
 しかし、漢学を取り巻く環境は細る一方だった。戦前まで必修科目の一つとされた漢文は、戦後は国語科の一分野になり、授業数は激減。「論語」や「唐詩」を読み解く市民講座に若い受講者は少なくなり、「日本社会から漢文の素養は失われた」と危機感を持つ研究者は多い。
 皇室でも大正天皇は漢詩をつくったが、昭和天皇やいまの天皇陛下は和歌を詠んだ。漢籍を基本とした皇族の名前や追号にも、戦後は万葉集や日本最古の漢詩集「懐風藻」など国書典拠が出始めた。中国古典による元号案を05年に政府へ提出した小倉芳彦・学習院大元学長(東洋史)や政府から内々で考案を相談された尾形勇・東大名誉教授(東洋史)は、数年前に政府の担当者からの連絡が途絶え、今回は正式に委嘱されなかった。
 そんな中で初めて漢籍案が落選した今回。「令和」は典拠こそ万葉集だが、引用されたのは漢文で書かれた序文だ。漢籍の「文選」も典拠となりうると専門家は指摘する。漢文の専門家からは「漢籍から採る伝統はギリギリつながった」という声が出る一方、「次の元号で漢籍に戻す空気にはならない。国書に扉を開いたら、永遠に漢籍典拠の元号は誕生しないだろう」との指摘もある。
 宇野茂彦氏は元号発表後、記者団にこう語った。「漢籍を中国のものとみるべきではない。文化に国境はないのだから」。1300年続く日本の元号が、大きな曲がり角にきたのは間違いない。

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2019/04/01

新元号の号外を奪い合う人々、異口同音に「平和な時代になりますように」とコメント。

皮肉が効いていて面白いのでメモ。

新元号伝える「号外」 奪い合い激しい混乱に | NHKニュース(2019年4月1日 14時47分)
新しい元号が「令和」に決まったことを受けて東京や大阪では新聞の号外が配られましたが、奪い合う人たちで激しい混乱となりました。

東京 新橋 奪い合って転倒

東京 新橋駅前では、午後1時前から新聞各社が号外を配布しました。担当者が新聞を配り始めると多くの人が詰めかけ、奪い合って転倒する人も出るなど激しい混乱となり、いずれの社の新聞も数分ほどでなくなりました。
神奈川県から来た15歳の高校生は「取り合いになって大変でしたが号外を受け取ることができてよかったです。新しい時代に活躍できるよう頑張りたいです」と話していました。
母親と一緒にいた都内に住む小学2年生の男の子は号外を大人の人から譲ってもらったということで「新しい時代が戦争がない平和な世の中になってほしいです」と話していました。
埼玉県から小学生の長男と来た42歳の会社員の男性は「身の危険を感じましたが号外を手に入れました。『令和』はまだ違和感がありますが、そのうち慣れると思います。私の子どもの世代が担う新しい時代が災害もなく平和であればと願っています」と話していました。
24歳の会社員の男性は「自分の名前の和が入っていて、うれしいです。私は平成生まれですが、新しい時代もよい時代になるといいですね」と話していました。

JR大阪駅前 悲鳴や怒号 警察も出動

新しい元号が「令和」に決まったことを受けて、JR大阪駅前には新聞の号外を求める多くの人が殺到し、警察が出動する事態となりました。
JR大阪駅前には、新しい元号を伝える新聞の号外を求めて多くの人が集まり、正午ごろには身動きがとれない状態となりました。
駆けつけた警察官が「危ないので立ち止まらないで」などと繰り返し呼びかける中、午後0時半ごろに配布が始まると、待っていた人たちがわれ先にと殺到して、悲鳴や怒号が飛び交う大混乱となりました。
集まった人たちは号外をもらおうと手を伸ばし、中には1枚の号外を引っ張り合って半分に破れてしまう様子も見られました。
この混乱を受けて一部の新聞社では大阪駅で予定していた号外の配布を見送りました。
しわくちゃになった号外を手にした奈良県の16歳の女性は「人混みがすごく、倒れている人もいて怖かったです。取り合いになってぐちゃぐちゃになりましたがもらえてうれしいです。新しい元号はきれいな印象でいい時代になればいいなと思います」と話していました。
また、一緒に来ていた友人の16歳の女性は「私たちが大人になっていく時代の元号なので、思い出深い1日になりました」と話していました。
縦に半分にちぎれた号外を手にしていた枚方市の38歳の男性は「取った瞬間に引っ張られて半分の状態ですがなんとかもらえました。平成の時代は自然災害が多く苦しんだ人も多かったと思うので、『令和』の時代は和やかにより豊かになっていけばいいと思います」と話していました。
お釈迦様が垂らした蜘蛛の糸に群がり争う人々が「争いがない平和な時代になればいいな」と口々に言っているようで、とても面白いです。

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2019/03/31

ILOが日の丸君が代の強制への是正勧告

労組が頑張っている。日本政府はいつものようにILOを無視するだろうが、一定の抑制効果はあるだろう。重要な一歩だし、重要な報道。
東京新聞:「日の丸・君が代」教員らに強制 ILO、政府に是正勧告:社会(TOKYO Web)(2019年3月30日 朝刊)

 学校現場での「日の丸掲揚、君が代斉唱」に従わない教職員らに対する懲戒処分を巡り、国際労働機関(ILO)が初めて是正を求める勧告を出したことが分かった。日本への通知は四月にも行われる見通し。勧告に強制力はないものの、掲揚斉唱に従わない教職員らを処分する教育行政への歯止めが期待される。

 

 ILO理事会は、独立系教職員組合「アイム89東京教育労働者組合」が行った申し立てを審査した、ILO・ユネスコ教職員勧告適用合同専門家委員会(セアート)の決定を認め、日本政府に対する勧告を採択。今月二十日の承認を経て、文書が公表された。

 

 勧告は「愛国的な式典に関する規則に関して、教員団体と対話する機会を設ける。規則は国旗掲揚や国歌斉唱に参加したくない教員にも対応できるものとする」「消極的で混乱をもたらさない不服従の行為に対する懲罰を避ける目的で、懲戒の仕組みについて教員団体と対話する機会を設ける」「懲戒審査機関に教員の立場にある者をかかわらせる」ことなどと求めた。

 

 一九八九年の学習指導要領の改定で、入学式や卒業式での日の丸掲揚と君が代斉唱が義務付けられて以来、学校現場では混乱が続いていた。アイム89メンバーの元特別支援学校教諭渡辺厚子さんは「教員の思想良心の自由と教育の自由は保障されることを示した。国旗掲揚や国歌斉唱を強制する職務命令も否定された」と勧告を評価している。

 

 これまで教育方針や歴史教科書の扱いなどを巡る勧告の例はあったが、ILO駐日事務所の広報担当者は「『日の丸・君が代』のように内心の自由にかかわる勧告は初めてだ」と話している。 (佐藤直子)

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2019/02/24

導入時には「強制はしない」と説明した法律の実際

特集ワイド・ニュースアップ:大阪「君が代条例」のその後 「思想・良心の自由」揺れ続け=編集局・湯谷茂樹 - 毎日新聞(2017年4月12日 大阪夕刊)

懲戒処分、延べ61人
 大阪府と大阪市では、卒業式などで君が代を起立斉唱することを教職員に義務付けた全国初の条例が2011年度に制定され、さらに翌12年には同じ職務命令違反3回で分限免職の対象になる職員基本条例も制定された。憲法で保障された「思想・良心の自由」にもかかわる君が代斉唱を巡り「不起立3回で免職」の衝撃は大きく、全国的に注目された。条例制定後、起立斉唱の職務命令に違反したとして、懲戒処分を受けた教員は延べ61人になる。免職処分はないものの、定年後の再任用を認められなかった教員は少なくとも7人いる。条例制定から現在までの動きをたどった。

全国初の条例化
 君が代条例の正式名称は「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」。府立と市町村立の小中高校、特別支援学校の教職員を対象に「学校の行事において行われる国歌の斉唱にあっては起立により斉唱を行うものとする」と明記、府施設での国旗常時掲揚も義務付けている。

 生みの親は当時の橋下徹・府知事で、2011年5月上旬に代表を務めていた「大阪維新の会」に条例作成を指示。同月25日には条例案が府議会に提出され、6月3日に成立した。維新の会が多数を占める大阪市議会でも同様の条例が12年2月に成立した。

 条例を巡っては、当時の教育長が「条例化は必要ない」と府議会で答弁するなど異論もあったが、橋下知事は「国旗・国歌を否定するなら、公務員を辞めればよい」と強い姿勢で臨み早期成立させた。

 12年に大阪維新の会が多数を占める大阪府・市議会で成立した職員基本条例は、そうした知事の言葉を実行に移すかのような規定がある。「指導、研修などの措置を講じても、5回の職務命令違反(同一命令は3回)を繰り返した職員については分限免職」とする趣旨の規定で、不起立の職務命令違反3回で、分限免職もありうる内容だ。

個人としての不起立
 条例が制定された当時、大阪府内の卒・入学式で、君が代斉唱時の不起立は既に少数だった。1999年に、日の丸を国旗、君が代を国歌と定めた「国旗国歌法」が成立。政府は「強制はしない」との説明を繰り返したが、文部科学省は、国旗掲揚、君が代起立斉唱を徹底するよう指導を強めた。都道府県別の実施状況調査も繰り返し実施。条例制定の10年前には、文科省調査で、ほぼ100%実施という状況だった。

 教職員組合も不起立を運動方針として掲げておらず、職務命令違反にも慎重だった。

 不起立はあくまで教員個人の行為として行われている。

 処分のリスクがあるのに、どうして起立しないのか。教員たちの思いはさまざまだ。

 「天皇をたたえる歌で、教育勅語などとともに、子どもたちを天皇の兵士として戦争に動員した歴史がある」、「府教委も掲げてきた『多様な民族の歴史と文化を尊重する教育』と相いれない」、「キリスト者として天皇崇拝の歌は歌えない」といったそれぞれの理由からの不起立だが、強権的な手法への憤りは共通している。処分を受けた人たちは個人として連携し、「グループZAZA」などの組織を作り、処分撤回を求める訴訟などの活動を続けている。

「強制」は東京から

「10・23通達」後の東京都の処分者数
 教職員の君が代斉唱時の起立義務を条例で定めたのは大阪が最初だが、同様の義務化は、石原慎太郎知事時代の東京都で03年10月に出された通達により始まっている。日付にちなみ「10・23通達」と呼ばれる通達は、「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」ことや、日の丸の掲揚などを義務づけている。通達以降、東京都では卒・入学式での職務命令違反で、延べ14人が停職、82人が減給、354人が戒告の処分を受けてきた。

 都教委は職務命令違反を繰り返すとより重い処分を科し、6カ月の停職となった教員もいた。こうした処分は裁判で争われ、12年1月16日、最高裁は、不起立による戒告以上の減給や停職は「重過ぎて社会観念上著しく妥当性を欠く」との判断を示した。一方で「重過ぎない範囲での懲戒処分は裁量権の範囲内」との判断も示している。


君が代起立条例後の大阪府内での処分者数
 大阪の君が代条例は、この最高裁判決直後の卒業式から適用されたため、府教委によると起立斉唱の職務命令違反の累積による減給以上の処分は出されていない。しかし、職員基本条例に基づき、処分2度目の教員へは分限免職の警告が発せられてきた。

 不起立による免職については、東京都教委の6カ月停職(懲戒免職ひとつ手前の処分)を巡る訴訟で、東京高裁が15年5月28日に「自己の歴史観や世界観を含む思想等により忠実であろうとする教員にとっては、自らの思想や信条を捨てるか、それとも教職員としての身分を捨てるかの二者択一の選択を迫られることとなり(中略)憲法が保障している個人としての思想及び良心の自由に対する実質的な侵害につながる」との判断を示し、都側の上告が16年5月に棄却され、確定している。

所得奪う再任用拒否
 君が代不起立だけで、減給や停職、ましてや免職の処分は許されないとの司法判断は確定しているが、不起立により実質的に職を失う事態が起きている。教員は60歳が定年で、年金支給の65歳まで、希望する教員のほとんどが再任用(雇用)される。しかし、不起立で処分された経験があり、再任用の内定を取り消されたり、不合格となったり、更新を拒否された教員が、大阪では少なくとも7人いる。

 再任用拒否を巡っても訴訟となっており、先行する東京都教委の事例では、東京高裁が15年12月に、都の再任用の拒否は裁量権を逸脱し、違法との判断を示している。

 しかし大阪では今春も定年を迎えた不起立教員2人が再任用を拒否された。2人の再任用については校長が適当と内申していたことも、文書公開で明らかになっている。

 大阪府教委は不合格の理由を、職務命令に従うかどうかの意向確認に応じなかったことなどについて「総合的に判断した」と説明している。

 この府教委の意向確認は、再任用選考の時期に行われていたことから、企業の就職指導をしている府商工労働部が「思想・信条に関すること」を質問するのは就職差別のおそれがあると改善要請をする事態にもなっている。

 再任用を求めて3月末に記者会見した2人は「再任用制度は、年金支給年齢の引き上げに伴って導入された生活保障のための制度で、大阪府教委の対応は、最高裁の判決にも反する」と訴え、「森友学園問題にも通じる国家主義的流れに迎合する不適切な教育行政だ」などと批判した。

掲載表1「「10・23通達」後の東京都の処分者数」

 停職減給戒告懲戒総数
03年度01192193
04年度0177693
05年度3132743
06年度3152240
07年度2141127
08年度36514
09年度2305
10年度1539
11年度0044
12年度0167
13年度0257
14年度0303
15年度0235
16年度0000
合計1482354450
※東京、大阪とも16年度は入学式の処分者のみ

掲載表2「君が代起立条例後の大阪での処分者数」

 停職減給戒告懲戒総数
11年度003232
12年度031417
13年度0066
14年度0033
15年度0033
16年度0000
合計035861

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