カテゴリー「日の丸・君が代、天皇制」の14件の記事

2018/08/16

新元号事前公表に反対:天皇教信徒団体が政府に圧力。

新元号で保守派攻勢=事前公表めぐり、政府は苦慮:時事ドットコム

 皇太子さまの新天皇即位が来年5月1日に迫る中、「平成」の次の元号の具体的な公表時期がなかなか決まらない。政府は国民生活に混乱を生じさせないよう皇位継承1カ月前の公表を念頭に準備を進めているが、保守派が5月1日に公表すべきだと強く主張しているためだ。保守層を支持基盤とする安倍晋三首相は自民党総裁選への影響を避けるため、結論を当面先送りする方針だ。
 元号は政令で定め、皇位継承があった場合に限り改めることが元号法に記されており、内閣が政令を閣議決定し、天皇が公布する。政府は皇位継承前の新元号決定に法的な問題はないとの認識だ。昨年、退位特例法が成立した際の付帯決議は「改元に伴って国民生活に支障が生ずることがないようにする」と政府に求めている。
 政府は付帯決議を根拠に地方自治体や企業の意見も聴いた上で今年5月、皇位継承1カ月前の公表を想定し、各省庁のシステム改修などの準備を進める方針を決めた。内閣官房関係者は「崩御を前提とした過去の代替わりと違い、国民は事前公表を織り込んでいる」と説明する。
 一方、神社本庁の機関紙「神社新報」は6月25日付の論説で「本来『天皇の元号』たるべきことに鑑み、新天皇が御聴許の上、政令として公布され、公表される手続きを大事にすべきだ」との主張を展開した。
 超党派議員でつくる「日本会議国会議員懇談会」が7月に開いた会合でも、出席者から「元号の意味や権威、伝統がどう検討されたか見えない」「皇太子殿下の関与がなくなる」などの意見が相次いだ。会長の古屋圭司衆院議院運営委員長は8月6日、菅義偉官房長官に「新元号は新天皇による公布をしてほしい」と申し入れた。
 対応に苦慮する政府内では、折衷案として、新元号を仮決定・公表し、即位日に公布する二段階論が一時浮上した。しかし、「本決まりでないものを発表していいのか」との理由で白紙になったという。政府関係者は「総裁選が終わるまで元号の件は動かないだろう」とみている。(2018/08/13-18:33)

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2018/07/26

宗教国家では教義に反対することは許されない。

東京新聞:君が代判決 強制の発想の冷たさ:社説・コラム(TOKYO Web)
2018年7月25日

 卒業式で君が代を歌わなかったから定年後に再雇用されない。その不当を訴えた元教諭の裁判は一、二審は勝訴でも、最高裁で負けた。良心か職かを迫る。そんな強制の発想に冷たさを覚える。

 もともと一九九九年の国旗国歌法の成立時には、当時の小渕恵三首相が「新たに義務を課すものではない」と述べた。野中広務官房長官も「むしろ静かに理解されていく環境が大切だ」と。さまざまな思いへの理解と寛容があったのではないだろうか。

 だが、実際には異なった。東京では教育長が二〇〇三年に「校長の職務命令に従わない場合は服務上の責任を問われる」と通達を出した。強制の始まりである。

 入学式や卒業式は儀式であり、式典としての秩序や雰囲気が求められるのは十分に理解する。一方で国旗国歌に対し、「戦時中の軍国主義のシンボルだ」と考える人々がいることも事実である。教室には在日朝鮮人や中国人もいて、教師として歌えない人もいる。数多くの教員が処分された。

 憲法が保障する思想・良心の自由との対立である。強制の職務命令は違憲でないのか。しかし、この問題は一一年に最高裁で「合憲」だと決着している。間接的に思想・良心の自由を制約するが、法令上の国歌の位置付けと公務員の職務を比較衡量すれば正当である。そんな理由だった。

 仮にその判断を前提にしても、重すぎる処分には断固として反対する。最高裁も一二年に「減給以上の処分には慎重な考慮が必要だ」と指摘した。思想信条での不利益だから当然である。

 今回の原告二十二人は〇七~〇九年に定年で再雇用を求めたが拒否された。現在の希望者全員が再雇用される制度の前だった。

 その点から最高裁は「希望者を原則として採用する定めがない。任命権者の裁量に委ねられる」とあっさり訴えを退けた。

 失望する。一、二審判決では「勤務成績など多種多様な要素を全く考慮せず、都教委は裁量権の逸脱、乱用をした」とした。その方が納得がいく。

 再雇用は生活に重くかかわる。君が代がすべてなのか。良心と職とをてんびんにかける冷酷な選別である。日の丸・君が代は自発的に敬愛の対象となるのが望ましいと思う。

 自然さが不可欠なのだ。高圧的な姿勢で押しつければ、君が代はややもすると「裏声」で歌われてしまう。

愛国者様たちから「サヨク」と罵られる東京新聞の社説である。著者は日の丸君が代に違和感を持っているような印象も受けるが、それを表に出してはいない。日の丸君が代を敬うことを支持しつつも、強制は信心には逆効果だと他の信者達を諭している。「サヨク」の東京新聞であっても、天皇教の信者を慮り、彼らに届く言葉と論理を選ぶほかなかったのだろう。あるいは、著者または社自体が信者であるのか。

「もともと一九九九年の国旗国歌法の成立時には、……さまざまな思いへの理解と寛容があったのではないだろうか。」

さらっとこんなご都合主義の歴史修正が入ってくるのは著者が天皇教信者である可能性を示唆する。国旗国歌法の制定は今で言う「小さく産んで大きく育てる」戦術だった。当時から、強制の糸口にされることが懸念されていた。賛成側は「国旗や国歌の制定法がないのは国家としておかしいので法制化するだけだ」と小さく見せかけてはいたが、日の丸掲揚君が代斉唱を国民に励行させ、国家主義を国民に浸透させようとする運動の到達点であったのは明確だった。「強制の根拠にはならない・しない」という答弁は、この見せかけ・建前を強調して本音を隠したものであって、思想・良心の自由の侵害を懸念していた反対派がこの答弁を引き出したのは確かに成果ではあったが、しかしその場しのぎの口約束でしかないのもまた明白だった。だから、当時の政府自民党が「さまざまな思いへの理解と寛容があったのではないだろうか」というのはとんでもない美化、歴史修正なのである。

これぐらいのことは社説の著者も分かっていて、あえてああ書いたのかもしれない。そうやって信者達を懐柔して心を開かせその先を読ませようとしたのかもしれない。しかし、その路線の先は信者への迎合でしかなかった。

「日の丸・君が代は自発的に敬愛の対象となるのが望ましい」
「自然さが不可欠なのだ。高圧的な姿勢で押しつければ、君が代はややもすると「裏声」で歌われてしまう。」

これらは要するに異教徒を帰依させるための戦術論である。

「神は自発的に敬愛の対象となるのが望ましい」
「自然さが不可欠なのだ。高圧的な姿勢で押しつければ、賛美歌はややもすると「裏声」で歌われてしまう。」

天皇は尊崇の対象であり、日本国(その実体が何かは説明されない)を愛するのは日本人の自然である。このテーゼから出発して、業務命令で強制するのは異教徒たちを取り込む上で下策だと言っているのである。

「賛美歌を無理矢理歌わせるな。歌いたくなるようにさせろ。」
「アッラーへの礼拝を強制するな。自ら礼拝するように仕向けろ。」

これは柔らかい強制である。東京新聞を取り囲む信者達に聞かせるにはそう言うしかなかったのかもしれない。しかし、彼らが当然だと思う業務命令との違いは、踏み絵を踏ませ踏まなければ火刑に処すという方法をとるか、「異教徒の存在を許します」と微笑みながら真綿で首を絞めるという方法をとるかの違いでしかない。

要するに、この日本においては、天皇教の教義に正面から異を唱えることは「サヨク」と罵られるメディアであっても、できない。あるいは、しない。それはタブーである。大多数の国民にとっての非常識であり、心の奥底を逆なでし逆鱗に触れる行為である。つまり、大多数の国民にとって、天皇を崇拝し「日本」を愛することは深層心理に刻み込まれ無意識化されている。すなわち、信仰なのである。そして、政府も自治体もこの宗教の慣行を業務命令化することに抵抗がない。さらには、日本国の司法は、この信仰の強制には、たとえそれが形式的には他の宗教教義の強制と同じであっても、異を唱えない。つまり、日本国は天皇教に基づく宗教国家なのである。

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2018/07/17

天皇制、教育学、文科省、保守系教育運動のちょっとしたメモ

日本人間教育学会 | 日本人間教育学会 呼びかけ人
桃山学院教育大学内に事務局。

呼びかけ人代表  梶田 叡一(桃山学院教育大学学長/元兵庫教育大学長)
幹事長  鎌田首治朗(桃山学院教育大学教授)
浅田 匡 (早稲田大学教授)
五百住 満 (関西学院大学教授)
伊﨑 一夫 (奈良学園大学教授)
太田総二郎 (創価学園創価教育研究所長)
大谷 武彦 (ERP代表/元東京書籍編集局長)
加藤 明 (関西福祉大学長)
金山 憲正 (奈良学園大学副学長)
木原 俊行 (大阪教育大学教授)
杉浦 健 (近畿大学教授)
住本 克彦 (新見公立短期大学教授)
善野八千子 (奈良学園大学教授)
高木 章 (元尼崎市立小学校長)
中島 章夫 (元文部省審議官/元科学技術庁政務次官)
中洌 正堯 (元兵庫教育大学長)
中間 玲子 (兵庫教育大学教授)
中村 哲 (関西学院大学教授)
成山 治彦 (立命館小学校・中学校・高等学校長)
西辻 正副 (元奈良学園大学副学長/元文部科学省主任視学官)
比嘉 悟 (芦屋大学長)
古川 治 (甲南大学教授/桃山学院教育大学特任教授)
前田 洋一 (鳴門教育大学教授)
松田 智子 (奈良学園大学人間教育学部長)
溝上 慎一 (京都大学教授)
八木 成和 (四天王寺大学教授)
湯峯 裕 (大阪府立春日丘高等学校長)
横須賀 薫 (十文字学園女子大学長/元宮城教育大学長)
吉田 明史 (奈良学園大学副学長/元奈良教育大学教授)
渡邉規矩郎 (桃山学院教育大学特任教授/日本教育新聞社顧問)
渡邉 満 (岡山大学教授)

KAKEN — 研究者をさがす | 渡邊 規矩郎 (60452512)

1. 古川 治
2. 梶田 叡一
3. 浅田 匡
4. 西森 章子
5. 細川 和仁


皇居を護る忠臣の銅像: 紫の風に誘われて
2010年11月 1日 (月)
教育勅語120周年。2010年10月31日、湊川神社で奉告祭と記念行事。
記念行事第1部:基調講演 渡邊規矩郎氏「道は高く美し、約にして近なり~学びと育ちの原点を問う~」
記念行事第2部:塚本幼稚園幼児教育学園の全園児による教育勅語奉読、日本の歌合唱、大正琴の演奏。
記念行事第3部:鼎談 「これからの人作り~教育の肝要~」三輪尚信(皇學館大学非常勤講師)、籠池靖憲(塚本幼稚園幼児教育学園園長)、渡邊規矩郎氏

一般財団法人 日本学協会「日本人の国民性と内実劣化の不安」『日本』平成30年5月号
役員名簿

理事長 平泉 隆房(金沢工業大学教授)
常務理事 永江 太郎((一社)東京郷友連盟副会長)
理事 安見 隆雄(水戸史学会副会長)
理事 但野 正弘(植草学園短期大学名誉教授)
理事 上田 邦明(東海学園大学客員教授)
理事 川田 敬一(金沢工業大学教授)
監事 渡邉 正之(弁護士)
監事 濵田総一郎(㈱パスポート代表取締役社長)

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2018/07/15

公費が育てる極右・差別排外主義と、戦前志向教育運動

育鵬社支援団体に自治体の公費 1千2百万円、教育再生首長会議を経由 | 沖縄タイムス+プラス ニュース | 沖縄タイムス+プラス
2018年7月15日 05:00

 保守系の市町村長有志でつくる教育再生首長会議(会員131人)が、育鵬社の教科書の採択拡大を目指す日本教育再生機構に事務局を委託し、その費用として2014~17年度に計約1220万円を支払っていたことが14日、沖縄タイムスの調べで分かった。石垣と宮古島の両市を含め、九州で首長が同会議に参加している全自治体は公費で会費などを納めていることも判明。公費を財源とする首長会議の資金の大半が、結果的に特定の保守系教科書の支援団体に流れている形で、公費支出の妥当性が問われそうだ。(社会部・鈴木実)

 本紙が関連自治体への情報公開請求や取材で資料を入手した。

 首長会議は、安倍政権の掲げる「教育再生」に連動し、保守系首長が中心となって14年に結成した任意団体。毎年、総会や勉強会を開いており、再生機構が事実上、その事務局を担っている。

 15年度総会では、再生機構への事務局委託金を年120万円から360万円に引き上げることを決定。その後、実際に340万~400万円を毎年支払っていた。首長会議の年間収入の7割程度に相当する額で、再生機構のスタッフの人件費や交通費、事務所維持費などに充てられている。

 再生機構は「新しい歴史教科書をつくる会」の分裂でできた団体の一つで、06年に発足。役員には育鵬社教科書の執筆・編集関係者が複数含まれる。同教科書の採択拡大を活動の柱に位置付け、会報などで呼び掛けている。理事長は、安倍晋三首相の政策ブレーンとして知られる八木秀次・麗澤大学教授。

 九州で首長会議に参加している7県21首長の自治体に本紙が情報公開請求などで照会したところ、全ての自治体が年会費や勉強会参加費などを公費で支払っていた。

 沖縄大学の仲地博学長(行政法)は「特定の教科書と密接な関係にある団体を支援するため、首長会議がいわばトンネル団体のような形で使われていると疑われかねない。委託先や委託金額が適切なのか、市民目線での検証が必要だ」と指摘した。

 一方、首長会議の事務局は「再生機構に委託金を支払ってはいるが、特定の教科書を支援しているわけではない。本年度から委託そのものをやめることも検討している」と話した。


掲載図:「教育再生首長会議を巡る資金の流れ((魚拓))」


教育再生首長会議(会員131人)
保守系首長が中心となって14年に結成(任意団体)
九州で首長が参加している全自治体(7県21首長)は公費で年会費や勉強会参加費などを納めている

日本教育再生機構に事務局を委託(2014~17年度に計約1220万円)

15年度総会で、事務局委託金を年120万円から360万円に引き上げた。
その後340万~400万円(首長会議の年間収入の7割程度)を毎年支払っていた。

公費を財源とする首長会議の資金の大半が、特定の保守系教科書の支援団体に流れている。
首長会議がいわばトンネル団体
(実際、首長会議の収入の7割を再生機構に支払っているのだからトンネル団体と言って差し支えないだろう。)

※日本教育再生機構
育鵬社の教科書の採択拡大を目指す
理事長は安倍晋三首相の政策ブレーンとして知られる八木秀次・麗澤大学教授。

自称「保守」の人たちに共通するのは、
(1) 税金や公共財産を仲間内で食べてしまうこと、
(2) その私物化に対して全く恥だと思わない心情、
のようだ。

他人には献身を要求し(滅私奉公)、そして自分たちは私利に走って恥じるところがない。
これを日本では「愛国」だとか「保守」だとか「日本の美徳」だとか言うのだそうだ。

これらの人々を私が信用しない大きな理由がこの下劣さにある。

そして、日本の右翼という人々は、かつて本島長崎市長を銃撃したり、朝日新聞社を襲撃したように、権力から圧力を加えられながらも筋を通して主義を貫く人々は襲撃するくせに、これらの(彼らの言葉を借りれば)真の国賊と言うべき存在には、テロルどころか一切の批判・反対運動すら行わない。
私が日本の右翼という人々を信用しない大きな理由がこのご都合主義にある。

右翼の人々は、首長会議メンバーの役所前で、せめて教研集会前で例年やっているレベルの街宣ぐらいやってはどうか。まあ絶対にやらないだろうけれど。

実に唾棄すべき人たちである。

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2018/04/05

自称「中立」という偏向:北海道経産局が原発に関する教育講演に介入

大学助教の原発説明に修正要求 北海道経産局、高校での講演に - 共同通信
2018/4/5 14:08

 北海道ニセコ町の町立ニセコ高で昨年10月、日本科学技術振興財団の事業の一環でエネルギーをテーマにした講演を行った際、経済産業省北海道経産局が講師の大学助教に原子力発電に関する説明を修正するよう求めていたことが5日、分かった。一部住民は「教育への圧力だ」と問題視。経産局は「中立公平な内容とするためアドバイスした。不当行為ではない」としている。

 ニセコ高は2017年度、経産省資源エネルギー庁の委託で財団が実施するエネルギー教育モデル校事業の対象校に選ばれた。昨年10月、北海道大大学院の山形定助教が原子力などエネルギーの特徴を説明する講演を実施した。

「中立公平な内容とするためアドバイスした」とのこと。「中立公平」とか「アドバイス」とか言葉の選択がいちいち笑わせる。

経産省エネ庁の「エネルギー教育」予算 → 科学技術振興事業団(JST)が実施
ちなみに科学技術振興事業団は、文科省が所管。

上記共同通信の記事は各地方紙のサイトにも掲載されている。

北海道新聞はやや詳しい。

経産局、ニセコ高の原発講演に修正要求 不当介入と批判:どうしん電子版(北海道新聞)
04/05 12:42 更新

 【ニセコ】後志管内ニセコ町の町立ニセコ高校で昨年10月、北大大学院工学研究院の助教が公益財団法人・日本科学技術振興財団(東京)の事業の一環として行ったエネルギー問題に関する講演に関し、北海道経済産業局幹部が事前に原子力発電の問題点に関する内容の変更を求めていたことが5日、分かった。助教は資料を追加したものの、削除などはせずに講演を行った。住民からは「教育への不当な介入だ」との批判が上がっているのに対し、道経産局は「中立的な講演内容を求めただけだ」と反論している。

 講演は2017年10月16日、自然エネルギーなどに詳しい同院の山形定(さだむ)助教(環境学)が「ニセコでエネルギーと環境を考える」と題して行った。ニセコ高は17年度、同財団から「エネルギー教育モデル校」に選ばれており、講演は、同財団が経済産業省外局の資源エネルギー庁の委託を受けて実施した。

 山形さんは5日前の同11日、講演会で使用する説明資料を高校に送った。翌12日には、経産局の部長と課長が高校側から送られた資料を手に、山形さんの研究室を訪問。原発の発電コストの高さや原発事故発生時の危険性を指摘した記述と写真について「他の見解もあるのではないか」と指摘した。福島第1原発事故の水素爆発時の写真を掲載した資料については「印象操作だ」などと変更を求めた。
残り:509文字/全文:1072文字

・原発の発電コストの高さ・事故発生時の危険性の説明→「他の見解もあるのではないか」
・福島第1原発事故の水素爆発時の写真→「印象操作だ」

やっぱり「中立公平」とか、笑うしかない。
原発が低コスト・安全だという説明には「他の見解もあるのでは」などと言うはずがないし、原発自治体で原発落成を祝った写真を見せても「印象操作」とは言わないだろうからね。

毎日新聞記事は違う方面からの記事。

北海道経産局幹部:原発記述の修正要求 ニセコ高の講演に - 毎日新聞
2018年4月5日 00時54分(最終更新 4月5日 01時01分)

北海道大助教のエネルギー問題講演で
 北海道ニセコ町立ニセコ高で昨年10月、公益財団法人・日本科学技術振興財団の事業で北海道大の助教がエネルギー問題の講演をした際、北海道経済産業局幹部が事前に原子力発電の問題点を指摘する部分の変更を求めたことが関係者への取材で分かった。住民から「教育への介入」と批判する声が上がる一方、経産局は「原子力を含めた各エネルギーのメリットとデメリットの両面が幅広く伝わるようにするのが目的だった」と反論している。

 講演は昨年10月16日にあり、北海道大大学院工学研究院の山形定(さだむ)助教が「ニセコでエネルギーと環境を考える」と題して全国とニセコ町のエネルギー全般について説明した。

 複数の関係者によると、山形氏が事前に高校側に講演資料を送ったところ、経産局の部長と課長が山形氏を訪問。原子力の発電コストや事故発生時の危険性を指摘した記述と写真について「特定の見方だ」「(福島第1原発の水素爆発時の写真掲載は)印象操作だ」として変更を求めた。

 山形氏は「(風力発電などの)自然エネルギーが100%安全なわけではない」などの記述を加えたが、原発についての記述や写真は変更しなかった。取材に「(変更要求が)原発に集中しており、違和感を覚えた」と話す。

 同高は昨年度、日本科学技術振興財団から「エネルギー教育モデル校」に選ばれ、講演もその一環だった。モデル校には経産省外局の資源エネルギー庁が財団を通じて教育活動費を助成していた。

 経産局は「事業の目的に沿って実施するための対応だった。原発のデメリットを一方的に決めつけ、メリットを説明しないのは問題。教育への介入ではない」と説明した。ただ、同局が事前に内容の修正を求める例は多くないという。

 経緯を知った町民らが「教育への介入」などと問題視。昨年12月から3月まで住民の求めにより町の住民説明会が3回開かれ、町長らが状況を説明した。また、町議会でも共産党町議が「圧力をかけた」などと批判した。【田所柳子】

欠けていた住民への配慮
 今回の問題は二つの論点がある。まず「経産局が原発批判を封じたのか」。同局は「仮に自然エネルギー批判が極端な講演でも変更を求めたはず」と否定した。ただ、ニセコ町の一部は、北海道電力泊原発(泊村)の30キロ圏内に含まれるだけに講演内容に過剰に神経をとがらせた可能性もある。一方で住民の反発は、原発問題への関心の高さも背景にあるのだろう。

 もう一つは「教育に介入したか」。同局はこれも否定した。資源エネルギー庁の補助金で実施する事業を同局が「適切かチェックする」(関係者)こと自体は問題ないかもしれない。しかし、講師を訪ねて内容変更を迫ったのは異例だ。

 住民説明会に参加した男性は取材に、文部科学省が2月、前川喜平前事務次官が講師を務めた授業を終了後に調査した問題を挙げ「今回は事前介入で、より問題が大きい」と批判した。住民にどう受けとめられるかの配慮に欠けていたのは間違いない。【田所柳子】

田所記者の論評はかなり控えめ。政府に弱腰だとすら思えるほど。

講師が講演資料を高校に送付 → 経産局が講師に原発に集中して変更要求。

経産局の言い分「原発のデメリットを一方的に決めつけ、メリットを説明しないのは問題。」
全然中立じゃないじゃん。

「自然エネルギー批判が極端な講演にも変更要求する」と言うのは空々しいよね。そんなことをするはずがないし、そんな講演がそもそもあるのかとも言えるし。

これはもちろん先日の
・前川前事務次官の教育講演に不当介入した文科省と自民党極右の赤池・池田の2議員
・中学校の性教育に介入した東京都教委と自民党古賀俊昭都議
とを思い出させるわけだけれども、もう一つ、
・慰安婦問題での言論活動に圧力を掛けた外務省
もまた思い出させる。
前川前事務次官の件と中学校の性教育の件は、どちらも自民党極右議員たちが発端になっているけれども、今回の原発講演への介入はそうではないみたいだ。その点では外務省の慰安婦問題への介入に似ている。

前川前事務次官の件はもちろんモリカケ問題に絡んでいるので安倍政権がらみ。
性教育への介入は2003年の七生養護学校への介入と併せて考えると、安倍晋三氏の系譜が浮き出てくる。
そして慰安婦問題での外務省の圧力は、安倍政権下で強まった。もちろん安倍氏は有名な破廉恥広告 THE FACTS に荷担したし、日韓合意でカオスを作った責任者でもある。

そう考えると、行政機関による言論・教育への圧力を半ば堂々とやり、開き直るようになったのは、やっぱり安倍政権の影響だとも言えるんじゃないか、控えめに言っても。

******************************
追記(2018年4月11日)

倶知安町:講演の講師を変更 過去に原発「危険性」指摘  - 毎日新聞
2018年4月11日 19時09分(最終更新 4月11日 19時27分)

経済産業省の出先機関・北海道経産局が昨年、ニセコ町の高校で講演した北海道大助教に原発の危険性を指摘する内容を修正するよう求めた問題で、隣接する倶知安町がいったん助教を講師とする講演を内定した後、同局から推薦された別の講師に変更していた。町は「自主的に判断した」と強調するが、助教は「町側が経産局に『そんたく』したのかもしれない」と話している。

 倶知安町は昨年、経産省の再生可能エネルギー促進に関する事業の助成を受けて「再生可能エネルギーセミナ…

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残り496文字(全文730文字)

全然関係ないんだけど、とある国の機関の人の話をよく聞くんだけど、その機関が所管している政策に批判的な人々や、反対する人々がいるわけ。まあ役所だからそういう反対運動みたいなものはどうしても出てくるよね。で、その機関の人々は、そういう批判や反対をする人たちのことを、これはもう、本当に蛇蝎のごとく嫌っているというか、心底侮蔑し嫌悪……というか憎悪すらしているようなんだよね。生存自体を認められないというか、それぐらい嫌っているらしい。
どうしてそう言えるかというと、その人達の話になると、明確に敵、しかも猛烈な悪意で攻めてくる、役所を潰すことだけを目的とする悪の集団だという認識しか出てこないんだよね。しかも、その職場ではだいたいの人がそう感じているという。
批判者や反対者、抗議行動をする人たちにも色々なタイプがあるし、主義主張も異なるはずなんだけど、あまり違いは認識しないみたいで、ただ敵としか見ていないっぽい。公務員試験を通った人たちがそういうアタマでどうする、と思ったりもするけれど、まあそういうものらしいです、少なくとも私の聞く例では。

どうしてこんなことを思い出したかというと、原発政策担当部署の人たちもそういう感覚なのかもしれないなあと思ったからなんですね。
昔、学校を卒業して数年後、久しぶりに学友と食事をしたときに、たまたま原発問題の話になったことがあったんですね。すると、その学友が見事に原発推進派になっており、そして反原発運動の人たちを陰謀論者であるかのように批判して、原発反対論を次々と「論破」していったんですね。彼はノンポリ(古語?)で社会問題には無関心、そういう政治的な話をある意味侮蔑していたような人だったので、びっくりしたのを今でも覚えています。で、その彼の就職先は電力会社だったという。マンガみたいな話だけれども実話です。
他方、学生時代は強固な原発支持者だったんだけど、原発と関係ない……というか、本当は多少は原発に関係するんだけれど、あまりその関係は芳しくないものを抱えているところ……に就職した友人は、何年か経って「原子力とは離れたい」と言って全然関係ない方面に異動しましたね。あのエバンジェリストが一体どうして、とそのときも驚いたのを覚えています。

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2018/03/29

反道徳的な道徳教科書

※本件は直接日の丸・君が代や天皇制と関係するものではないけれど、権力による価値観や信仰の押しつけ・強制という観点からこのカテゴリに入れる。

道徳「愛国心」など自己評価 専門家から疑問の声も:朝日新聞デジタル
2018年3月28日02時27分

 来春から「特別の教科」となる中学校道徳の教科書検定で、8社の教科書が合格した。生徒が「思いやり」や「愛国心」などの項目を、数値や記号を使って自己評価する欄を掲載した教科書もあり、専門家から疑問の声が出ている。

 8社中5社は巻末などに、生徒が数値や記号で「自己評価」する欄を設けた。広済堂あかつきは「自分自身を振り返って」と題して、学習指導要領が求める「節度、節制」や「国を愛する態度」といった22項目について、5段階で自己評価する内容。日本教科書も「身につけたい22の心」を4レベルで自己評価する一覧表を載せた。

 教育出版は22項目と、その内容を紹介した教材名と並べて「心かがやき度」を星1~3個で示す手法。東京書籍と日本文教出版は項目別ではないが、A~Dや丸をつけて生徒が振り返る欄を作った。

 道徳の教科化に伴って生徒は教員から評価を受けるが、数値評価ではなく、記述式。中身も「内容項目ごとではなく、大くくりなまとまりを踏まえて」(文科省)になる。日本教科書の監修をした白木みどり・金沢工業大教授(道徳教育)は自己評価の欄の目的について「あくまでも生徒自身のためで、先生が見るためではない」と話す。ただ、「先生が生徒を見取る際の手がかりにして欲しい」(広済堂あかつき)「教員には不安も多い。評価の一助になれば」(東京書籍)と話す教科書会社もある。

 自己評価欄に検定意見はつかなかったが、文科省はこの内容を教員が活用することには否定的だ。「対話や授業の様子から見取るのが基本であり、教員が評価の参考にすることは想定していない」という。

 道徳教育を研究する子安潤・中部大教授は「『愛国心』など外から与えられた枠組みで自己評価をさせると、子どもの考え方を縛ることになりかねない」と懸念する。数値での自己評価欄を入れなかった教科書会社の編集者も「数値評価なんてあり得ない。数値からは生徒の具体的な考えは見えてこない」と話した。

 ログイン前の続き教科書全体を通じては全社が「いじめ」に力を入れた。「いじり」と「いじめ」の違いなど、生徒に考えてもらおうという教材が目立ち、いじめが「法律では犯罪になることがある」と書いた教科書もあった。スマホも各社が扱い、「歩きスマホ」の危険性や、SNSなどへの書き込みからトラブルになるといった教材を複数社が掲載した。

 「いのち」を考える教材では臓器移植が7社で取り上げられ、「なぜ人を殺してはいけないのか」や死刑制度、尊厳死について考える教材も登場した。LGBTなど性的少数者の話題も4社の教科書に載った。

 既存の文科省の副読本「私たちの道徳」「中学校道徳読み物資料集」から転用した教材が目立ったのも特徴だ。計29作品をいずれかの社が採用し、全社が「二通の手紙」という題材を掲載した。市営動物園の職員が、入園時刻を過ぎて訪れた幼いきょうだいを入園させたことから始まる物語だ。

日本の紹介文、修正も
 教科書検定では、日本に関する記載も修正を求められた。学校図書は日本文化の紹介で「他の国に類を見ない、細やかな言葉遣いがある」という記述が「断定的に過ぎる」とされた。東京書籍も和食に関連して「食べ物に対して感謝の言葉を口にするのは日本人だけです」と書き、同様の意見がついた。両社ともに削除や修正をして対応した。

 教育出版は47都道府県から1人ずつ、ゆかりある人の発言を紹介したが、谷崎潤一郎や嘉納治五郎ら9人に「典拠に信頼性がない」などの検定意見がついた。同社によると、言葉選びの「入り口」に著名人の名言などをまとめたサイトを利用した後、文献などで根拠を確かめたが、指摘があった人物は確認できず、発言や人物を修正した。

 「研究者に問い合わせなどをする必要があった」と同社の担当者は話す。文科省教科書課は「ネット上の情報が直ちにダメだとは言えないが、信頼性のある典拠が必要だ」としている。(土居新平、円山史、峯俊一平)

中学校道徳で学ぶ「22の内容項目」(学習指導要領から)
自主、自律、自由と責任▽節度、節制▽向上心、個性の伸長▽希望と勇気、克己と強い意思▽真理の探求、創造▽思いやり、感謝▽礼儀▽友情、信頼▽相互理解、寛容▽遵法(じゅんぽう)精神、公徳心▽公正、公平、社会正義▽社会参画、公共の精神▽勤労▽家族愛、家庭生活の充実▽よりよい学校生活、集団生活の充実▽郷土の伝統と文化の尊重、郷土を愛する態度▽我が国の伝統と文化の尊重、国を愛する態度▽国際理解、国際貢献▽生命の貴さ▽自然愛護▽感動、畏敬(いけい)の念▽よりよく生きる喜び

掲載図:「道徳教科書の「自己評価」の例(抜粋)」(魚拓)道徳教育で最もやってはいけない価値観の押しつけを道徳教科書が率先してやっている。ブラックコメディにもならない。
例えば「国を愛し、伝統や文化を受け継ぎ、国を発展させようとする心」の最低ランクが「意味はわかるけれど、大切さを感じない」、最高ランクが「大切さや意味は理解していて、多くの場面で態度や行動に出来る」とされている。私など「全く大切さを感じない」し、「態度や行動」に出すなど自分の存在を掛けて断固として拒否するけれど、大きなお世話と言うほかはない。色々な事情で国家や政府に不満を持っていたり、郷土に複雑な思いを抱えたりしている人は少なくないと思うが、そういう人はどうすればいいのだろうか。
「日本人としての自覚をもち、国の発展に努める」が「できなかった」とか「とてもよくできた」とか、そもそも意味が分からない。それに学校には多国籍の人が学んでいるのだけれど、彼らの気持ちや周囲との関係に悪影響が出そうで心配になる。

しかし、数値などを使って自己評価させる手法を複数の教科書が採用したということは、文科省から何らかの考え方が示唆されたのではないかと思えるのだが、どうなのだろうか。流行の自己評価とPDCA、文科省のマイブームで大学でも導入圧力が強いのだが、それとも関係するのだろうか。

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2018/03/01

「昭和天皇のピンク映画」の新聞広告が黒塗りになったとのこと。

2018年3月1日のできごと。
天皇タブーを逆手に取った広告なんじゃないかと思ったりするんだけど、どうだろう。

カルピスタイム99歳さんのツイート: "週刊新潮の「昭和天皇のピンク映画」の広告、大手五紙の内、産経以外の四紙が不敬として黒塗りとなる、珍事態に… "

黒く塗りつぶされた週刊新潮の広告 - Hagex-day info

「昭和天皇」の文字と天皇の顔写真が黒塗りになっている。毎日新聞の紙面ビューワーで見たら、全く同じ黒塗りだった。地方紙でもそういうものがあるみたい。

サトルオクダさんのツイート: "静岡新聞、週刊新潮の見出し広告で久しぶりの墨ぬり発動。昭和天皇茶化しはNG。… "

産経新聞と週刊新潮の広告では黒塗りにはなっていない。東京新聞と中日新聞もそのままとのこと。

ハプスブルク帝国広報大使(自称サザエさん有識者)さんのツイート: "中日新聞はそのまま掲載していましたね… "
いずみ(tahko)🌈世界平和希望さんのツイート: "東京新聞は五紙からは外れますが。 朝日は真っ黒でびっくりしました…… "

画像を見てみるとどの新聞の黒塗りも同じに見えるので、出稿側があらかじめ塗っていない版と塗った版を二つ用意して、使い分けたのだろうか。その使い分けは広告主の意図なのか媒体側の意図なのかどちらなんだろうか。
単なる天皇タブーだけなら「ゆゆしきこと」と批判すればいいんだけど、あえて逆手に取ったのならタブーへの風刺がこもるので、それはそれでありだなあと思ったり。

見ているものは同じ事象なのに、作者の意図によって作品の意味と評価が変わるのはどうなんだろう……と思ったりもする。

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2018/02/19

天皇教の一事例

「天皇陛下をひざまずかせるとは」「誰か止めるやつはいなかったのか」「天皇陛下がひざまずいているのに、被災者があぐらをかいて迎えるなんて何事だ」。両陛下の訪問後、町役場には報道を見た人から批判や怒りの電話が相次いだ。
「ひざまずいた」のでなくて「膝をついた」んだけど、そうは思えなかったんだろう。

ちょっと面白いのは、93年の奥尻島では批判電話がかかってきたのに、95年の神戸市にはそうした反応がなかったということ。別の記事では86年の三原山噴火の避難民を慰問したときには既に天皇夫妻が膝をついていたとのことなので、それを畏れ多いとする人はそれほど多くはないのだろう。奥尻島の場合には、絵柄として被災者が横柄に見える形で報道されたということかもしれない。尊い存在が下賤の民を慰問する姿に尊崇の念を強める一方で、その慈愛への感謝が不十分な被災者には怒りを抱き、抗議までする人がいる。それを配慮して、恭しくお迎えしているような絵作りで報道すれば、そうした態度が天皇への接し方のマナーとして流布することになるだろう。

ところで、全然関係ないんだけど、仮に自分が被災したところに天皇が慰問に来たとして、嬉しいと感じるだろうか。自問してみたけれど、なんとも微妙で対応に困りそうだ。知人や身内なら感情的つながりもあるし、今後の相談など話すこともある。役所や政治家の人なら、いろいろな手続きや見通しなどの話も出来る。でも天皇に来てもらってもなあ、何の話をしていいか分からない。いや、お見舞いはありがたいんですよ、それは誰に来てもらってもありがたい。でも何というか、何の関係もない(よく知らない)有名人が突然お見舞いに来てくれても、「はい、ありがとうございます……」ぐらいしか言えない感じがする。せいぜい記念写真を撮って後の話題にするぐらいだろうか。でも天皇の場合はたぶん一緒に記念写真とかダメそうな気がするから握手してもらうぐらいかな。

「陛下をひざまずかせるとは」被災の島に批判が相次いだ:朝日新聞デジタル
2017年11月21日05時05分

 ■「天皇をひざまずかせるとは」。両陛下の訪問後、町に批判の電話が相次いだ。
 北海道南西沖地震から16日目の1993年7月27日、奥尻島・青苗地区。津波と火災になめ尽くされ、家の残骸やつぶれた車などが広がる現場に、天皇、皇后両陛下が現れた。
 「いまだに一人も見つかっていません」。親類の一家7人が行方不明という女性の言葉に天皇陛下は絶句した。皇后さまは子どもらの肩を抱くようにして「大丈夫でしたか。お友だちのためにも頑張って」と話しかけた。
 奥尻空港で被害状況の説明を受けた両陛下は車で青苗地区に向かう途中、空港近くの仮設住宅に立ち寄った。皇后さまは「ご苦労さまです。工事をされている方ですか。頑張って下さい」と励ました。
 移動中、特別養護老人ホーム「おくしり荘」の前で出迎えた車いすなどのお年寄りを見つけると両陛下は車から降り、芝生を横切って歩み寄り、声をかけた。同行職員が「そろそろ時間です」と声をかけたが、皇后さまは「大丈夫ですか」と一人一人を励ました。
 避難所の青苗中学校体育館(当時)で天皇陛下はひざをつき、「どうぞ元気で」などと声をかけた。震災後、対岸の江差町内の檜山支庁(当時)から奥尻町役場に応援に入り、体育館の外から様子を見守った渡部和正(わたなべかずまさ)さん(69)は衝撃を受けた。天皇陛下はそんなことをするもんじゃないと思っていたからだ。
 「天皇陛下をひざまずかせるとは」「誰か止めるやつはいなかったのか」「天皇陛下がひざまずいているのに、被災者があぐらをかいて迎えるなんて何事だ」。両陛下の訪問後、町役場には報道を見た人から批判や怒りの電話が相次いだ。町職員だった竹田彰(たけだあきら)さん(64)は十数件に対応した。「両陛下の優しい思いやりから出た自然な行動」「町が頼んだわけでもなく、両陛下に意図はない」などと説明に追われ、仕事もままならなかった。
 だが95年に両陛下が阪神大震災の被災地を見舞った後に竹田さんが神戸市職員に聞いたところ、陛下がひざをついたことへのクレームは市に一件も寄せられなかったという。「当たり前の行動として国民に受け入れられるようになったのでは。陛下の被災地に対する思いが伝わったんだろう」(多田晃子)
 (No.371)

 ◆てんでんこ 互いにちゃんと避難する。そんな相互信頼の日常的な醸成も新たな意味に。

ひざをつく両陛下、被災者と同じ目線 まず皇后陛下から:朝日新聞デジタル
2017年12月6日05時10分

 「皇室と震災」シリーズをこの週で終えるにあたり、天皇、皇后両陛下が築き上げてきた被災地訪問のスタイルやその意義について、改めて考えてみたい。
 まず、両陛下が被災者の前でひざをついて語りかける姿について。象徴天皇制を研究する河西秀哉(かわにしひでや)・神戸女学院大准教授(40)や瀬畑源(せばたはじめ)・長野県短大准教授(41)、森暢平(もりようへい)・成城大教授(53)はテレビ番組や新聞記事を皇太子夫妻時代からさかのぼって調べた。
 たとえば皇太子明仁さまが1959年10月、天皇の名代として伊勢湾台風の被災地を訪れた際は、座っている被災者に、自身は立ったままで話しかけている。一方、皇太子妃美智子さまは、結婚後間もない62年に九州を訪れた際、宮崎や鹿児島の児童施設で子どもが横たわるベッドにかがみ込んだり、ひざをついたりして子どもたちに語りかけていた。
 結婚後27年の86年11月になると、姿勢に変化がみられる。今連載第3部初回でも紹介した通り、伊豆大島三原山噴火で東京都心に集団避難中の島民を慰問した際、ご夫妻でひざをつき、被災者と同じ目の高さで話した。91年の雲仙普賢岳のときの姿勢とほぼ同様だ。
 「皇太子は最初は人々との接し方に距離感があったが、美智子妃の姿を間近で見て、次第にその意識を変化させていったのではないか」と河西さんは推測する。
 ひざをつく姿勢は、昭和天皇にはなかったものだ。原武史(はらたけし)・放送大教授(55)は「昭和天皇は国民を抽象的な『臣民』ととらえていた。明仁天皇は自らひざをつき、国民一人ひとりと1対1で向き合った」と指摘する。
 皇后さまの姿勢の原点は、どこにあるのか。河西さんは「聖心女子大で学んだキリスト教主義的思考や、皇室がもともと持つ慈恵主義的な意識とともに、静養中からかかわるようになった精神科医の神谷美恵子(かみやみえこ)の影響があるのでは」と指摘する。神谷医師は、国立ハンセン病療養所長島愛生園(岡山県)の精神科医長を務めた。美智子皇太子妃が流産などで体調を崩した際、田島道治(たじまみちじ)・元宮内庁長官の勧めで60年代半ばから7年間ほど、お住まいの東宮御所に相談相手として通った。
 神谷医師からハンセン病の話を聞いたことがきっかけで、お二人は68年から国内各地のハンセン病療養所訪問を始め、2014年、全国14園の訪問を達成している。(北野隆一)
 (No.382)
掲載図:「鹿児島市の児童養護施設で子どもに声をかける美智子さまと、立って職員と話す皇太子明仁さま=1962年5月8日、朝日新聞社撮影」(略)

連載記事一覧 てんでんこ 皇室と震災 第3部:朝日新聞デジタル

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2017/03/22

文科省:領土問題に対する近隣国の見解は教えるな。だが教育勅語は教えて良い。

正確には、「近隣国の見解を教えてもいいけどそれは誤りだと断言すべきだし、領土問題って難しいから、他国の見解を授業で解説する余裕はないでしょう」という趣旨なのだけれど。

領土問題については先日メモした以下の報道。

(新!学習指導要領)「国の立場、言い切る指導を」 竹島・尖閣どう教えるか、文科省に聞く:朝日新聞デジタル
文科省:政府見解を「正しい」と断言することが国民教育だと叫ぶ: 思いついたことをなんでも書いていくブログ

教育勅語については、以下の文科相会見。

松野博一文部科学大臣記者会見録(平成29年3月14日):文部科学省魚拓

この会見には加計学園の件で「働きかけはなかった」という話もあるが、とりあえず教育勅語関連の応答を抜き出しておく。

記者)
 最近国会でも議論になっております教育勅語に関して、文科省の審議官なども国会答弁の中で、今日でも通用するような普遍的な価値のあるというような、部分的に肯定するような答弁というものが閣僚も含めてなされています。これについて、松野大臣としてはどのようにお考えか、同じようなお考えなのか、お聞かせ願えますでしょうか。

大臣)
 教育勅語は、日本国憲法及び教育基本法の制定等をもって、法制上の効力を喪失しております。文部科学省としては、学校現場において教育勅語を活用することとした場合には、憲法や教育基本法等に反しないような適切な配慮が必要であると考えております。

記者)
 関連しまして、適切な配慮、反しないようなという御指摘ですけれども、具体的にはどのようなケースを想定されていますでしょうか。

大臣)
 これは政治事項に関する中立等の話もありますし、まず何よりも憲法で規定されている精神でありますから、教育基本法の内容等に反する部分に関しての指導方法ということであろうかと思います。しかし、具体的には、私も繰り返しお話させていただいておりますけれども、個々の事案がそれに該当するかどうかは、所轄庁によって判断、指導されるものだと考えております。

記者)
 国会答弁での大臣官房審議官の、今日でも通用するような価値があるというような答弁については、部分的に認めるような答弁については、適切であるというお考えでしょうか。

大臣)
 具体的にどの部分を指して、その審議官が話をされているのか、ちょっと今、私が承知をしていないのですが。

記者)
 藤江大臣官房審議官が「教育勅語の中には、今日でも通用するような普遍的な内容も含まれ、適切な配慮の下に活用していくことは差し支えないと考えている」という趣旨の答弁をされておられます。稲田防衛相も「全く誤っているというのは、違っていると思っている」というような答弁をされていますが、こういった答弁については、どのようにお考えでしょうか。

大臣)
 まず教育勅語を、先ほど申し上げたとおり、憲法や教育基本法に反しないように配慮をもって授業に活用するということは、これは一義的にはその学校の教育方針、教育内容に関するものでありますし、また、教師の皆さんに一定の裁量が認められるのは当然であろうかと思います。
 その前後の関係で、審議官の発言がどの部分を指しているかというのは、ちょっと明らかでないので、私の方でお話がしづらいのですけれども、具体的にはどういった部分を指しての話をしているのですか。

記者)
 教育勅語の使われ方、教育現場での使われ方について、具体的には森友学園の幼稚園でのケースに関連する議論であったかと思うのですが、その中で、教育勅語が教育現場で使われる、教育方針の中に活かされるということに関連して、見解を求められた際の答弁であったと。

大臣)
 まず森友学園とお名前が出ましたけれども、特定の事案を個別にあてはめるというのはやっておりませんので、その判断は、所轄庁である大阪府によってなされるものと思いますが、一般論として、例えばおそらく今までの答弁の経緯からいうと、家庭とか親子関係とかそういったものに関してのことかと思いますが、そういった内容は、幼稚園の教育要領、また学習指導要領の中においても書かれていることでありますから、そういったところを指して話をしているのではないかと思います。

記者)
 教育勅語の中の徳目の部分だけを部分的に取り出して、そこには価値があって、教育に適切に活かしていくことには問題はないというお考えなのでしょうか。

大臣)
 先ほど申し上げましたとおり、教育勅語を授業に活用することは、適切な配慮の下であれば問題ないと思います。それは一般論から言って、その活用の仕方、これはもう教師の教え方の問題であると思いますし、それは積極的に評価する、消極的に評価する、その項目によってそれぞれ違うものであろうかと思いますので、個々どれをもっていい、どれをもって悪いということは言及しませんが、いずれにせよ、その教えている内容が憲法や教育基本法に反するということであれば、それは所轄庁の中で適切な指導がなされるものと考えております。

記者)
 部分的に取り出しても、基本的には天皇中心の国家、いざという時にはそのために命を捧げるというような趣旨が教育勅語の趣旨かと思うのですが、そういう趣旨の中で書かれている徳目を、徳目自体の価値を認めても、それだけ取り出して価値を認めても、それは教育勅語全体の精神を肯定するようなことに繋がって不適切だというような指摘もあるのですが、それでも部分的に取り出して、適切に教育現場で活かせば、それは問題ないというようなお考えなのでしょうか。

大臣)
 全体としての評価は、これはそれぞれおありだと思いますが、文部科学省としては、これも繰り返しになって恐縮でありますが、憲法や教育基本法に反しないような配慮があって、教材として教育勅語を用いることは、そのことをもって問題とはしないという見解です。

教育勅語は、
1.それが「法制上失効した」、その経緯を踏まえつつ、
2.不適切な内容を含むという指摘には反論せず、
3.しかし「適切な配慮」があれば使っても良いとし、
4.その使われ方の是非は、それぞれの所轄庁が適切に判断するものと期待する。

それなら、領土問題に関する他国の主張の扱いだってそのように言えばいいのに、なぜか
「中国や韓国の主張は教えないで頂きたい」
「小中では発達の段階を踏まえると難しい」
と明言する。この嫌悪感、警戒感は何なのだろう。

もう少し全体の言い分を読むと、教育勅語も領土問題に関する他国の見解も、それを取り扱う場合は憲法や指導要領に沿うようにせよというのが文科省の考え方で、そこは共通している。要するに、どちらも教育上問題を含んだ素材だという認識だと解釈できる。でも、

・教育勅語:評価はいろいろある、積極的評価でも直ちに非とは言えない
・領土問題:他国の主張に理があると思わせてはならない

と、その制約にかなりの差がある。簡単に言えば、教育勅語は基本的に教えて良い。領土問題に関する他国の主張は基本的に教えてはいけない。そういうことになっている。

率直に言えば、どちらも小中学校で教える必要性は高くないと思う。けれども、学問的に言っても、社会を学ぶためにも、小中学校において教育勅語と領土問題に関する他国の見解のどちらが有意義かと言えば、領土問題に関する他国の見解だろうと私は思う。

教育勅語に甘く他国を学ぶことを警戒する文科省の態度には、もちろん現今の政治の影響と「国民」育成への欲望が透けて見えるわけだが、それにしても、こんなふうに子供に教え込む姿勢ばかりでは、長い目で見れば彼らが目指す富国強兵路線にもさわりが出るだろうにと思う。誰かがツイートしていたが、確かに、彼らはとって公教育とは自分の子供たちが学ぶものではないのかもしれない。

********************************
追記(2017年3月31日)

「教育勅語は教えても良い」
こんなことを閣議決定してしまった。今の政権は本当にもう発狂している。

教育勅語、教材で用いること否定せず 政府が答弁書:朝日新聞デジタル(2017年3月31日13時12分)

 政府は31日、戦前・戦中の教育勅語を学校教育で使うことについて、「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切である」としたうえで、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定した。民進党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えた。

 勅語については、太平洋戦争後の1948年、衆参両院が排除・失効の確認を決議している。

 また、稲田朋美防衛相が国会答弁で「親孝行や友達を大切にするとか、そういう(勅語の)核の部分は今も大切なもの」と述べたことの是非について、答弁書は「政治家個人としての見解」とし、政府としての見解を示さなかった。


具体的には、第193回国会常会の144番目の質問主意書。「教育勅語の根本理念に関する質問主意書」を参照。
第193回国会 質問の一覧

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2017/03/18

小池都知事が首都大に君が代を歌えと要求。

これが国旗国歌法の効果。これを狙っていたのが本質。

首都大の式典「国歌斉唱を」 小池知事、議会で答弁:朝日新聞デジタル
2017年3月17日05時00分

 小池百合子・東京都知事は16日の都議会で、都が法人の設置者にあたる首都大学東京(東京都)の入学式や卒業式について「国旗国歌法の趣旨を踏まえると、国歌斉唱を行うよう望んでいきたい」と述べた。同大学の式典では例年、国歌斉唱をしていない。

 小池氏は自民都議の質問に答えた。国旗や国歌について「国民の自覚と誇りを呼び起こすものとして、いずれの国でも尊重されている。グローバル人材育成の観点からも、国旗や国歌を大切にする心を育むことこそ重要」とも述べた。同大学は都立大学など4校を統合し、2005年に開学した。

森友学園の人たちとどこが違うのか全く分からない。

念のため、法制定時の政府見解を改めて思い出しておく。

<政府の見解は、政府としては、今回の法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって、国民の生活に何らの影響や変化が生ずることとはならないと考えている旨を明らかにしたものであります。なお、学校における国旗と国歌の指導は、児童生徒が国旗と国歌の意義を理解し、それを尊重する態度を育てるとともに、すべての国の国旗と国歌に対して、ひとしく敬意を表する態度を育てるために行っているものであり、今回の法制化に伴い、その方針に変更が生ずるものではないと考えております。>

< 法制化に伴う義務づけや国民生活等における変化に関するお尋ねでありましたが、既に御答弁申し上げましたとおり、政府といたしましては、法制化に当たり、国旗の掲揚等に関し義務づけを行うことは考えておらず、したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。>

「(掲揚や斉唱の指導に)単に従わなかった、あるいは単に起立しなかった、あるいは歌わなかったといったようなことのみをもって、何らかの不利益をこうむるようなことが学校内で行われたり、あるいは児童生徒に心理的な強制力が働くような方法でその後の指導等が行われるというようなことはあってはならない」
と答えている。ここでも、要するに「強制はしない」である。また、当時の文部大臣はこう答弁している。
「本当に内心の自由で嫌だと言っていることを無理矢理する、口をこじ開けてでもやるとかよく話がありますが、それは、子どもたちに対しても教えていませんし、例えば教員に対しても無理矢理に口をこじあける、これは許されないと思います。しかし、制約と申し上げているのは、内心の自由であることをしたくない教員が、他の人にも自分はこうだということを押しつけて、他の人にまでいろいろなことを干渉するということは許されないという意味で、合理的な範囲でということを申し上げているのです」

参考
高田昌幸「「強制しない」と首相が約束した国旗国歌法。それがつくった今の社会」, BLOGOS, 2013年11月07日 05:12

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