カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の834件の記事

2017/05/28

ヘイト扇動記事のはずが。

韓国人飼い主のマナーの悪さに日本人が怒り「韓国にはもう犬を送らない」=「犬を食べようが食べまいが、韓国は犬が暮らしにくい国」―韓国ネット- Record China(配信日時:2017年5月27日(土) 12時0分)

1.韓国人客のモラルの低さに憤った日本の店が「韓国には売らない」と。
2.それらの客のモラルの低さを批判し、韓国社会の未熟さを嘆く韓国人たちの声が高まる
という記事。

中国や韓国へのヘイトが目立つレコードチャイナ。
今回も韓国への悪印象を狙ったとおぼしき記事だが、むしろ韓国社会の正常さを浮き彫りにすることになっている。

むしろ際立つのは、この日本の店のずさんで差別的な対応。質の悪い客を「韓国人」というラベルでくくり、「韓国には売らない」とするのは明確に差別だからだ。この記事の「韓国」を例えば「北海道」とか「東京」とかの別の地名(何なら自分の故郷や愛着のある土地の名前)に置き換えてみれば問題は明らかだろう。

店側のこうした差別的対応に対して怒りもせず、店側の心情を思いやったり、悪質な飼い主らの問題を自分たちの問題として引き受けようとする韓国人らの姿勢は公平で建設的だ。

もちろん韓国内の意見もこうした建設的なものばかりであったはずはないだろう。レコードチャイナが一面的な声だけを紹介している可能性は大いにある。
でもまあ、もし立場を入れ替えて、日本と韓国が入れ替わって韓国の店が「もう日本には売らない」とブログに書き込んだとしたら日本国内でどんな反響があるかなあと思うと、ちょっと彼の国がうらやましくなったりもする。

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2017/05/23

時効完成後の逮捕?

共謀罪がらみの民心操作の一環だろうという推測は措いておいて。

「中核派」捜索で逮捕の男 渋谷の警察官殺害の指名手配犯か | NHKニュース(5月22日 23時19分)

大阪府警が先週、広島県内で過激派「中核派」の関係先を捜索して男2人を公務執行妨害などの疑いで逮捕し、警察はこのうちの1人が、顔や体の特徴などから昭和46年に東京・渋谷で、警察官を殺害したとして指名手配されている男と見て、確認を進めています。
捜査関係者によりますと、大阪府警は今月18日に過激派「中核派」の広島県内の関係先を捜索し、部屋にいた男2人を公務執行妨害などの疑いで逮捕しました。

警察は、このうちの1人が顔や体の特徴などから、昭和46年11月、暴徒化した仲間らと東京・渋谷区の派出所などを襲い新潟県警から応援に来ていた当時21歳の警察官を鉄パイプで殴ったり、火炎瓶を投げつけたりして殺害したなどとして、警視庁に殺人などの疑いで指名手配されている大坂正明容疑者(67)と見ているということです。

警視庁は、大坂容疑者が組織的な支援を受けながら逃亡を続けていると見て全国に指名手配するとともに、最高で300万円の懸賞金をかけるなどして行方を捜査していました。捜査関係者によりますと、男は黙秘しているということですが、警察はDNA鑑定を行って最終的な身元の確認を進め、身元が確認できれば、警視庁は殺人などの疑いで逮捕する方針です。

公安は昔からこの人を把握していただろうと思う。とにかく「過激派」はよく監視しているので(他にすることはないのかと思うぐらい)。だから、たぶん今をこのカードを使うタイミングだと判断したんじゃないだろうか。

ところで、1971年の事件だから46年経っている。時効はどうなっているのだろう。

最高裁「殺人の時効撤廃、さかのぼって適用できる」なぜ「合憲」と判断したのか? - 弁護士ドットコム
法務省だより あかれんが Vol.31 1/7
これらによると、たぶんこんな感じ。

1971年11月 事件発生。当時の公訴時効は15年。

1986年11月 公訴時効完成。

2005年1月 公訴時効の延期。殺人罪などは15年から25年に。このとき、改正前の罪については、「従前の例による」とされて遡及適用されないことになった。

2010年4月 公訴時効の延期(2回目)。殺人罪の時効は廃止。この時期までに時効が完成してない場合、時効は適用されないことになった。

2015年12月 最高裁判決。「犯罪が改正法の施行前に犯されたものであっても,その施行の際公訴時効が完成していないのであれば,改正後の公訴時効に関する規定が適用されます。」[2]

というわけで、これまでの記述では、すべて「時効が完成していなければ」という限定がついている。この事件については、仮に、殺人罪の公訴時効廃止前の規定であった25年で計算しても1996年には時効になっている。だから、単純な計算では、免訴されることになるんじゃないかと思う。

免訴が想定される被疑者をわざわざ捕まえてニュースにするというのは……というふうに勘ぐりたくもなるけれど、それは単なる勘違いかもしれない。
・何らかの事情で時効が完成していなかったのかもしれない。例えば長く海外に滞在していたとか。
・本来、時効かどうかに関わらず、警察は被疑者を発見したら逮捕送検するものなのかもしれない。
など。

法律の知識がなくてよく分からないが、それにしても大阪府警の捜査員は45年前に発生して20年以上前に時効になっているぐらいの事件の容疑者を、よく覚えていたものだなあ。

追記(2017年5月23日)

時効は完成していなかったという解説があった。

40年以上前の殺人事件に公訴時効が成立しない理由を解説しよう - 弁護士三浦義隆のブログ

1.共犯の被疑者が起訴されて、時効の進行が停止した。
2.その被疑者が裁判中に心神喪失となり、公判手続きが停止した。
3.2010年になって殺人罪の時効が廃止された。

こういう流れで時効にならなかったということだそうだ。
上記1は共犯がいる以上やむを得ないとしても、2や3は当人からすれば(表現は悪いが)運が悪いとしか言いようがない。何という巡り合わせだろう。
逆に見れば警察や被害者遺族からすればこの巡り合わせのおかげで犯人に迫れたということになるかもしれない。

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2017/05/13

ニッポンスゴイの浸透事例:小学校5年生社会科の授業例

大田区立入新井第一小学校 山家 哲雄「小学校における NIE の可能性」

2014年3月に東京新聞がまとめたNIEの取り組みの一つ「がんばれ先生!東京新聞教育賞」第17回受賞論文の一つらしい。
がんばれ先生!東京新聞教育賞(TOKYO Web) 第17回(平成26年) 受賞者の論文

この山家先生は小学5年生の授業で新聞を活用し、学級新聞を作るなど、授業を工夫している。その努力や成果には敬意を表する。しかし、その報告の中に一つ残念な授業があった。

③新聞ノートを使った、未来を考える社会科授業
5年生社会科の『日本の工業』単元のふかめる過程で新聞を活用した授業を行った。児童が毎週作成しているスクラップ記事から工業に関するものをまとめ、新聞ノートを完成させた。この新聞ノートの中には自動運転の車や、アメリカでの日本車の評判のよさ、曲がる耐熱ガラス、下町ボブスレー、宇宙旅行への取り組みなど様々な日本の工業製品の技術力の高さを取り扱った記事を載せた。記事を読み取った上で、日本の工業のこれからを考えていく展開である。未来を予想した後、事前に取材しておいた『外国での日本製品の現状を、海外に住む日本人に聞いたアンケート』を公開し、児童の意見を価値付けた。
単元のつかむ過程において、日本の自動車の生産台数が下がっていることを知り、危機感をもっていた子供たちだが、新聞から現状を知り、外国での日本製品の活躍を知ったことにより
『日本の技術はすごい』
『自分も将来そういう風になりたい』
『日本人でよかった』
そんなふうに明るく日本の工業を捉えなおし、未来について夢を膨らますことができた。

本質的な間違いは、日本の工業のパフォーマンス(生産量推移や製品例など)を日本(自国)への愛着や誇り、自信と関連づけていることで、「価値付け」の誤りにある。
一国の産業の盛衰は古くから愛国心と結びつけられてきたが(例えば殖産興業や植民地独立運動)、そこに経済的な合理性はない。この授業で取り上げられているトピックスで言えば、日本の自動車生産台数の減少は日本経済の危機とは関係しないし、日本製品の国際的成功や「技術力の高さ」は「日本」という国(国家にせよ地域社会にせよ)の優秀さを表すものでもない。例えば、ベトナムやバングラデシュ製のアパレル製品は世界を席巻しつつあるが、それはそれらの国々の優秀さ・素晴らしさの証拠としていいだろうか。また、1950年代の日本は例えばクリスマス電球の世界的輸出国であったが、それは「日本の技術はすごい」という「価値付け」に回収できる現象だったろうか。

一国の一産業の盛衰は、一面ではその国の産業構成や社会状況を反映しており時代によって変容する。典型的には一次産業から三次産業への「産業構造の高度化」を示すペティ・クラークの法則がある。日本は1950年代にクリスマス電球の世界的輸出国であったが、その生産と輸出は1960年代には急速に衰退した。香港などとの競争に負けたのである。だがこのことを日本の衰退や危機と見なすべきだろうか。このクリスマス電球の衰退の背景には、日本経済の成長に伴う人手不足と賃金上昇があった。クリスマス電球製造以外の産業が成長し、それらと労働力を奪い合う競争の煽りを受け、低賃金長時間労働による低価格を競争力基盤としたクリスマス電球産業は、他の低賃金国との価格競争に敗れたのである。したがって、クリスマス電球産業の衰退は日本における経済成長と賃金・所得上昇と結びついていた。このことから見れば、クリスマス電球産業の衰退を日本の危機や衰退と関連づけられないことが分かる。
これと同様に、近年の日本の自動車生産の減少もまた日本の衰退や危機とは関係ない。自動車生産はすでにグローバル産業であり、日本の国内生産は主に国内市場の状況を反映しているに過ぎない。日本の国内自動車市場はすでに飽和・成熟しており、買替え需要がその主体である。その需要は人口規模に依存している。人口成長が停滞し、高齢化に伴う労働力人口の減少傾向が続く以上、自動車生産台数が減少傾向にあることは自然である。そして、経済発展の成果として国際的に高賃金を達成した日本は工業製品の大量輸出をするのに適した国ではなくなっているし、近隣の大市場であるアジアや北米は自動車を生産できない地域であるわけでもない。要するに、日本の自動車生産台数の減少は、日本の経済社会の「成熟」と、それと関連する国際的な比較優位構造を反映しているに過ぎない。日本が「成熟した経済大国」であり、もはや「世界の工場」のような役割から解放されたことを表しているのであって、それは危機でも衰退でもないのである。自動車の生産が減れば、他の製品やサービスの生産が増えるだけのことである。

ここまでをまとめると、まず、自動車生産台数の減少に危機感を覚えた子どもたちの感覚を無批判に肯定したのは誤りであった。この自動車生産台数の減少に危機感を覚えるという感覚は、控えめに言っても、一産業・一製品の生産推移とGDPで代表される経済成長とを混同することで生じている。そしてこうした誤りは社会に流布しているから、この誤りを正すことには意義がある。だから、一産業は国民経済の一部に過ぎず経済全体への影響は限られること、自動車産業の変化は国民経済の変化を反映しており危機ではないことに気づかせるべきであった。その上で、例えば、なぜそのような誤解を持ってしまうのかについて考えを巡らせることができれば、間違いやすい数字のトリックや情報の発信・受容の歪みという論点に気づかせられたかもしれないし、「国」や「社会」という概念の曖昧さや、愛郷心や愛国心の危うさという論点にも気づけたかもしれない。

この授業の二つ目の問題は、日本製品の素晴らしさを無批判に取り上げ、しかもその肯定的評価を「日本」や「日本人」のイメージと直結させたことである。
言うまでもなく、日本製品は日本経済や日本社会の産物ではない。それらはそれらを開発し生産した人々の産物である。確かに、彼らの活動を可能にした背景には日本の経済や社会条件がある。しかしそれは「日本経済」とか「日本社会」とかいう抽象的かつ平板な概念でくくれるほど単純ではない。個別の製品開発には個別の文脈と個別の事情が強く働いている。個別の製品は第一に各企業や開発者固有の事情と物語との産物であって、仮にそこに「日本経済」とか「日本社会」とか「日本人」とかの普遍的性質を見いだせたとしても、それは非常に間接的かつ希薄な意味でしかない。例えば、世界的発明とされる紙、火薬、印刷は皆中国の発明だが、これによって古代中国の先進性を評することができるとしても、これらを当時の中国の経済社会あるいは中国人の素晴らしさを証する根拠とできるだろうか。紙を発明したことを「中国人」らしさや「中国人」が固有に持つ美徳と関係づけられるだろうか。紙は蔡倫、電球はエジソンというふうに個人に結びつけられる一方で、下町ボブスレーや下町ロケット、曲がる耐熱ガラスには個人名が結びつけられないのはなぜだろうか。個別の開発や製品の事例を安易に国や社会のイメージと結びつけるのは、社会と個人との関係への洞察を妨げる誤りであり、開発者個人の栄誉を損ねたり成功プロセスの複雑さを見失ったりする危険をはらんでいる。

この問題のもう一つの側面は、特定のユニークな製品や成功した開発事例を社会の美徳と受け取るという誤解の問題である。古代中国の発明の例で言えば、紙や火薬を発明した古代中国は素晴らしい国だとか、(当時の人が)中国人で良かっただとか言えただろうか。当たり前のことだが、立派な発明が生まれた国が社会問題を抱えていないわけではない。また、その発明と無縁な人々(例えば紙が一般社会に普及したのは蔡倫から遙か後の時代である)にとっては、自国が世界的発明の発祥であっても実際的な便益はほとんどなかっただろう。古代ギリシャは多数の学術的文化的な貢献をなしたが、そこの平民や奴隷からすればそんなモノより飯を食わせろというようなものであったろう。ピラミッドや万里の長城、東大寺の大仏が多大な犠牲を労苦を伴ったという話はよく知られている。確かにその国や地域で行われた偉業をその人々が誇らしく思う気持ちは自然である。それは所属意識や帰属意識に由来している。けれどもその感情作用はしばしばその国や地域が抱える矛盾や不満を隠すために使われる。そして、この種の感情作用は、往々にして、他人の偉業を自国のものと強調する一方で、自国で起きた(自国民が起こした)不祥事は他人の不始末として自国から切り離す傾向を持っている。従って、日本製品の素晴らしさを日本や日本人の素晴らしさと直結させる感覚を無批判に肯定することは、このようなダブルスタンダードの危険や社会の多面性に気づかせる契機を損ねるという点でも誤りである。

以上で述べてきたように、経済学をやっている人間からすれば、経済統計や開発成功事例などを日本や日本人の素晴らしさという分脈に使うこと自体が不適切にしか思えない。日本とか日本人とかの概念はあまりに茫漠としていて、何かの製品の統計や事例で語れるほど具体的な内実があるように思えないし、また具体的な事物を数点並べただけで「日本」とか「日本人」とかの本質を語れるとも思えない。それに、統計にせよ開発事例にせよ、それ自体が豊富な情報と含意を持っているので、「日本」や「日本人」の美徳みたいな話に使うのは正直もったいない、ある意味で無礼だとすら思えてしまう。経済統計や経済の事例はあくまで経済や社会の事実に関する授業で使うべきである。けれども、あえてこれらを教材として、「日本」を考える「価値付け」授業を行うとすれば、自分なら次のようなことを考える。

ところでこの先生はこの授業を社会科で行っているようなのだが、そもそも「価値付け」は道徳の「内容項目」の一貫であり、社会科の学習指導要領では出てこない観点だと思う。小学5年生の社会科の授業で生産統計や開発事例を使うなら、指導要領で言う「様々な工業製品が国民生活を支えていること」や「工業生産に従事している人々の工夫や努力」に焦点を当て「産業と国民生活との関連」への理解を深めるようにする。ここでは「価値付け」の話にはあまりならない。だから、以下では道徳の授業として考えてみる。

まず統計について言えば、そもそもどうして国内自動車産業が衰退することを「危機」と感じてしまうのだろうか。上で述べたとおり、一産業の盛衰と一国経済の盛衰は直結していないし、実際には自動車会社はグローバル化しているので国内生産が減っても企業が困るわけではないのに、である。そこから、子どもたちがなぜ危機感を抱いたのか、その危機感の内実は何なのかについて考えていきたい。そこからはメディア論のような視点、すなわち情報の伝え方・受け取り方と心理的バイアスへの気づきが得られるかもしれないし、愛郷心や集団帰属意識が与える社会認知のバイアスへの気づきが得られるかもしれない。こうしたことは、道徳の内容項目のうち「自主、自律、自由と責任」にある「自律的に判断」に関わることになるし、「真理の探究、創造」の「真理を大切にし,物事を探究しようとする心をもつこと。」につながるだろう。

次に、開発事例を「価値付け」に使うなら、「ニッポンスゴイ」ではなく、開発の背景や開発を可能にした条件、開発者の苦労、そしてそれが経済的成功に結びついた条件や人々の努力について考えたい。安易に社会一般の美徳のような解釈をさせないことが大切である。そこからは「希望と優樹、克己と強い意志」の「より高い目標を立て,希望と勇気をもち,困難があってもくじけずに努力して物事をやり抜くこと」や「思いやり,感謝
」の「日々の生活が家族や過去からの多くの人々の支え合いや助け合いで成り立っていることに感謝し」の大切さを考えることができる。ほかにも「相互理解、寛容」や「国際理解、国際貢献」とも関連づけることができるだろう。

簡単なまとめ

社会科の授業で「価値付け」が行われ、それがニッポンスゴイ的認識を強化する方向に作用している事例を検討した。

統計や事例(エピソード)は社会の一側面が表れる貴重な情報であるが、それをニッポンスゴイのような本質論の根拠に使うと、社会を詳細に考察する視点を失わせる危険がある。これらの資料はあくまで複雑な社会の複雑さに分け入るための契機とするべきである。
教師は、生徒が「日本とは」「日本人とは」のような安易な本質論に陥らないように戒めるためにこそ、このような資料を使うべきである。そのためには教師自らが資料の意味や使い方をよく理解する必要がある。社会科に道徳科のような視点を持ち込むことには十分慎重であるべきだろう。

参考
小学校学習指導要領「生きる力」第2章 各教科 第2節 社会:文部科学省

「小学校学習指導要領解説 特別の教科 道徳編」平成27年7月文部科学省(PDF)24ページ「内容項目の指導の観点」

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2017/04/17

「特定秘密」文書の廃棄が進行中。ほか関連記事(毎日新聞から)

毎日新聞は行政文書の隠蔽や廃棄の問題を重視している印象がある。

特定秘密文書:廃棄手続きが進行中 対象や省庁名は不明 - 毎日新聞(2017年4月17日 07時00分(最終更新 4月17日 10時02分))

14年末の特定秘密保護法施行後、初

 国の行政機関が指定した特定秘密を記録した文書について、廃棄に向けた手続きが進められていることが内閣府などへの取材で分かった。特定秘密文書の廃棄は2014年末の特定秘密保護法施行後、初とみられる。順次廃棄が進められるとみられるが、秘密文書は通常の文書と違って第三者のチェックに制約がある。専門家からは「本来残すべきものまで廃棄される恐れもある」との指摘がある。

 特定秘密文書は、公文書管理法に基づいて一般の文書と同様に、それぞれの保存期間を過ぎれば内閣府のチェックを受けた後に廃棄することができることになっている。ただし、特定秘密保護法の運用基準で、指定から30年を超えた文書は重要性が高いと判断されて一律に公文書館などに移管されて保存されることが定められている。

 廃棄をチェックする内閣府は毎日新聞の取材に対し、特定秘密文書を保有する省庁と廃棄に向けた協議を行っていることを認めた。対象文書の内容や省庁名は明らかにしていないが、保存期間2年以下の文書とみられる。

 内閣府は各省庁から文書目録の提供を受け、「行政文書管理ガイドライン」に沿って廃棄が妥当か点検する。しかし、特定秘密文書の目録は秘密の内容が想起されないようにタイトルを付けることになっており、内閣府は文書の重要度を判断しにくい。省庁側に特定秘密文書の閲覧を求めてチェックすることも制度上は可能だが、文書を作った省庁は「わが国の安全保障に著しい支障を及ぼすおそれ」があるとの理由で閲覧を拒否することができる。

 内閣府のチェックとともに、第三者機関の役割を担う政府内の独立公文書管理監の検証・監察を受けることになっているが、方法は明らかになっていないが、保存期間2年以下の文書とみられる。

 秘密文書の廃棄を巡っては、今月11日の衆院総務委員会で内閣官房の田中勝也審議官が「恣意(しい)的な廃棄はできないと理解している」と答弁した。【青島顕】

特定秘密を記録した文書

 外交、防衛、テロ・スパイ防止に関する重要情報を政府が特定秘密に指定し、漏えいした人などに罰則を科すと定めた特定秘密保護法が2014年に施行され、16年末までに11行政機関が487件を指定した。5年ごとに秘密指定期間が更新され、通算30年(一部は60年)まで可能。特定秘密を記録した文書は15年末段階で27万2020点ある。文書の保存期間は秘密指定期間と別に定められ、特定秘密に指定されたまま文書が保存期間満了を迎え廃棄対象になる場合もある。

掲載図:特定秘密文書廃棄審査の流れ(イメージ)(魚拓)

こちらは2016年12月の記事。よくまとまっている。
特定秘密保護法:施行から2年 行政の情報隠し、発見・指摘に高い壁 - 毎日新聞(2016年12月5日 東京朝刊)

 国の安全保障に関わる重要な情報を厳重に管理し、情報を漏らしたり不正に取得したりした人に重罰を科す「特定秘密保護法」が施行されて10日で2年を迎える。今のところ懸念された国民の「知る権利」をおびやかす事態は発覚していない。しかし行政による情報隠しが起きたとき、行政と並び立つ司法や立法が誤りを指摘し、正すことのできる準備は十分とは言えない。【青島顕】

役所はほぼ不開示

 「情報公開請求で特定秘密をチェックすることができる」。秘密保護法が成立したころ、そう説明をする人たちがいた。自民党のホームページにある「特定秘密の保護に関する法律Q&A」にも「特定秘密の記録された行政文書についても、情報公開法に基づいて、開示・不開示が判断されます」とある。

 本当だろうか。「特定秘密に指定された情報に違法なものがある」と市民が聞きつけたと仮定して、役所に情報公開請求をするケースを考えてみる。役所は特定秘密指定の有無にかかわらず「公開対象外だ」として不開示にするだろう。

 市民が不服審査を求めると、第三者でつくる審査機関は非開示になった文書を実際に見られることになっているので、特定秘密のチェックも一見できそうにも思える。しかし役所が本当に見せるかどうかは分からない。

 仮に審査機関が開示すべきだと判断しても、審査機関は役所に開示を命じるのではなく、開示した方がよいと「答申」できるだけだ。役所は特定秘密に関わる文書の開示を拒否できる。

 そうなった場合、市民は裁判所に情報公開訴訟を起こすしかない。しかし現行の情報公開法では、裁判官が不開示文書を取り寄せることはできない。そのまま市民が敗訴する公算大だ。

 鈴木秀美・慶応大教授(憲法)は、情報公開法を改正して裁判官が文書を実際に見て、開示か不開示かを判断する「インカメラ審理」と呼ばれる仕組みを取り入れるよう訴えている。「裁判所が文書をきちんと見たうえで実質的な判断をできるようにすることが重要だ」と話す。

 インカメラ審理を使って不備のある秘密情報の公開を実現するには、もう一つ高いハードルがある。現行の情報公開法には「公共の安全と秩序の維持に支障を及ぼすおそれがある」などと行政側が判断すれば不開示にできるという条文がある。併せて改正が必要になる。

国会に通報窓口を

 国会は衆参両院に「情報監視審査会」をつくった。所属する議員や職員に守秘義務を課し、携帯電話の電波も届かない特別な部屋を非公開にすることで、政府から特定秘密の提供を受けてチェックする仕組みを整え、2015年春にスタートした。

 厳格な仕組みにもかかわらず、秘密保護法は、政府に提供を拒否する権限を与えている。とくに外国から得た情報について、政府は相手国の了解を得なければ国会には出せないとしている。

 森雅子担当相(当時)は14年、衆院議院運営委員会で「国会から求められた場合は政府としては尊重して適切に対応する。提供できない場合は限定的に解釈していくべきだ」と答弁していた。ところが参院の審査会(会長=中曽根弘文・元外相)に対する担当官僚の説明は森元担当相の答弁より後退したものになっているという。

 参院の審査会は審査の前提を欠いたまま、本題に入ることができなくなり、さらに環太平洋パートナーシップ協定(TPP)承認案・関連法案をめぐる与野党の対立もあって11月2日以来、丸1カ月開催できていない。15年に指定された特定秘密61件の妥当性がおもな審査課題だが、指定した省庁の説明聴取が始まっていない。来年3月までに年次報告書を作成するのは難しい状況になっている。

 一方、衆院の審査会(会長=額賀福志郎・元財務相)は昨年の特定秘密の指定状況などについて11省庁からの説明を聴取し、来年3月に報告書を公表する方向だ。

 11月30日には、警察庁と経済産業省から特定秘密を記録した文書や画像を提供させてチェックした。審査会に所属する議員たちが実際に秘密の記録を見るのは、今年1月以来だ。

 委員らの説明によると、警察庁の特定有害活動(スパイ活動)にかかわる特定秘密の文書の中に30年以上前の古いものがあり、特定秘密としてふさわしいかを調べたという。

 ただ審査する特定秘密を選ぶ手掛かりは、秘密の概要を記した「指定書」と、担当官僚による説明に限られている。何らかの問題が起きてもそれを発見するのは極めて難しい。

 秘密保護法に詳しい江藤洋一弁護士は「指定書の記載はあいまいで、検証が難しい。国会が監視できなければ特定秘密の問題を見つけることはできないのに、現状は衆参の審査会が機能しているとは言えない」と手厳しい。

 また、審査会や事務局には省庁の職員から通報を受ける窓口が作られていない。通報者を保護する仕組みも作られていない。

 省庁から独立した国会にこそ通報窓口が必要だとする声も識者の間には根強い。

政府内にも監視機関

 政府内にもチェック機関はある。内閣府の佐藤隆文・独立公文書管理監(検事出身)と佐藤氏を室長とする情報保全監察室(20人)がそうだ。守秘義務を課せられた官僚でつくる組織だけに、特定秘密の文書を直接見て妥当性を判断できるようになっている。今年4月、外務省と警察庁の計3件の特定秘密に相当する文書がないとして指定の解除を求めた。監視活動が初めて具体的に機能した。

 独立公文書管理監には官僚からの内部通報を受け付ける窓口があるが、政府内の機関に対して官僚が通報するには相当な決心が求められそうだ。独立公文書管理監の業務についての報告書は来年春に作られる予定だ。佐藤独立公文書管理監は14年12月の就任以来、記者会見を一度も開かず、業務の方針などを国民に説明していない。

 ■ことば

特定秘密保護法

 (1)外交(2)防衛(3)テロの防止(4)スパイなどの防止--の4分野について、政府が重要な情報を特定秘密に指定し、漏らした人や不正に取得しようとした人に最長懲役10年の重罰を科す内容。政府は米国などと安全保障に関する情報を交換、共有しやすくするために必要だとして1980年代以来、制定を目指してきたが、安倍晋三政権が2013年に成立させた。いったん特定秘密になると外部からうかがい知れないため、情報隠しに悪用される余地があるとの懸念が根強い。


掲載図1:衆院の情報監視審査会の開催について説明する額賀福志郎会長(左から2人目)ら=東京都千代田区の衆院第2議員会館で2016年11月30日(魚拓)
掲載図2:各国議会の情報監視機関の開催比較(魚拓)
掲載図3:特定秘密監視の仕組み(魚拓)

特定秘密:「ルーズな運用」に批判…文書なし166件 - 毎日新聞(2017年3月29日 22時10分(最終更新 3月29日 23時03分))

 特定秘密保護法に基づく秘密指定の状況を調査する衆院の情報監視審査会(会長・額賀福志郎元財務相)が29日、年次報告書を衆院議長に提出した。昨年に続いて2回目。調査で文書が存在しない秘密の存在が次々に判明し、指摘を受けた政府は新たに9件の秘密指定を解除した。専門家は「ルーズな運用だ」と批判している。

 防衛省は2014年の特定秘密保護法施行まで「防衛秘密」だった「自衛隊防衛・警備計画」や「情勢等に関する見積もり」など5件を特定秘密に移行させていたが、文書は存在していなかった。「行政文書として保存期間を過ぎており廃棄をした。関係する職員が知識として保有しているため、特定秘密の指定としての維持をしている」。防衛省幹部は昨年11月21日の審査会でこう答弁した。

 こうした対応について、政府の情報保全諮問会議委員の清水勉弁護士は「特定秘密は文書や電子情報といった表示できるものを組織として管理するのが法の趣旨だ。頭の中の知識は原則として秘密指定の対象にならない。防衛省の説明は誤りだ。ルーズな運用で、氷山の一角かもしれない」と批判する。

 15年末時点の特定秘密は443件。政府は27万2020の文書に秘密が記録されていると説明したが、それぞれの秘密に何件の文書があるかは分かっていなかった。審査会が各省庁に提示を求めると、4割弱の166件に対応する文書がなかった。

 暗号を含む「物」の形で存在するものが91件あったが、15件は情報が将来出現する見込みで指定されており、10件は「職員の知識の中に存在する」状態だった。政府は昨年5件の秘密指定を解除したが、さらに今月までに9件を解除した。

 審査会は非公開で開かれ、所属議員には守秘義務が課されているが、行政機関が説明を渋るケースは後を絶たない。国家安全保障会議(NSC)は4大臣会合の結論を秘密指定しており、昨年10月14日の審査会で政府参考人は「安全保障政策の核心が記載されており、極めて機微」と答弁した。

 出席議員の一人は「答弁は初めから(特定秘密を)出さないと言っているに等しい」と指摘した。

 「安全保障に支障がある恐れがある」と政府が判断した場合、特定秘密の提供を拒否できるため、審査会の調査には限界がある。過去1年の調査で特定秘密の提供を受けたのは6件にとどまった。

 昨年は衆院と同じ3月30日に年次報告書を提出した参院の審査会は、2回目の年次報告書提出のめどが立っていない。【青島顕、遠藤拓】

掲載図:衆院情報監視審査会の終了後、2016年の年次報告書を額賀福志郎会長(左)から手渡される同院の大島理森議長(中央)=国会内で2017年3月29日午前10時21分、川田雅浩撮影(略)

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2017/04/05

東芝問題は過去の経緯の綿密な調査告発をこそ注視すべきではないか

東芝 イギリスの原発会社の全株式の買い取りを発表 | NHKニュース(4月4日 21時24分)

経営再建中の東芝は、イギリスで計画中の原子力発電所の受注を目指して、3年前に買収したイギリスの企業をめぐり、共同で出資しているフランスの企業が保有する、すべての株式を事前の取り決めに基づいて買い取ると発表し、現在、目指している海外の原子力事業からの撤退に影響を与えそうです。
東芝は、3年前にイギリスの原発事業会社「ニュージェネレーション」の株式の60%を買収して子会社化し、当時のアメリカの原子力子会社、ウェスチングハウスを通じて、イギリス北西部で計画中の原発の建設事業の受注を目指してきました。

ニュージェネレーションは、フランスのエネルギー大手「エンジー」が残りの40%の株式を保有していますが、発表によりますと、ウェスチングハウスが先月、連邦破産法11条の適用を申請し経営破綻したことから、重大な事案が発生した場合には東芝が株式を買い取るという3年前の取り決めに基づいて、エンジー側が保有する株式のすべてを買い取るよう求めてきたということです。

東芝による買い取り額は、およそ153億円になる見通しです。東芝は、海外の原子力事業からの撤退を目指していますが、イギリスのニュージェネレーションについては、東芝の保有比率が100%に高まることで、今後の撤退計画に影響を与えそうです。

「重大な事案が発生した場合には東芝が株式を買い取るという3年前の取り決め」
2014年だから、震災以降だし、第2次安倍政権下。アベノミクスで海外原発輸出とか旗を振っていた頃。

こんな債務保証みたいな条項を付けて契約したのはなぜか?
自分たちが自力で市場進出しコンペに勝って案件を獲得するのではなく、外国の地場資本を買収してまでして日の丸を立てたかったのはなぜか?

原発が斜陽だという指摘は震災前からあり、震災以降は明らかに潮目が変わったと各方面から言われていたのに、なぜここまで暴走したのか?なぜ暴走できてしまったのか?
この巨大な失敗に至る過程については、東芝の枠を超えて調査と告発を徹底することが必要だ。

東芝問題については、東芝が今後どうなるのかという関心から語られることが多いように思うが、むしろ我々にとって重要なのは、なぜこんなにひどい判断・行動をしてしまったのかを検証して、他山の石として教訓を得たり、制度的な再発防止策を整備したりすることではないか。

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2017/03/04

文科省:政府見解を「正しい」と断言することが国民教育だと叫ぶ

衝撃的。

とんでもない暴言、およそ教育の意義をはき違えているとしか思えない台詞の数々。
文科省が戦前の軍国主義教育、皇民化教育とほぼ同じ認識でいることが分かる。
国会喚問して歯止めをかけてもらいたい案件だ。
朝日新聞のスクープと言えるんじゃないか。

こんな「教育」が社会認識としても倫理的にもきわめて問題なのは言うまでもない。
だが、実際的にもこの種の偏狭さの刷り込みを「教育」とされると、価値や概念の切り分けや相対化が苦手な人間が増えて実務で困る。

文科省の合田課長が言っていることは、理科で進化論を教えず創造説を教えろと言うのと何も変わらない。文科省はこの愚かしさが分からないのだろうか。

あと、どうでもいいが、ニセ科学批判系の人たちや「絶対的正義はあり得ない」相対主義な人たちには是非抗議の声を上げてもらいたい(私がまだ見つけてないだけかもしれないが)。「日本政府の主張が歴史的にも国際法的にも妥当だ」と断言せよ!なんていう態度(しかも強制力を持つ権力者が!)、科学や真理、正義のどの観点から見てもトンデモ以外の何物でもないでしょう。

(新!学習指導要領)「国の立場、言い切る指導を」 竹島・尖閣どう教えるか、文科省に聞く:朝日新聞デジタル
2017年3月4日05時00分

 学習指導要領の改訂案で、竹島、北方領土、尖閣諸島は「我が国の固有の領土」で、尖閣については「領土問題は存在しない」と明記された。文部科学省は、学校でどう教えることを想定しているのか。改訂を担った合田哲雄・教育課程課長に聞いた。

 ――指導要領の改訂案では、例えば、尖閣諸島については「領土問題は存在しない」としています。中国の「尖閣諸島は自国の領土だ」という主張に授業で触れる場合、文科省はどういう形を想定していますか。

 「中国は領有権を主張しているが、我が国が実効的に支配している固有の領土である」という教え方だと思います。「主張している『が』」ですよ。

 竹島と北方領土については、先方が領有権を主張している。けれど「不法占拠であって、歴史的にも国際法上も我が国固有の領土である」と説明していただく。そのような指導の中で、先方が領有権を主張していることに批判的に言及することはありうるでしょうが、他国の主張を並列で扱い、「みんな違って、みんないい」という指導は不適切です。我が国の領土について正しい理解の妨げになるなら、中国や韓国の主張は教えないで頂きたい。

 ――例えば、クラスに中国人の子がいて「自分の国ではこう言っている」と言われたら、先生はどう答えるべきだと。

 教育基本法は、教育の目的として「国民の育成」と規定しています。我が国の立場をきちんと伝えるのが先生の役割なので、「君はそう思っているかもしれないが、我が国の立場はこうで、国際法的にも、歴史的にも妥当です」と言い切ってもらう必要があります。

 ――グローバル化の中で生きることをめざす指導要領との矛盾は出ませんか。

 グローバルな時代だからこそ、我が国の立場を正しく理解する必要がある。韓国では、竹島は韓国の領土と教えているわけで、日本の主張を子どもたちが理解していないかぎり、平和的解決にならないんです。

 ――自分たちが正しいと主張するためには、相手の言い分も教えた方がいいのでは?

 やれたら、やった方がいいかもしれない。ただ、例えば竹島なら、古地図を持ち出した綿密な実証作業をしなければ、我が国の立場を実証することは難しい。小中では発達の段階を踏まえると難しいと思います。

 ――では、教え方のストライクゾーンはどこだと考えますか。指導のあり方は白黒の判断がつきにくく、そこに文科省が線を引き始めると、教える最低基準という指導要領の性格から逸脱するのではないですか。

 白黒の判断がつきにくいというのが、この問題では理解できかねます。例えば、韓国や中国のテレビニュースをみせて「向こうはこう言ってますよね」で終わったら、我が国の領土に関する正しい理解にいたらないのは当然です。

 日本の公教育とは要するに、教育基本法の言葉を使えば「国家及び社会の形成者」を育てることをめざしている。領土の問題について、他国の主張があり、それには理があるという風に思っていただくのは困る。

 ――指導要領に基づき、具体的な教え方にまで踏み込む必要はありますか。

 教え方に踏み込んでいるのではなく、子どもたちが我が国の領土について正しく理解するために、定められた内容を指導してくださいと規定しています。その目的に沿わない指導は不適切だということです。(聞き手 編集委員・氏岡真弓、木村司、水沢健一)

 ■<視点>対立する考え、どう扱うのか

 学習指導要領の改訂案に盛り込まれた領土問題の内容をどのように教えるか。

 文科省の合田課長は報道各社への説明の際、「他国の立場を並列で扱うのは妥当ではない」と述べた。では、どんな指導を想定するのか。インタビューでは、このことを問うた。

 論点は二つある。

 一つは政府の見解と対立する考えをどう扱うかだ。今回の指導要領は多面的、多角的に考える力を育てることをめざしている。政府見解を教えることは大切だが、領土問題をめぐるさまざまな見方も十分に学び、自分の頭で考えることで、理解はより深まるのではないか。

 二つ目は、国がどこまで現場の指導に踏み込んでよいかだ。指導要領は法的な性格を持つ「大綱的な基準」とされ、文科省は教え方にふれるのを抑制してきた。その原則を超え、文科省が指導のありかたに言及することは、子どもの多様な実態に合わせて教える教員の裁量を縛りかねない。さらに慎重な議論が必要だ。(氏岡真弓)

 

 ■「領土」に関する記述

 <社会> 次期・学習指導要領改訂案

     *

 <小学5年> 世界における我が国の国土の位置、国土の構成、領土の範囲などをおおまかに理解すること/「領土の範囲」については、竹島や北方領土、尖閣諸島が我が国の固有の領土であることに触れること

 <中学(地理)> 竹島や北方領土が我が国の固有の領土であることなど、我が国の領域をめぐる問題も取り上げるようにすること。その際、尖閣諸島については我が国の固有の領土であり、領土問題は存在しないことも扱うこと

 <中学(歴史)> 領土の画定などを取り扱うようにすること。その際、北方領土に触れるとともに、竹島、尖閣諸島の編入についても触れること

 <中学(公民)> 「領土(領海、領空を含む。)、国家主権」については関連させて取り扱い、我が国が、固有の領土である竹島や北方領土に関し残されている問題の平和的な手段による解決に向けて努力していることや、尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題は存在していないことなどを取り上げること

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2017/02/22

これでは「不可逆的な解決」など到底望めない。本当に分からないんだなあ。

日韓合意からまもなく書かれたコラム。
著者は布施広氏。毎日新聞の専門編集委員。

布施広の地球議:日本人は残忍か - 毎日新聞(2016年1月13日 東京朝刊)

 日本人は「とても残忍な人種」(very cruel race)。現代のコメディー映画「ブリジット・ジョーンズの日記」の中で、主人公の母親はそう話す。前回紹介したフィナンシャル・タイムズの記者、デビッド・ピリングさん(51)。だから困る。

 他方、ピリングさんの本「日本-喪失と再起の物語」(早川書房)の中で、実業家の稲盛和夫さんは「欧米人にとって戦うことは本能なのです。日本人にはそういうところがありません」と語っている。侵略の過去はあるにせよ、日本は「平和国家として世界をリードしてきた」というのが稲盛さんの見方だ。

 どちらが妥当か。当然稲盛さんの方だと私は思うが、中露首脳は日本の「歴史の歪曲(わいきょく)」を警戒し、米議会は慰安婦問題で日本の謝罪要求決議を挙げた。韓国民は日本大使館前の慰安婦像の移動・撤去に反対する。日本への視線が冷たい。

 ピリングさんは私にこう語った。

 「日本人のイメージは内外で対照的です。戦後70年、日本は平和的な憲法を持ち、自衛隊が敵に1発の銃弾も撃っていないのは確かだが、多くの外国人は旧日本軍の行為を覚えている。平和的か残忍かは一概には言えない。他国民同様、環境によって日本人も変わりうると思います」

 「日本には戦国時代があったし、開国を余儀なくされると欧州の植民地勢力を見習って攻撃的に帝国建設を試みた。欧州諸国も昔は争い、今や欧州連合の“平和的な″加盟国になったけれど、フランスや英国は『イスラム国』(IS)を空爆している。状況によって変わるのです」

 と同時にピリングさんは「プロパガンダ戦争」という言葉を使い、近隣国の見方が世界の日本観に影響するとも語った。中国や韓国が戦略的に「ゴールポスト」を動かせば日本はいつまでもゴールできず、欧米にある「残忍な」印象も消えないということでは困ってしまうが。

 私はステレオタイプで極端な日本観は欧米が率先して正してほしいと考える。昨年、米国の識者らが日本の歴史認識をたしなめるべく発表した声明は、肝心の慰安婦問題で「償い事業」や首相の「おわびの手紙」に言及せず、目配りに疑問を残した。中心になった大学教授は日本の領土的主張を「拡張主義」「瀬戸際外交」と表現するが、日本人は納得しないだろう。南シナ海に人工島を造り、「水爆」実験をする国にこそふさわしい批判ではないか、と。

 年明け、慰安婦問題で多くの学生と話をする機会があった。日韓合意は成ったが、問題再燃を警戒し「なぜ日本ばかり非難されるのか」と悩む若者の姿が痛ましい。不可逆的に問題を解決して、若者の目を未来に向けてやりたい。(専門編集委員)

これは連載の後編で、前編は以下。

布施広の地球議:「喪失と再起の物語」 - 毎日新聞(2016年1月6日 東京朝刊)

この前編では、前半の日本文化とか大和魂とかの、何が言いたいかよく分からない枕がある。それはどうでもいい。

布施氏は「ステレオタイプで極端な日本観は欧米が率先して正してほしい」と言いながら、稲盛氏の「欧米人にとって戦うことは本能」「日本人にはそういうところがありません」というステレオタイプは「当然妥当」だと思うのだそうだ。
こういうの、最近の流行では「日本スゴイ」というのではないかな。

そして、

日韓合意は成ったが、問題再燃を警戒し「なぜ日本ばかり非難されるのか」と悩む若者の姿が痛ましい。不可逆的に問題を解決して、若者の目を未来に向けてやりたい。
と言いながら
中国や韓国が戦略的に「ゴールポスト」を動かせば日本はいつまでもゴールできず、欧米にある「残忍な」印象も消えないということでは困ってしまうが。
と言う。若者が悩む原因を作っている側の主張をしている人が「若者を救いたい」と言う皮肉。日本の夜明けは遠いなあ……。

まあ要するに、布施氏は因果関係の逆転に全く気づいていないわけだ。これこそ正すべき「ステレオタイプ」だと思うのだが、布施氏からすれば、諸外国の「日本憎し」が先に立った強硬姿勢こそが「不可逆的な解決」とか「真の和解」とかを阻害していると映るのだろう。
布施氏は、ピリング氏の、国民が「平和的か残忍かは環境や状況によって変わる」という言葉を引きながらも、「残忍か平和的か」という問に拘泥している。これこそが彼がステレオタイプにとらわれていることの証だろう。
私などは、「日本」などがどのように見られようが別にかまわないのだが(まあ実害があると困る。外国で差別を受けたこともあるし。だがこれは「日本良い国」像の流布を肯定しない)、布施氏は「日本」が批判されるとなぜか自分が攻撃されたように感じてしまうのだろう。毎日新聞が批判されても彼は同じように自己への攻撃だと見なすのだろうか。ちょっとだけ興味がある。

◆ ◆ ◆

全然関係ないが、上記コラム前編には、アブデュルレシト・イブラヒム著「ジャポンヤ」の話がちょっと出てくる。
ジャポンヤ――イブラヒムの明治日本探訪記 (イスラーム原典叢書) | アブデュルレシト・イブラヒム, 小松 香織, 小松 久男 |本 | 通販 | Amazon

この書評:山崎典子(2013)史學雜誌 122(11), 2013-11-20, CiNii

イブラヒムは、日露戦争で強国ロシアに打ち勝ったアジアの新興国である日本と、ヨーロッパ列強の支配に喘ぐイスラーム世界の連携を構想していたとされ、伊藤博文や大隈重信をはじめとする要人と交流をもち、頭山満や犬養毅率いるアジア主義団体「亜細亜義会」の設立発起人にも名を連ねたという。(中略)
本書は、イブラヒムとその時代に関する基礎研究、とりわけ第二次世界大戦時における日本の対イスラーム工作に彼が関与した背景を探るための重要な研究成果として、今後大いに参照されていくだろう。

また、朝日新聞の聞蔵IIで当時の記事を検索すると、こんな記事がある。

1909年3月22日付「回教管長の演説 韃靼人イブラヒム氏」
その一節。

……氏は露国人と云ふものヽ実は韃靼人にして此度日本に来たりたる目的も全く露国の横暴に堪え切れず親好を我国に求めんが爲めなりと云ふ……
……余等は最早表面の偽善をのみ看板として裏面の汚穢極まりなき欧州より教育を受くるを欲せず、行く行くは日本に留学生を送る考へなり若し日本政府にして余等が此乞を許されなば余の幸福は実に之に過ず……
……日本が最近五十年間に世界を驚かす長足の進歩を遂げたるも余の考へにては是皆其歴史の古来明瞭となり居れる賜のなりと思ふ……
日本人相手の演説でかなりリップサービスが入っていると思うが、まあロシア包囲網(ちょっと「保守」的表現をまねてみた)を作るという政治的動機が下地にあるんだなあというのが分かる。なんとなく世界ウイグル会議の人を思い出してしまった。

参考:隅田金属日誌(墨田金属日誌) 「ウイグル会議代表は桜井誠のお仲間ですよ」(産経)

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2017/02/03

「人権派」であるなら日本の慰安婦問題も盛んに追及すればいいだけでは……

追記:下のtogetter記事、現在はタイトルが変更され、追記もあるようだ。

私が慰安婦問題で転向した理由~「強制連行は論点ではない」「他国の例を批判しても日本の罪は消えない」の一点突破で、問題は解決するのだろうか? - Togetterまとめ

人権派は「国際社会で強制連行の有無は論点になっていない」といいます。
返す刀で「そんなことに拘る人間は人権意識の低い馬鹿な右翼だ」と罵ります。

人権派は他国の人権侵害や問題点について話題を避ける傾向にあります。
そのことを指摘すると「日本の罪が消えるわけではない」と正論で返されます。

こういった態度や正論に納得できる人は、相当良く訓練された人権派だけではないだろうか?
違和感を持ってしまった自称人権派の私は、どうすればいいのだろうか?

基本的な論理は抑えつつ、
・「こういった態度や正論に納得できる人」は少数だ
・これらの主張は理解できるが違和感がある
というので、途中でメモを取りながら読んでみた。でも率直に言ってがっかりした。

「なぜ日本ばかり悪者にされるのか」
「なぜ日本の罪ばかり強調し、他国の同様な罪には目をふさぐのか」
「慰安婦問題追及者の真の動機は日本の責任を膨らませたいという欲望だ」

結局まとめるとこういう趣旨になるのではないか。
だとすれば「いつものアレ」を超えるものではない。時間を無駄にしたついでに自分用の記録を書いておく。

この方はドイツの慰安婦問題を例にして、日本でも外国でも日本の事例ばかり問題になる一方で、ドイツなどの類似問題は問題視されていないことを指摘している。また、日本の慰安婦問題追及者たちが「本質は人権問題だ」と言いつつ、他国の類似事例への言及を避けたり免責したりしていると批判している。
その批判にはまっとうな点もあるだろうし、日本の責任追及論者の中には嗜虐的な加害者バッシングに傾く人もいるかもしれない。
でもまあ、それなら「日本のことばかり言うな」ではなくて、「もっと言おう、誰も言わないなら私が言おう」になればいいのではないか。「ドイツの慰安婦問題追及者たちと連帯しよう」でいいのではないか。

……あと、「どうして日本だけこんなにクローズアップされるの」と不満をお持ちのようだけど、それは「人権派」が努力したというよりは、どちらかと言えば日本の責任を否定する人たちの長年の努力の成果じゃないかと思いますよ……。

**************
追記

そういえば、タイトル部分で「……問題は解決するのだろうか?」とあるのだけれど、この人にとっての「解決」とはどういう意味・状態なのだろう。読んでいてそれが気になっていた。

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2017/01/20

山本一郎氏がアパホテル批判へのカウンターをリツイート

山本一郎(やまもといちろう)さんのツイート: "@bci_ @tamai1961 @johannessm2k この手の話はもっと知られてもいいよね"

山本氏らしいなあという印象。さりげなくヘイトを煽る。
元はこの話。

黒色中国さんのツイート: "この数日、アパホテルについては賛否両論出てますけど、中国だと便器に日の丸をつけたホテルとか、日の丸を玄関マットにしたレストランがあります。アパホテルの部屋に「本」が置かれている…と大騒ぎする前に、中国は自省すべきことがたくさんあるんじゃないでしょうかw @johannessm2k https://t.co/5jBngFtKex"

関連して追加されたツイート。

黒色中国さんのツイート: "中国には「日本人と犬は立入禁止」というホテルもありました。アパホテルはホテルの本業を越えた歴史的主張をしたのかも知れない。でも、客を侮辱して拒否したわけでもない。批判も当然ですが、とりあえず中国は文句を言う前に自らを正せ…と私は思いますw @johannessm2k https://t.co/kbpmHjZwx4"

これらのツイートに賛同する反応がぶら下がって読める。

この元ツイートをした人も、中国だって同じことをしているだろう、他人を批判する前にまずわが身を正せ、という論調だ。リツイートした人たちは、相対化できる材料をもらえて喜んでいる。
アパホテルが悪いことをしているという点は否定できないが、しかしアパホテルを擁護したい、あるいは日本や自分が悪いわけではないと切断したい人たちが引っかかっている。

こういう人たちは、日中の言説の非対称性に気づいていないか、意図的に無視している。
ツイートで紹介されている中国のホテルや店の行為が醜悪で排外的なことは当然だ。だが両者は相対化できるものではない。

そもそも、他人を批判する前にわが身を正せと言うのなら、それを人に言う前に同じことを自分がしたらどうだろうか。つまり、「中国」の反日的な振る舞いを非難(あるいや揶揄)する前に、「日本」の排外的な振る舞いを批判・抑止するということだ。彼らはなぜ、今回の騒動の発端となったアパホテルと元谷氏の、そしてそれに連なる人々の暴言を厳しく批判しないのだろうか。
「先ず隗より始めよ」である。

****************
追記(2017年1月20日)

ちょっと違ったか。

彼らは、中国側の反日行為への批判はしないから、おまえたち中国人も日本の反中行為への批判はするな、と言いたいのだろう。きっと、お互い様だからお互いなじり合いは止めておこうよ、ということなのだ。

もしそう思うなら、単純に言えば、両方とも批判・告発すればいいと思うのだが。
極右的な人々はどちらの国にもいるのだから、きりがないのは確かだが、それに、そんなことばかりに関わっていられないのもその通りだが、「どっちもどっち」として排外主義への批判を無力化するのではなく、「確かにこっちは悪い。批判に賛同・協力する。それとともにそっちの排外主義への批判も強めよう」という方が正当ではないか。
だが、中国での排外主義を「中国人としても許せない」と同調した中国人のツイートには、「日本側への批判は誤りだ」という反応が付いた。この非対称性こそが偏りである。

私からすると、この件は「どっちもどっち」ではなく日本側に禍根があるのだから、日本側がまず改めるべきものだ。その意味で中国側の排外主義を併置して「どっちもどっち」とするのは間違いだし、そもそもアパホテルの件に限れば元谷氏の本と「日本人お断り」の差別とを対置して相殺するのも難しいものだ。

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メモ:類似性

https://pbs.twimg.com/media/C2hkmrRUUAACbKD.jpg(切り抜き画像)
※インタビュイーの除本理史氏による紹介。(ツイッター

[戦後責任]日本政府はなぜ「法的責任」を否認するのか -Apes! Not Monkeys! はてな別館

上記ツイッターで除本氏が言及した記事:(記者有論)水俣と福島 「人間の被害」国は直視を 石川智也 朝日新聞デジタル2017年(1月19日05時00分)

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